「本当はよくわかっていない人の2時間で読む教養入門 やりなおす経済史」

 

経済史は欲望のドラマだ! 代ゼミ人気No.1講師が教える、歴史の流れと「なぜ?」がわかる、社会人のための学びなおし講座。世界恐慌、バブル崩壊、リーマン・ショック、アベノミクス歴史のストーリーで学ぶ、マンガのように面白い世界抗争劇。封建制からアベノミクスまで、ビジネスパーソンが教養として最低限知っておくべき、1300年の物語を2時間で一気に学ぶ。本連載は書籍より一部を抜粋して紹介する。

 

 

 

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2014.10.20

 

経済史は欲望のドラマだ!
「今」につながる資本主義の歴史を
ダイジェストで一気に読む

 

1回 講義の前に

 

蔭山克秀

 

この世は勝ち組と負け組に分かれる、残酷な弱肉強食社会である。でも、この社会がどのように生まれたのか、なぜ今のような仕組みになっているのか、最低限の教養として知っておきたいところ。経済についてよくわからないまま社会人になってしまった人に、代ゼミの人気No.1講師が面白くわかりやすく教える、「経済史」学びなおし講義。

 

僕たちは今、資本主義社会の中にいる。考えてみれば資本主義というのは、おかしな考え方だ。なぜなら資本主義では、企業が倒産し、失業者が増え、貧困にあえぐ人が多ければ多いほど健全に発展していると表現するからだ。

 

なぜか?それは資本主義が競争を基本原理としているからだ。競争は人間を勝ち組と負け組に分け、その競争が進めば進むほど、勝ち組の数は少なくなる。それが競争のルールであり、それが守られている状態を健全という。

 

そりゃそうだ。夏の甲子園のトーナメント戦で、最後にPL学園だけが残っているのを見て「おかしい」なんて言うやつはいない。なぜならみんな、競争のルールを理解し、最後に残っている者が競争の勝者であることを認識しているからだ。資本主義の自由競争だってそれと同じだ。何ら変わるところはない。

 

では、なぜ僕らは競争社会をよしとするのか?それは人間が元来、利己的で欲望まみれにできているからだ。僕が大学の経済学部でいちばん最初に学んだことは、「経済学は欲望の体系である」ということだった。そこには個々の利己心のみが入り乱れ、みんな少しでも人より得したい、自分だけ幸せになりたい、社会的に成功したいと考えて行動する。それが人間の本性であり、経済学の本質なのだ。

 

それは違う!俺は全人類が幸せになることを心から願っている!こう反論する人もいるだろう。でもそんな人は、逆を考えてみればいい。つまり「みんなで得をする、みんなで成功する」ことができるかと。そうすればその考えが、いかに実社会でリアリティがないかに気づくはずだ。

 

みんなで勝ち組になるのは、どだい無理な話だ。仮に百歩譲って、日本人みんなが得して成功することがあったとしても、そのときにはおそらくフィリピンとかラオスあたりに、何らかの形で負けを押しつけられた人たちがいるだけだ。

 

違う!俺はそもそも競争なんかしなければ、みんな幸せになれるって言ってんの!という人もいるだろう。でも、これも違うな。だって人間も動物である以上、何らかの形で生存競争は、すでに最初から宿命づけられているからだ。

 

もちろん、僕らは野生動物ではないから、リアルな「食うか食われるか」はない。でも社会的動物ではあるから、「食うか食われるか」が昇華した競争は背負っている。それが経済活動だ。

 

僕らは素っ裸で外に突っ立っていたら、いずれ死ぬ。生きるためにはメシも食わなきゃならないし、寒けりゃ家も服も必要だ。では、それらを手に入れるためには何をする?働いて金を稼ぐか、人から奪い取るしかない。これらを「利己的」「欲望」「競争」と一切からめないで実現させることなんか不可能だ。

 

経済社会に生きる以上、欲望を恥じるな。誰だってキレイになりたいし、タコヤキのにおいを「うまそう」だと感じる。それがすでに欲望だ。そして自分がキレイになりたい、自分がうまい物を食いたいと思うことが「利己的」であり、その利己的な欲望を実現するための努力が、経済活動だ。

 

ほしい物を手にするための努力の、どこが恥ずかしい?世の中に便利なモノや素敵なモノがあふれ返っているのを見て、恥ずかしいと思うか?人間が「死なないだけで十分」なんて人ばかりなら、この世にiPad なんか生まれていない。それを「欲望や利己的は悪い」というのはイメージが貧困すぎる。

 

この連載では、その「欲望の体系」を、歴史のタテの流れを通して楽しんでもらおう。初期の欲望はどうだったのか?その後、欲望はどう変質したのか?人類の先輩方はなかなか楽しく、悪者だらけだ。僕らもその先輩方を通して、必要悪を学ばせてもらおうではないか。

 

資本主義は、「自由」を本質とする経済体制だ。そしてその自由な経済は、僕らを勝ち組負け組とに分ける。それはもう残酷なまでにくっきりとだ。なぜなら、自由をめざしていけば、世の中は必然的に競争社会になるからだ。

 

経済的に見た「自由な社会」とは、私有財産が認められ、モノの売り買いの場所(=市場)があって、そこで自由に競争できる社会のことだ。そんな環境が与えられたら、僕らは少しでも他人のモノより「安くていいモノ」(=競争力のある商品)をつくって売ろうと努力する。

 

なぜなら、人より安くていいモノは、他人のモノより売れ、僕らの財産を増やし、僕らをハッピーにしてくれるからだ。そのために僕らは、日夜精進する。その目標に向かって努力する姿は、とても勤勉で美しい。

 

でも待てよ。なんで僕らは、人のモノより「安くていいモノ」をつくろうと思うんだ?それって冷静になって考えると、まるで「自分だけ幸せになりたい」と思っている浅ましいやつみたいじゃないか。

 

その通り!僕らはみんな自分だけ幸せになりたいと願っている、浅ましいやつなのだ。覚えておけ。資本主義とは「欲望の体系」だ。この世界で幸せをつかみたいなら、誰も物質的な豊かさを否定できない。

 

そこに善悪を持ち込むのは、倫理の世界。経済学と真摯に向き合う姿勢じゃない。こら孔子、倫理は隣の教室だぞ。ここは経済学。ほら、みんなニセウルトラマンみたいな目をしているだろ?ここは腐海だ。お前みたいな聖人君子は5分で肺が腐るから帰れ。こら、間違えて来たくせに、みんなに「利は怨みを買う」とか説くな。お前、逆にすごいな。いいから早く行けって!

 

経済学の教科書には、善人なんか出てこない。登場人物は全員、利己的で欲望まみれの悪人だ。そんな彼らが、みんな「自分だけ幸せになろう」と思って努力する。もう清々しいまでの「ピカレスク・ロマン」(悪漢物語)だ。経済学では、こういうピュアなあさましい欲望こそが、競争社会を勝ち抜く原動力になる。

 

聖人君子なんて、競争社会ではただの弱者だ。『ドラゴンボール』でいえば、敵のスカウターに反応すらしないほどの戦闘能力ゼロのやつだ。頼むから、おとなしくミスター・サタンと岩陰にでも隠れていてくれ。こら、フリーザの前に出て、愛や道徳を語るな。瞬殺されるぞ。

 

というわけで、僕らはこの競争社会で勝ち組になるべく、利潤獲得に向けて努力する。財産の多さは、物質的な豊かさ(つまりいちばんわかりやすい「幸せ」)に直結するからだ。そしてその利潤を得るための原動力とすべく、僕らは日々競争力と欲望に、さらに磨きをかける。

 

僕は代々木ゼミナールで、大学受験生に政経・倫理・現代社会などを教えているが、予備校で教え方に磨きをかけるのだってそうだ。「なんで?」と問われたら、そりゃもちろん「生徒の合格のため」とは答える。けれどその瞬間、僕の頭をかち割ったら、そこにあるものは立派な家やピカピカの車、札束の風呂に金歯……ちょっとウソも混ざったけど、だいたいこんなもんだ。

 

じゃ、その資本主義が現実の社会の中で誕生し、発展するためには何が必要か?それはこの二つだ。

 

1 社会における「商品経済」の発達
2)「資本家」と「労働者」という二つの階級

 

「え?そんな当たり前のもの、大昔からふつうにあるでしょ?」と思った人は不合格。それは現に確立された資本主義社会に生きる人の発想。

 

実は(1)も(2)も、発展したのはかなり最近で、歴史の中では驚くほど新しい要素だ。なぜか?それは洋の東西を問わず、この二つが時の支配者にとって有益なものではなく、むしろジャマだったからだ。

 

一体どういうことか?

 

 

 

 

資本主義はどのように生まれたのか?
3
分で読む「競争社会」誕生の歴史

 

2回 産業革命から自由経済の誕生まで

 

「資本主義の終焉」が叫ばれる今、もう一度読んでおきたい資本主義誕生の歴史。商品経済が栄え始め、産業革命によって一気に開花する自由放任経済とは、元々どのようなものなのか?歴史の授業だとダラリと間延びしがちな中世から近代までの流れを、代ゼミの人気No.1講師が面白くわかりやすく教える、社会人のための学びなおし講座。

 

オレ様が支配する封建制度

 

資本主義が栄える前、世界は日本もヨーロッパも「封建制」だった。封建制って言葉はよく古くさいの代名詞みたいに使われる(「今どきそんな封建的な考え方のヤツはいない」など)けど、もともとこれは経済用語。その意味は「主君が家臣に土地を与え、そこに農民を縛りつけるシステム」だ。

 

つまり、権力者(領主)が領地(荘園)から年貢を吸い取るシステム、これが封建制だ。そう、農民から年貢を吸い取るシステムは、日本だけではなかったのだ。日本では12世紀、源頼朝から始まって江戸時代の末まで続いた、武家社会を支える制度だったけど、ヨーロッパの封建制はもっと古く、だいたい8世紀頃(西暦700年代)から14世紀ぐらいまで続いた。

 

もともとは、その土地の権力者(領主)が国王から恩恵的に土地を借り、その代わりに国のために軍事奉仕をするという仕組みだったけど、王が「不入権」(荘園内への立入禁止権)を認めた頃から徐々に私領化し、ヨーロッパ各地の荘園は、次第に領主が支配する独立国家のようになっていった。

 

一つ一つの荘園が、それぞれ年貢の取れる独立国家だ。じゃ、領主様は農民をいじめるどころかむしろ 金のなる木として保護しつつ、逃亡を防ぐね。

 

この辺は家畜を飼うときと同じ要領だ。だから封建制があった国の多くでは、農民は領主から保護されつつも田畑の勝手な売買は禁止され、国境には農民の逃亡を防ぐシステム、すなわち「関所」が設けられた。

 

こんな中で商品経済が栄えるわけがない。商業なんて年貢のジャマだから、僕が領主なら領内で商業をやっているやつなんかいたら、棒で追い回して追放し、そこも全部畑にする。

 

さらに言えば、年貢オンリーでいいわけだから、貨幣経済もいらない。こんな農業中心の自給自足体制で、商品経済が発展したら奇跡だ。しかしその後、そこにだんだん商品経済が入り込んでくる。

 

田舎親分となった国王の逆襲劇

 

原初の封建制は、ほぼ農業オンリーだった。そうすると、いやが上にも生産力が向上し、「余剰生産物」が発生する。そりゃそうだ。同じことだけやり続けて、上達しないやつなんかいない。清原だって30年以上送りバントの練習だけすれば、川相以上の犠打の名手になれる(たぶん)。

 

そして余剰生産物ができると、それをただ腐らせてしまうよりも、何か面白いものや珍しいものと交換したいと考える。人間、食うに困らなくなると、必需品だけでは飽き足りなくなる。これも当然の話だ。

 

そうすると、今度はその商品交換の場として「都市」が生まれた。都市が生まれたというと変に聞こえるが、そもそもピュアな封建制の時代は、領内は全部畑だから「人々が集まる場所」「畑以外の場所」なんてなかった。

 

そこに都市が生まれたというのは、やはり領主の意識が変化してきた証拠だ。その都市で、さまざまな手工業者の同業者組合(ギルド)が発達することになる。

 

そしてそこに、今度は「貨幣経済」が流れ込んでくる。その最大の要因となった出来事は、十字軍の遠征だ。十字軍の遠征とは、キリスト教の聖地エルサレムをイスラム教徒から取り戻そうと、ローマ教皇ウルバヌス2世がセルジューク・トルコに対して仕掛けた戦いだ。

 

その後、教皇が代わっても戦いは引き継がれ、1096年に始まった遠征は1270年に終わるまで合計7回も実施された。しかし、この戦いでローマ教皇側は勝てず、結局ヨーロッパによる聖地奪回はかなわなかった。

 

でもこの戦い、負けはしたけど、経済面から見れば、ヨーロッパとアジアの交易拡大にはなった。ただし、遠隔地相手の商売に物々交換じゃ効率が悪い。だからそれをスムーズにするため、貨幣経済が発展したんだ。

 

しかも、十字軍の遠征には、封建領主と教会の没落というおまけまでついてくる。もともと騎士が封建領主になれたのは、軍事奉仕をするからだ。だから彼らは、戦があれば出陣する。

 

でも、十字軍の遠征は失敗し、領主の多くは戦死した。ということは、領民の中には、納めるはずの年貢を丸々着服できた連中もいたはずだ。彼らこそが独立自営農民(ヨーマンリー)、後に資本家の卵となる人たちの一部だ。そして、教会も没落していく。実は当時(1113世紀)の教会は、ヨーロッパ最大の封建領主にして、各国の国王も逆らえないほどの権威を確立していた。

 

その教会が「俺らのシマを取り戻すぞ!」と勇ましく号令をかけて何度も抗争をしかけたのに、それに失敗したんだから、彼らのメンツは丸つぶれだ。

 

教会は没落、領主は戦死──今、ヨーロッパはボロボロだ。でもこの状況を、ほくそ笑んで見ている不謹慎なやつがいる。国王だ。国王はここんとこ、全然うだつが上がらなかった。いつの間にか教会の方が偉くなり、自分が盃をやったはずの領主どもは、自治権を盾に全然言うことを聞かない。後輩には抜かれ、部下には尊敬されず、ただの哀れな中間管理職だ。

 

最近ではタイツもシワシワ、髪のカールのかかりも悪い。そして気がつけば、教会が組織の組長になり、領主が本家の若頭みたいになって、自分はいつしか田舎の親分衆の一人みたいになり下がっていた。

 

でもそれが、十字軍の失敗のおかげで逆転した。今、うちの組織は、組長が抗争に疲れ、若頭の多くが死んだ。これは田舎親分に格下げされ、義理場の末席でくすぶっていた国王にとってチャンスだ。

 

ここからヨーロッパの封建制は大再編ともいえる時期に入り、各国国王の中で密かに牙を研いでいた者は、武力を使った強引な国内統一を進めていく。こうして生まれてきた体制が「絶対王政」だ。

 

新しい組長が権力維持のためにやった経済活動とは?

 

絶対王政とは、国王に無制限かつ無制約の権力が集中する政体だ。今までは、王とは名ばかりのone of them(数ある封建領主の中の、その他大勢の一人)だった王様は、十字軍遠征の失敗を機に扱われ方が変わった。遠征失敗で疲弊した領主たちから、頭を下げられたのだ。

 

「今の俺らの経済力では領地を維持できやせん。王に進呈して、これからは王に忠誠を尽くしやす。代わりと言っちゃ何ですが、俺らを守っちゃくれやせんか?今までの失礼の数々、許してつかあさい!」

 

ここから王による中央集権化が徐々に進み、16世紀あたりに、ついに絶対王政は完成した。イギリスではテューダー朝のヘンリー7世に始まり、エリザベス1世の頃に最盛期を迎え、フランスではブルボン朝を創始したアンリ4世に始まってルイ14世の頃に最盛期を迎えた。

 

王は感無量だ。やっと本来いるべき頂点に君臨できたんだから。しかも、今まで目の上のタンコブだった若頭の領主は、領地を差し出して自分に忠誠を誓い、組長だったローマ教皇は、面目丸つぶれですっかりシュンとなっている。オヤジ、えろう小そうなりましたなぁ。ウ、ウハハハハハ。

 

さあこの絶対王政、もし僕が国王なら、迷うことなく封建制をもっと強化させ、国内の年貢を、すべて国王に集まる仕組みにする。だってそれをやれる立場にきたんだよ。やらなきゃ損じゃん。

 

でも現実の歴史は、そうはならなかった。正確には、王は封建領主にはなったが、そっちばかりを強化する方針は採らなかった。なぜか?それは、この絶対王政、実は想像以上にコストがかかるからだ。

 

絶対王政の王権は強大で、その地位はあまりにも甘美だ。だからこそ、多くの人がその座を狙い、王は常にシビアな権力闘争の場に立たされる。

 

では、その王権を支えるものとは何か?それは、官僚制と常備軍だ。絶対王政を思想的に支えたものは王権神授説(王の権力は神から授かったものとする説)だけど、そんな神の威光なんか、効かないやつには効かない。もうガンガンくる。

 

だから王は、自らを守る具体的な力を持つ必要に迫られる。それが、優秀なスタッフと強固な腕力、つまり官僚制であり常備軍だ。誰もが一目置くぐらいの頭の切れる頭脳集団と、みんなが震え上がるぐらい恐れを知らない兵隊どもだ。

 

確かにそのくらい置いとかないと、新しい組長も枕を高くして眠れない。しかも戦力としてだけじゃなく、威圧的な抑止力としてハッタリも効いてなきゃならない。さらに敵はいつ攻めてくるかわからないから、単なる張子の虎じゃなく、常にベストの状態をキープしとかなきゃならない。

 

こりゃカネかかるぞ。農民からチマチマ年貢を吸い上げるだけではとても足りないぞ~。そこで、そのコスト捻出のため、ある方法が考えられた。そのやり方が「重商主義」だ。王の威光を最大限利用したこのやり方なら、ガッポリ稼げて権力を維持できる。そして、ここから封建制は崩れ、商品経済が発展する土壌へとつながっていくのだ。

 

「重商主義」ではなぜ、東インド会社がえこひいきされたのか?

 

重商主義とは、絶対王政期に採られた経済政策だ。初期のものを「重金主義」といい、後期のものを「貿易差額主義」という。

 

重金主義は、いかにも頭の悪い王様が思いつきそうな政策だ。つまり、鉱山開発や植民地の獲得で、直接金銀を獲りに行くのだ。金山はたぶん、掘っても出ないぞ~。なんで金に希少価値があるのか考えてみろ。それに金山を持つ国を植民地にするって、これも無理だぞ~。だって金山のある国は金持ちだから、絶対強い。というわけで、重金主義は次第に廃れていく。

 

その後出てきたのが貿易差額主義だが、こちらは見事に定着した。これは国王が、特定の商人団にだけ貿易の特別許可を与え、彼らがガッポリ稼いできたカネを、後からごっそり吸い上げるシステムだ。この王がえこひいきした商人団を特許会社といい、その代表格があの有名な東インド会社だ。

 

東インド会社!あの中学・高校の歴史年表でひときわ異彩を放っていた謎の言葉、東インド会社。「ここって、何つくっている会社だよ?」と誰もが思った東インド会社。なまじ意味のわかる言葉なので、かえって悩ましかった東インド会社。何となく辛口のカレーっぽい東インド会社。世界史の授業に集中していないバカどもの想像力を刺激する言葉、東インド会社。お前とはこの文脈で出会うのが正しかったのか!

 

 ……失礼、ちょっといろいろな思いがあふれてしまいました。というわけで、絶対君主からえこひいきされてきた商人団が東インド会社だ。東インド会社は、1600年にイギリスのエリザベス1世から特許状をもらって設立されたものが最初で、1719世紀にかけて活躍した。

 

その後、オランダやフランスなどでもつくられ、貿易上の強い特権で東洋貿易を独占しただけでなく、強大な軍事力を持ち、植民地の経営から同業者とのバッティングまで行った。特権面でも組織力の面でもここまで強い東インド会社と絶対王政が結びつくと、こんなことが可能になる。

 

「本日より○○の貿易は、東インド会社のみ許可する。他のやつがやったら打ち首!」

 

打ち首はともかく、だいたいこういうことだ。こんなの安倍首相が言い出したら、たちまち内閣不信任決議、森首相なら革命だ。でも絶対王政では、常に王が正義。だからこそ、こんな荒業もできる。

 

この貿易差額主義を理論面で支えたのが、イギリスの東インド会社重役で『外国貿易によるイングランドの財宝』を著したトーマス・マンと、フランスでルイ14世の大蔵卿を務めたコルベール。特にフランスでは、彼の名をとって貿易差額主義のことを「コルベール主義」ともいう。

 

いずれにせよ、この重商主義のおかげで商業は異常なほど発展し、1で紹介した、資本主義に必要な要素の一つ「1)商品経済の発展」は実現した。あとは「2)資本家と労働者の誕生」だが、これもまた、重商主義の流れの中から生まれてくる。

 

「資本家」と「労働者」を生み出した囲い込み運動

 

重商主義が始まる少し前の12世紀頃から、イギリスは十字軍の遠征でアジアとの交流が生まれ、貨幣経済と貿易が盛んになり始めていた。

 

その後、1516世紀になると、貿易は本格化してきた。当時のイギリスにとっていちばんの売れ筋商品は、毛織物だった。しかし、イギリスは小さな島国だから、羊を飼うための土地が足りない。

 

そこで何が起こったかというと、なんと地主(ジェントリー)が農民から強引に農地を没収し、そこを柵で囲い込んで中で羊を飼い始めた。これを「囲い込み運動」という。

 

ひでえ、メチャクチャだイギリス人!農民が気の毒すぎる。ある日突然畑に行ったら、自分の畑が柵で囲われて、中で羊がメエメエ鳴きながら作物を食い荒らしているんだぞ。そんなのありかよ。この惨状をトマス・モアは、著書『ユートピア』で「羊が人間を食う」と表現している。

 

でも実は、このメチャクチャな囲い込み運動こそが、資本家と労働者誕生のきっかけとなった。つまり、土地を追われた農民たちは、もう自分の労働力を切り売りするしか生きる道がなくなって労働者に転化し、その労働者たちは毛織物工場での「工場制手工業」(マニュファクチュア)に吸収されていく。

 

つまり囲い込み運動は、労働者階級を誕生させると同時に、工場という生産手段を所有する資本家階級も誕生させたんだ。この資本家と労働者が誕生する流れを「資本の本源的(原始的)蓄積」という。

 

これでつくられた毛織物が、その後重商主義時代の、主要な輸出品目の一つとなる。さあ、これで資本主義の発展に必要な(1)と(2)は両方揃った。あとは、さらに飛躍するためには、工場制手工業の「手」の部分が、「機械」になってくれればいい。

 

資本主義を一気に開花させた原動力「産業革命」

 

産業革命は、イギリスで18世紀半ばから19世紀半ばにかけて起こった、生産技術の急激な発展と、それに伴う社会の大変革だ。イギリスの得意産業は、初期が毛織物、その後が綿織物だから、産業革命もその分野(繊維産業)から始まった。

 

つまり、飛び杼(手織機に糸を自動的に通す道具)を発明したジョン・ケイや、紡績機(綿や羊毛から糸をつくる道具)に大幅な改良を加えたハーグリーブズのジェニー紡績機、クロンプトンのミュール紡績機、アークライトの水力紡績機などだ。

 

これらが生産を工場制手工業(マニュファクチュア)から「工場制機械工業」に変え、さらにそこに18世紀終盤からワットの蒸気機関が加わり、19世紀中盤からはそれを応用した鉄道や蒸気船などの交通革命も加わったことで、より幅広く、よりパワフルに、より全産業的に、産業革命は広まっていく。

 

この産業革命を支えた資本家は、富裕な市民階級「ブルジョアジー」だ。彼らの出自は地主だったり独立自営農民だったり手工業者だったり商人だったりとさまざまだが、おおむね共通して、重商主義と東インド会社を嫌った。

 

当然だ。王が偏ったえこひいきなんぞするせいで、せっかく自分たちが生産技術を磨いても、発揮する機会すらなかったんだから。監督が「観客動員数のため」とか言いながら、話題性と人気だけのピッチャーばかり起用したら、チーム内の全員から、その監督と投手が嫌われるようなもんだ。

 

でもそれも、17世紀にあった二度の市民革命(清教徒革命と名誉革命)で絶対王政が打倒され、終わった。これで王とつるんでいた勢力は没落し、いよいよ資本家は自分たちの時代をつかんだ。

 

彼らはその後、飽くなき探求心で、機械に改良に改良を重ねた。そのおかげで機械は、どんどんと発展した。ここから生産技術の向上が飛躍的に進み、イギリスは新興の資本家階級を中心とする資本主義社会へと移行していく。

 

ぶっちぎりに強いイギリスが進めた弱肉強食の経済とは?

 

産業革命で生産力を飛躍的に向上させた産業資本家たちは、「自由放任経済」を求めた。これは競争力を高めた彼らからすれば、当然の要求だ。

 

競争力のある国ほど、自由貿易を求める。なぜか?それは自由と平等を、どちらも「平等」を交えて説明すれば、よくわかる。

 

まず資本主義社会の自由は、「機会の平等」からくる自由だ。これはランナーでたとえるなら、オリンピック選手も小学生も全員が横一列に並んで、誰にもハンデをつけずに全力で100メートル走をさせるようなものだ。この形だと、個々の力の差がもろに出て、強い人がぶっちぎりで勝利できる。

 

これに対して、社会主義社会がめざす平等は「結果の平等」だ。これはみんなで手をつないでゴールするイメージだから、一見とても穏やかでいいものに見える。でも、強い者の自由を大幅に制限している。

 

ここまで見れば、当時のイギリスの資本家がどちらを求めたかは明白。当然前者だ。当たり前だが、ボルトやパウエルやカール・ルイスは、僕らと手をつないでゴールインなんてしたくない。

 

彼らは僕らをぶっちぎりたいからこそ、日々血の滲むような努力で厳しい練習に耐えてきたんだ。当時のイギリスの産業資本家は、まさにそれに匹敵するほどの競争力を身につけていた。

 

彼らは飽くなき努力と探究心で、世界最高の生産力を手に入れた。今、世界で機械化が進んでいるのはイギリスだけ。これは、世界のランナーが100メートル走で10秒を切るかどうかを争ってるなか、イギリスのランナーだけ8秒台で走れるくらい、ぶっちぎりの状況だ。今競争すれば、絶対イギリスが世界ナンバーワンになれる。

 

ならばこれ、どう考えてもみんな一斉にヨーイドン、つまり自由放任経済を求める。ここまで力をつけたイギリスに、重商主義みたいな保護貿易は必要ない。むしろ王様に利益を吸われる分、かえってジャマだ。

 

時代的にこの18世紀は、イギリスではすでに市民革命が終わり、強い専制君主はいなくなっていた頃だ。その後、強い産業資本が育つまでのワンポイントとして重商主義は続いていたが、もはやそれも不要のようだ。だから産業資本家は自由放任経済を求め、イギリスはここから、本格的な自由競争の時代に突入していく。

 

夜警国家経済が強い国ほど政治はショボい

 

経済が自由放任主義のとき、それに合う最良の政治とは何か?それは「夜警国家」だ。夜警国家って、なんかクールでカッコいい!そんな昔の僕みたいなバカなことを言うな。これはドイツの社会学者ラッサールが、「あれ、政府ってただのガードマンなの?」という皮肉を込めて言った言葉だ。

 

夜警国家とは、「政府の仕事は国防と治安の維持のみ」でいいという、メチャクチャ安上がりの政府だ。なぜ、こんなのがいいのか?それは経済がバカみたいに強い国の場合、その経済力をキープすることが、いちばん国益にかなっているからだ。

 

つまり、自由放任主義でうまくいっている国ならば、それをキープするため、政治はそれを守るためのガードマンに徹した方が、国は栄えるってこと。

 

自由主義国家の政府?やつら、ただのブルジョアのガードマンじゃん。だから政府は、まず軍隊で外敵の侵入に備えつつ、警察力で国内の治安も守る。この二つさえあれば、自由放任経済はガッチリ守れることになる。

 

でもこれ、やっていることは本当にガードマンと変わらない。だから、それへの皮肉を込めて「夜警国家」と呼ぶんだ。他にも「小さな政府」とか「消極国家」とかいろいろな表現があるけど、どれもショボい。「おたくの夜警さんは、とても小さくて消極的でクールですね」は無理しすぎだね。もはや褒めていない。とにかく、全部に共通して言えることは、資本主義体制で経済が絶好調なら、政治はジャマするなってことだ。

 

 

 

 

 

 

2014.10.23

 

なぜあの時、世界大戦へと突入したのか?
今、ざっくり読んでおきたい世界経済史

 

3回 バブルから恐慌、戦争へとつながる経済要因

 

蔭山克秀

 

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なぜバブルから世界恐慌になったのか? なぜ恐慌から第二次世界大戦へと向かったのか? そもそも不況時にバラマキ政策が行われるのはなぜか? 当時と今日の時代的な共通点が指摘されるなか、戦争へとつながる経済要因を、歴史の流れから読み解こう。代ゼミの人気No.1講師が面白くわかりやすく教える、教養としての「経済史」学びなおし講義。

 

さあ、ドイツからGNP 20年分をむしり取れ!

 

前回(第2回)で見たように、世界に先んじた産業革命によってイギリスが世界の親分として君臨した「パックス・ブリタニカ」時代。イギリスは、アダム・スミスをはじめとする古典派経済学に後押しされるかたちで、自由放任経済を推し進めた。

 

しかし、世界の生産力が追いついてくると、ドイツ、フランス、ロシアなどの列強は新たな市場を求め国盗りゲームが過熱する。その獲物は中国から次第にバルカン半島に移り、ついに第一次世界大戦へと突入した。

 

そして、1919年、第一次世界大戦の講和条約として、「ヴェルサイユ条約」が締結された。ここでの注目点は一つ。敗戦国ドイツがどこまでむしられるかだ。

 

この戦争は、史上初の世界大戦だ。27ヵ国も参戦している。しかも終盤ではドイツが潜水艦でイギリス付近を固め、近づく船を片っぱしから潜水艦攻撃するというムチャまでやった。もう欧米列強はカンカンだ。

 

だからドイツは、戦後賠償としてはギネス級にひどい目にあった。そのひどさは、もはやブルガリアの比ではない。あっちが丸裸なら、こちらは臓器や骨髄、血液から毛髪に至るまで、列強にすべてバラバラにされたあげく、根こそぎ持っていかれた。もはやイジメなんてレベルではない。猟奇殺人だ。

 

ドイツはこの条約で、海外の領土と植民地をすべて奪われた上、軍隊は破壊的レベルでの縮小、徴兵制の廃止、武器弾薬の保有は砲弾数や銃の種類まで指定しての制限、毒ガス・戦車・潜水艦などは研究すら禁止、そして極めつけは、なんと1320億金マルク(金本位制下でのマルク紙幣)もの賠償金だ。

 

 1320億金マルク!! 当時のドイツのGNP20年分だよ!いくら戦争賠償金の目的が国力を削ぐこととはいっても、これは削ぎすぎ。もはや土に還るレベルだ。よく「鮭は捨てるところがない」なんて言うけど、ドイツが分割された後は、その鮭以上に捨てるところがない。

 

そしてドイツは、その賠償金の支払いに案の定、困ることになる。ドイツは最初、「こんな冗談みたいな巨額の賠償金、ムリです」と支払いを渋ったが、渋るや否やあっという間にフランスからルール地方を占領された。

 

これって闇金に拉致られたとき、半笑いで払えないって答えたら、その瞬間生ヅメを2枚ベリベリッと剥がされたようなもんだ。ヤベェ、こいつら本気だ。次は埋められる……。フランスも第一次世界大戦で国土が荒廃し、焦っていたのだ。これはもう払うしかない。

 

でも、いざ払うとなっても、当然そんなふざけた額のマルク紙幣は存在しない。そこで仕方なくマルク紙幣を膨大に増刷し、その後とてつもないハイパーインフレに苦しめられ続けることになる。

 

今ハイパーインフレと言ったが、どれくらい凄まじいインフレだったのか?その頃ドイツは、マルク紙幣を発行しすぎて価値がどんどん暴落し、ついに為替レートは驚きの「1ドル=42000億マルク」にまで達していた。

 

 42000億マルク!! それ絶対財布に入んないわ。コーラ1本買う程度の金が財布に入んないって、どういうこと?それたぶん、荷物多めの独り暮らしの引っ越し用トラックぐらいないと運べないぞ。

 

そこで、どんどん高額のマルク紙幣・貨幣を発行せざるをえなくなり、ついには幻の1兆マルク銀貨、100兆マルク紙幣なども登場するほどになった。

 

僕も以前、魔が差して有楽町のコインショップでその1兆マルク銀貨を買ったが、そのとき店主に「これって当時、どれくらいの価値だったんですかね?」と聞いたら、「さあ、80円分ぐらいは買い物できたらしいですよ」と言われたのを今でも覚えている。

 

でも、さすがにここまで法外な賠償金は、やりすぎだ。しかもルール地方の占領って、ドイツ一の工業地域を取り上げちゃ金の稼ぎようがない。ドイツを破綻させたいんならともかく、搾取したいんなら「生かさぬよう、殺さぬよう」だろ?

 

おい列強、お前ら封建制出身なら、絶対わが国の家康公みたいなやつがいるだろ?そういうやつからいっぺん、真綿で首を締めるような理想的な搾取レクチャーでも受けてこい。さもなくば「慶安の御触書」でも読んどけ。こういうムチャな追い込み方をしたら、そのうち必ず一揆(ヒトラーの出現)が起きるぞ。

 

他国が戦うほど対岸の火事で儲かるアメリカのしたたかさ

 

第一次世界大戦中、日本はうまく(というか狡猾に)立ち回った。中国のドイツ権益を手にし、欧州勢がすっからかんでお留守になったアジア市場を独占したおかげで、製造業や造船業を中心に「成金」という言葉も生まれた。

 

でも日本、その後はパッとしなかった。第一次世界大戦が終わる直前には、シベリア出兵(1917年のロシア革命からくる社会主義の波及を食い止める)による米需要の増加を見越した買い占めや売り惜しみから「米騒動」が起こったし、戦後は工業製品の輸出が目に見えて減り、しかも1923年には関東大震災まで起こった。というわけで、日本経済は尻すぼみ、不況が深刻になっていった。

 

これに対してアメリカは、まさに経済絶好調だった。第一次世界大戦中、自国が戦場になっていないメリットを活かして、三国同盟・三国協商の双方に軍需物資を売りまくったアメリカは戦後、世界一の債権国になっていた。

 

しかもその流れは、そのまま戦後復興物資の販売にもつながり、アメリカにどんどん富が集中した。今やアメリカは、労働力は豊富(大戦中戦火を逃れた欧州移民が労働者に転化)な上、株式市場も発達し、しかも世界の工業生産の4割と世界の金の44%を保有するという、新しい世界の親分となっていた。

 

 1920年代のアメリカは黄金の20年代と呼ばれる繁栄期に入っており、消費も生産も絶好調で、一般大衆はラジオ・映画・プロ野球などの大衆娯楽を心ゆくまで楽しみ、住宅・自動車も飛ぶように売れた。

 

戦勝国、敗戦国ともにボロボロでストレスは最高潮へ

 

一方、イギリスは、戦争被害と戦時中の産業停滞などがたたり、完全に世界の親分の地位をアメリカに奪われてしまった。国内は不況ムード一色で、失業率が悪化し、労働者のストが頻発した。

 

そのような時代の流れを受けて、政治の舞台では労働党が躍進し、年金や失業保険など社会保障が充実した。それに伴い、これまで保守党(元トーリー党)・自由党(元ホイッグ党)の二大政党制だったイギリスは、「保守党と労働党の二大政党制」の国になった。

 

ロシアは、第一次世界大戦終盤の1917年、国内でロシア革命が起こってロマノフ王朝が倒れたため、もう三国協商どころではなくなっていた。ちなみに、ロシア革命は最終的に1922年に史上初の社会主義国家「ソビエト社会主義共和国連邦」の誕生にもつながる。資本主義国vs社会主義国というのは第二次世界大戦後の大きな対立軸となって新たな抗争へとつながるが、その話はまた後でするよ。

 

この頃は日本のシベリア出兵も含め、社会主義の拡大を恐れる連中が攻め込んできては、大戦後の国内再建のため戻って行くという迷惑なことが続いたため、この後ロシア改めソ連は、しばらくは国土の建て直しと社会主義国家の建設に全力を注ぐことになる。

 

フランスは第一次世界大戦後、かなり弱っていた。国土が戦場になったせいでボロボロに荒廃し、ロシアに貸した金は革命で不良債権化。その上ドイツまでもが、賠償金の支払いを待ってくれと言い出した。

 

さすがにこれにはカッとなって思わずルール地方を占領したが、本当はこんなことより、ただ金がほしいだけ。結局フランスは、1926年発足のポアンカレ内閣が財政再建とフランの切り下げ(「フラン安=フランスのモノは安い」になり輸出有利に)を行い、ようやく経済が回復に向かい始めた。

 

イタリアは実は、大戦初期からドイツ・オーストリアを裏切り、三国協商側に寝返っていた。つまりは戦勝国だ。にもかかわらず分け前が少ないことに、強く不満を抱いていた。しかも国土は戦乱で荒れ、国民の生活は苦しく、ソ連から社会主義思想が入ってきたせいで、労働者や農民の暴動やストが頻発していた。

 

そしてドイツは、賠償問題に苦しんだ。絶対に払えるわけのない金額なのに、フランスみたいに本気でアテにしている国があるからタチが悪い。この賠償金に振り回されて、ハイパーインフレは起こるわ、ルール地方は占領されるわ、もう国民のストレスは頂点に達していた。

 

特需景気からバブル、そして崩壊へと向かうアメリカ経済

 

アメリカ経済は、第一次世界大戦後もしばらくは好調だった。これは、ヨーロッパからの軍需物資の注文が、そのまま復興物資の注文に変わったからというのが最も大きな理由だ。アメリカはヨーロッパから地理的に遠く離れている上、当初「モンロー主義」を採っていたからね。だからみんながボロボロになっているなか、一人だけ涼しい顔してモノを売り続けることができたのだ。

 

しかし、1920年代の前半から、次第にモノが売れなくなってきた。これは、各国の戦後復興が終わりつつあること、アメリカ経済の生産規模が拡大しすぎて世界の消費が追いつかないこと、そしてソ連が社会主義化して商品の買い手ではなくなったことなどが、原因として考えられる。

 

いずれにせよこの時期、アメリカでつくられるモノは明らかに世界の市場では「生産過剰」となった。にもかかわらず、アメリカの証券市場は過熱し続けた。第一次世界大戦中から終戦直後は軍需物資が売れまくっていたため、どの銘柄も株価は下がらず、人々に富を与え続けた。そして豊かになった人々は住宅と自動車を欲し、自動車による移動距離の拡大は、さらに人々の住宅圏を拡大させて不動産の売れ行きを伸ばしていく。

 

こうなると、欲望まみれの人間は、ある種のスイッチが入るようにできている。そう、バブルのスイッチだ。つまり、市場は「株価は永久に上がり続ける」という楽観論に支配され、一般市民も株式ブームに浮かれ、実体経済の規模を明らかに上回る投機資金が株式市場を暴走し始めているのに、誰も気づかず誰も止められなくなっていたのだ。

 

いや正確には、みんな薄々「今俺たち、ヤバい暴走列車に乗ってるなあ」と自覚し、そこに不安を感じつつも、欲ボケのせいで降り時がわからなくなり、とにかく他人よりも先に列車から降りて自分だけ損をするのだけはイヤだという煩悩チキンレース状態になっていたのだ。

 

地価も相当ヤバい上がり方になっていたが、より手軽な投機対象である株価の方が上がり方が異常で、ダウ平均は実体経済が冷え込み、生産過剰が顕著になってきたはずの1920年代前半から1929年までの間で、実に5倍も値上がりした。そして19291024日、ダウ平均が史上最高値を更新したわずか2ヵ月後、相場は一気にクラッシュした。

 

GMの株価下落を引き金に、それまで水面下で渦巻いていた不安心理、新聞報道、大きな投機筋の売りなどが市場にパニックをもたらし、ウォール街は完全に売り一色となった。そしてそのわずか5日後には、ダウ平均は2ヵ月前の約半分にまで下がってしまったのだ。

 

ケインズ経済学を実践したアメリカの「恐慌対策」やいかに?

 

この未曽有の大恐慌に対し、時のアメリカ大統領ハーバート・フーヴァーは、自己の信じる「自由放任主義」を貫いた。

 

でも、バブルが崩壊したのに政府が無策というのは、ありえない。確かに経済は「好況後退不況回復」の4局面の繰り返しだから、普通の不況ならば放っておけば回復する。ただし、それはあくまで実体経済で起こる普通の不況の話であって、バブル崩壊ではこうはいかない。

 

バブル崩壊は、人間の欲望でパンパンに膨れ上がった巨大なマネーの風船玉が、バチーンと弾ける現象だから、その後をチマチマとモノづくりで埋めようったって、そんなのスケールが違いすぎて無理に決まっている。隕石落下でできたクレーターを、トンカチと釘と板で何とかしようとするようなもんだ。

 

結局、フーヴァーの無策は対応の遅れにつながり、恐慌は世界に波及し、ドイツとオーストリアは賠償金の支払いに苦しんだ。

 

そこで遅ればせながら、1930年には「スムート・ホーリー法」に基づく保護関税政策で自国産業を守る政策を採りつつ、1931年には「フーヴァー・モラトリアム」でドイツとオーストリアの債務支払いを猶予したが、対応が後手後手で、さしたる効果は得られなかった。

 

その後1933年、アメリカ大統領はフーヴァーからフランクリン・ルーズベルトになった。フランクリンはセオドアの甥だ。彼は大統領に就任すると、これまでの自由放任主義とは真逆の政策「ニューディール政策」を実施した。

 

ニューディール政策とは、ケインズ経済学の「有効需要の原理」を具体化したもので、不況で有効需要(=お金を使う国民)が不足すると、政府が供給してやるという政策、つまりはお金のバラマキだ。

 

前回見たように、古典派経済学などに代表される自由放任経済は、政府は経済活動にはノータッチだった。好況だろうが不況だろうが、ただただ政府は、自由経済を守るためのガードマンにすぎず、軍隊と警察さえあればよしの「夜警国家」が基本だった。

 

しかし、ケインズは発想を逆転させ、不況時には政府が積極的に役割を担って国民生活を助けていく「大きな政府」を提唱した。そして、その理論の中核をなす考え方が「有効需要の原理」だ。

 

有効需要とは、単に欲しがるだけじゃなく、「それをほしいから買う」にまでつながる需要だ。つまり有効需要は、「お金を使う国民」と言い換えてもいい。そう考えると、ケインズ経済学に出てくる「不況時に有効需要が不足すると、政府が創出する」という考えは、「不況時に金を使う国民が減れば、政府が金をバラまいて、それをつくり出してやる」という意味になる。

 

そして、その金をバラまくための手段が、公共事業や社会保障だ。そう、結局ケインズ経済学とは、不況時に政府が公共事業や社会保障でお金をバラまくという、今日的にはとてもありがちな経済政策のことなんだ。

 

でもこれ、実はなかなか浮かばない発想だぞ。だって不況になれば、普通誰でも「節約しないと」と思う。個人も国家も同じだ。でもケインズは、「不況時こそ国民のために金を使え」だ。

 

そして、政府が金を使う国民(有効需要)をつくれば消費が伸び、消費が伸びれば企業の生産が活性化する。そして企業が元気になれば、世の中から非自発的失業は消え、完全雇用が実現する……

 

つまり「世の中、需要が供給をつくり出して(=買い手を増やせばモノはつくられて)景気は良くなるんだから、まずその最初の需要創出のために、政府が率先して金をバラまけ」ってことだ。

 

ルーズベルトはこれを実施するために、まずテネシー川流域開発公社(TVA)をつくり、大々的な公共事業を実施した。そしてその後も、農業調整法(AAA)、全国産業復興法(NIRA)、社会保障法、全国労働関係法(ワグナー法)と、これでもかとばかりに「大きな政府」で国民のために金をバラまいた。

 

結論から言うと、このニューディール政策は、政府がバラマキをやめる見切りが早すぎ、政策後、再び景気は停滞している。本格的な景気回復は、第二次大戦による軍需景気まで待たなきゃならなかったが、もっと思い切りよくバラマキを続けていれば、おそらく効果は出たと思われる。不況のときに金をバラまくなんて、かなり勇気のいる政策だけど、このニューディール政策がその後の不況対策に与えた影響は大きい。

 

世界標準の通貨システム「金本位制」とは?

 

生産と消費の中心であるアメリカ経済がクラッシュすると、それは世界中に波及し、アメリカのバブル崩壊は「アメリカ発の世界恐慌」となってしまった。これに各国はどう対応したのか?

 

結論から言えば、最悪の結末に向かって舵を切るんだけど、ここでは少し遡って、世界を牛耳る通貨体制の背景から、ここまでの流れを少し整理してみよう。

 

世界の主要国は、第一次世界大戦前まで、当時の組長であるイギリス主導で「金本位制」を採用していた。これは通貨の価値を金との交換で保証する制度で、19世紀にイギリスの発案により世界に広まった。

 

 1817年、貨幣法に基づいてソブリン金貨が発行されたのが、金本位制の始まりだ。その後、欧州でイギリスとつき合いの深い国が徐々にこの制度を導入し、日本も1897年、金本位制を採用した。金本位制を採用している国の通貨(=兌換紙幣)は、銀行に持って行くと、何グラムかの金と交換してくれる。例えば、日本も19世紀末から採用していたが、その当時の交換比率は「1円=0.75グラムの金」だった。

 

では、この制度は何のために生まれたか?それは世界貿易の拡大とともに、他国通貨を受け取る局面が増えてきたからだ。19世紀、産業革命のおかげで「世界の工場」となったイギリスには、貿易でよその国に売りたい商品は山ほどあった。

 

ところが、そんなイギリスにとって頭の痛い問題が一つあった。それは、他国通貨の価値がわからないという問題だ。普段からつき合いの深い国、例えばフランスのフランやドイツのマルクなら大丈夫だ。困るのは日本みたいな謎の国から、突然1円札なんて見たこともないものを受け取ってしまったときだ。

 

小柄でちょこまかした連中から、突然渡された謎の紙切れ。どれだけ価値があるのかと聞いても、ニコニコ笑って「ダイジョーブ、ダイジョーブ」と繰り返すのみ。ダイジョーブじゃねーよ、ヘラヘラしやがって。こっちは商品渡してんだぞ。この紙切れ、本当にちゃんと価値あるんだろうな?

 

通貨は「額面価値=素材価値」じゃない。だから正直、変な国の通貨は受け取りたくない。でも貿易は拡大したい。そこでこの考えが出てきた。「世界共通の価値が認められるもの(=金)と通貨の交換を、各国が保証することにしよう」と。これが金本位制の始まりだ。

 

前述したように、イギリスは世界にさきがけ1817年に金本位制を導入した。すると、ポンドが価値の安定した国際通貨と認められるようになり、ポンドを用いた貿易が促進した。そして、金保有量に余裕のある国が徐々に金本位制を導入し始め、1870年代にはドイツやフランス、1990年にはアメリカが金本位制に移行し、日本も1897年より金本位制を導入するに至ったのだ。

 

金本位制を導入すれば、その国の通貨は国際社会で信用され、貿易が促進する。なるほど、金には世界共通の価値があるから、日本のことはいまいちわからなくても、誰も日本との貿易を拒まなくなるってわけだ。

 

しかも金本位制下では、通貨価値が非常に安定する。この制度下では原則、円高や円安は発生しない。つまり、貿易を不安定にする「為替リスク」(=円高・円安などの進行に伴う不利益)がない。もうどこまでいっても「1円=0.75グラムの金」だ。これが変わることがないなら、利益の計算も安心だ。

 

しかし、この制度は維持が大変だ。なぜなら、金と通貨の交換保証を確実にする以上、もし世界貿易できるほど多額の通貨を発行したいなら、まずその国は莫大な量の金を保有しないといけないことになるからだ。

 

これに日本は当初、苦しんだ。だってそんな金ないもん。イギリスには植民地から集めてきた金があるだろうけど、かつての黄金の国・ジパングには、今やそんな金はない。マルコポーロが『東方見聞録』で「掘れども尽きず」と表現した、岩手の玉山金山は江戸時代に閉山し、佐渡金山を始めとする他の金山も19701980年代あたりに閉山し、今は鹿児島の菱刈鉱山だけが辛うじて生きている金山だ。

 

結局、日本が本格的に金本位制を導入できたのは、日清戦争(1895年)後。つまり、日清戦争で得た金2億両という賠償金を使って、日本の金本位制は始まったのだ。

 

これで日本も、世界の主要国と対等に貿易できる!でもこの制度、何かモヤモヤとした不安が感じられる。その不安の正体とは一体何なのか?

 

金本位制は全然ダイジョーブじゃなかった!

 

金本位制は、金の価値に依存して、通貨価値を保つ制度だ。しかしそうすると、常に二つの不安要素がつきまとう。

 

まず一つは「もしその国の金が足りなくなったら、どうなるのか?」。そしてもう一つは、「もしその国の経済がガタガタになったら、果たして世界は、その国の金本位制を信用してくれるのか?」だ。

 

前者はいたってシンプルな物理的不安だ。金が足りなくなれば、その国の通貨は金と交換できない。金と交換できなければ、その国の通貨は紙くず同然だ。よってそうなれば、その国とはもう貿易できない。

 

「うちの通貨は金と換わらなくなったけど、うちの国内では使えますよ。ダイジョーブ、ダイジョーブ」

 

全然ダイジョーブじゃない。国内での信用なんて、その国と運命共同体の自国民との間だけの約束事だ。もしお前らの国で改革でも起こって、通貨が変わったらどうすんだよチョンマゲ!そうなりゃ信用できるのは紙切れより金だろーが。ふざけたことぬかしていると、黒船で駆逐するぞ。

 

金本位制がシビアな制度である以上、通貨と金の交換保証がなくなったら、もう貿易は存続できない。どの国もそうなることを覚悟した上で、ふだんから金不足に陥らないよう注意しなければならない。

 

でも実は、金本位制で最も怖いのは後者、すなわち心理的不安だ。これは具体例があった方がわかりやすいので挙げてみよう。例えば、今の日本が金本位制を採っているとする。そんななか、もしもバブル崩壊みたいな、国の信用が一気に消し飛ぶほどの出来事が起こったら、貿易相手の外国人はどう思うか?

 

メチャメチャ不安になるね。なぜなら彼の財布の中には、日本との貿易用に1万円札がギッシリ入っているんだから。彼は思う。今日本は瀕死の状態だ。下手すると、明日には通貨と金の交換ができなくなるかも。でも今日ならまだできる。なら今のうちに銀行に行って、手持ちの1万円札を全部金に換え、日本とのつき合いをやめないと。

 

その結果、何が起こるか?金の海外流出だ。これで金がどんどん出て行ってしまえば、結局金不足から制度が崩壊することになる。つまり金本位制下では「不安でたまらない1万円札なんかより、安心できる金を」と思われたらアウトってことだ。

 

実際の世界でも、まさにそれが起こった。1回目は、第一次世界大戦の開戦に伴う金本位制からの離脱、そして2回目は、世界恐慌だ。前者は戦争中だから、他国は基本信用できないし、戦費の捻出には金保有量にしばられない紙幣の増刷や国債の発行も必要になる。あまりよろしくない理由ばかりだが、ここでの離脱はある意味当然だ。

 

しかし、やっぱり戦争での離脱は、後処理が大変だ。結局このときは、大戦が対岸の火事だったアメリカだけが1919年に早々に金本位制に復帰しているけど、他国は戦後の国債処理やインフレ収束、金保有量回復に手間取り、金本位制への復帰は、1924年にドイツ、1925年にイギリス、1928年にフランスと、だいぶ遅れてしまっている。

 

そして世界恐慌だが、こちらは完全に金本位制が崩壊するきっかけとなった。1929年、ニューヨークのウォール街で突然弾けたバブルは、世界に深刻なデフレ不況をもたらした。

 

これに対する対策として、前に紹介したようにアメリカのフーヴァー大統領はスムート・ホーリー法に基づき、自国産業を守るために輸入品が高すぎて売れなくなるよう、輸入品に高い保護関税をかけたが、これが大失敗だった。

 

アメリカへの輸出に依存している国々は、高関税でモノが売れなくなるのを避けるためには、金本位制を捨てて通貨価値を切り下げ、モノを安くするしかなくなってしまった。つまり日本で言うなら、まず人為的に円安にする。すると、「円安=日本のモノは安い」だから、これで日本のモノが再び売れるようにするってこと。こういう自国通貨の不当な切り下げを、「為替ダンピング」という。

 

具体的には1931年、イギリスが金本位制を離脱し、ポンドの価値を切り下げたのをきっかけに各国も追随し、1930年代半ばのヨーロッパは為替ダンピングだらけとなった。そしてついに1937年、最後まで踏ん張っていたフランスが金本位制を離脱し、世界から完全に金と交換できる通貨が消滅してしまった。

 

金本位制が消えてしまうと、そこに残るのは、ダンピングによる小さなメリットと、他国通貨への不信感という大きなデメリットになる。金という絶対的なモノサシを失った各国は、もはや他国通貨を受け取ること自体が怖くなり、アメリカ以外の国々も「保護貿易」(保護関税や為替制限)を始めることになる。

 

ブロック経済は戦争へのカウントダウン

 

ここで、保護貿易の中身について、ちょっと説明しておこう。まず関税とは、政府が取るショバ代みたいなものだ。つまり、「うちの国で商売させてやるんだから、政府にショバ代払え。金額は、商品一個売るごとに、その価格の○○%」みたいな取り方だ。これが高ければ、他国はその国で商売するメリットがなくなって輸入品を撃退でき、自国利益が外国に吸収されるのを防げる。

 

また為替制限とは、通貨交換の制限、つまり、例えば円とドルの交換を禁止したり制限したりする措置だ。確かにそうなれば、アメリカとの貿易そのものができないから、もうダンピングにおびえる必要はなくなる。

 

このように通貨価値の混乱は、世界経済を手探りの闇の中へと追い込んだ。しかし世界は脆いね。通貨価値を測るモノサシがなくなっただけで各国は動揺し、世界貿易は、みるみる縮小したんだから。

 

これって、中が見えない箱に手を入れて、中身を当てるゲームみたいだ。視覚というモノサシを失った僕らはたちまちチキンになり、大福に触っただけで「ひゃあ動いた!」などと悲鳴を上げる。

 

しかし、貿易がまったくできないのは困る。世界経済の規模は、昔と比べて格段に大きくなっているのだから、今さら貿易がまったくなかった自給自足体制に戻ることは不可能だ。ならば各国はどうするか?

 

そこで出てくるのが「ブロック経済」だ。ブロック経済とは、共通通貨を使う「自国と植民地の間だけ」で行われる排他的な貿易体制のことだ。確かにこれならば「同じ通貨を使うエリアでのやりとり」だから、為替リスクは避けられる。

 

しかしブロック経済は、戦争へのカウントダウンに等しい。なぜなら絶対、植民地の少ない国が不平不満を言い始めるからだ。ちなみに、植民地を多く持っている「持てるブロック」の代表格は、イギリスのスターリング・ブロックやフランスのフラン・ブロック、アメリカのドル・ブロックなど。

 

逆に「持たざるブロック」は日本の円ブロック、さらには第一次世界大戦で敗戦国となったドイツなどは、ヴェルサイユ条約のせいで植民地すら持っていない。こりゃ、ドイツがヴェルサイユ条約を破棄して軍備増強を始めるのもわかるよ。

 

この後、当然日本やドイツなどの「持たざるブロック」は、植民地の再分割を求めて暴れ出し、それを止めようとするイギリス、アメリカ、フランスらとぶつかることになる。

 

こんな具合に世界恐慌後、外へ外へと拡張するのが植民地の少ない国、「持たざる国」の行動パターンね。一方、「持てる国」であるアメリカやイギリスの方は、自国と植民地のみでガッチリ結びつく「ブロック経済」で、排他的な貿易圏を形成した。この「持てるブロック」と「持たざるブロック」の小競り合いは結局どうなるのか?そう、もはや戦争しかない。

 

日独伊の「持たざる国」が戦争へと向かった理由

 

世界恐慌後、お尻に火がついた「持たざる国」は三つあった。まずは日本。第一次世界大戦では対岸の火事で大儲けした日本だったが、その後は経済が冷え込み、世界恐慌ではここまでの儲けをすべて吐き出してしまった。

 

局面打開のためには、植民地拡大しかない!軍部の台頭めざましかった日本では、1931年に関東軍(満州駐留の日本軍)が独断で起こした柳条湖事件(満鉄爆破事件)を中国側のせいにして満州事変を起こし、清朝最後の皇帝・溥儀を執政とする傀儡政権「満州国」を建国した。

 

しかしそれが、国際連盟派遣の「リットン調査団」によって侵略行為と認定され、日本は1933年、国際連盟脱退を通告された。金に困ってやんちゃして親から勘当されたら、向かう先はもう決まっているね。

 

日本は1936年にドイツと手を組んで日独防共協定を締結、翌1937年には盧溝橋事件(中国側からの発砲)をきっかけに日中戦争が始まった。そして、その中国から手を引けと言ってきたアメリカから経済制裁を受けた後、ついに1941年、日本軍がハワイの真珠湾に奇襲攻撃を仕掛ける。こうして太平洋戦争は始まった。

 

二つ目の国はドイツだ。第一次世界大戦に負け、鬼のような賠償金を請求されたドイツは、アメリカの手助け(経済復興資金を借りたり賠償額を軽減してもらったり)で、本当に辛うじて人の心を保っていた。

 

ところが世界恐慌を境に、アメリカからギリギリ垂らされていたクモの糸もブチッと切れ、ついにドイツは祟り神に……ではなく、ナチス党が第一党になり、1933年にはヒトラー内閣が誕生した。

 

ヒトラー内閣がめざすものは「ヴェルサイユ体制からの解放」、つまりヴェルサイユ条約で課された巨額の賠償金をチャラにし、ハンニバル・レクター教授なみにがんじがらめにされた再軍備への足かせを外すことだった。

 

ナチス党は、その実現のためには「全体主義」が必要であると訴えた。全体主義とは、最終的にみんなが幸福になるために、国民すべてが国家に奉仕し、国家の繁栄をめざすという、言うなれば極右の社会主義思想みたいな考え方だ。

 

世の中が平和に安定しているときなら、そんな個人の自由のない思想は見向きもされなかっただろう。でも今のドイツには、敗戦国特有の卑屈な気分と閉塞感が充満している。ここから抜け出すためなら、人々は何でもしたい。そこに、ゲルマン民族の優越を訴え、景気回復への具体的な道筋を示し、演説と宣伝の巧みなカリスマが現れたら、人々は心をつかまれる。それがヒトラーであり、ナチス党だった。

 

ナチスは1933年、国際連盟を脱退し、公約通りヴェルサイユ条約を破って再軍備と徴兵制を復活した。そして国民に福祉や娯楽を提供しつつ、軍需産業と公共事業を続けることで、経済力と軍事力を回復させ、大衆の心をつかんでいった。

 

ほら、やっぱり重すぎる年貢は一揆の元だって。みんなレクターに共鳴しちゃったじゃん。ドイツを追い込みすぎたツケは大きいぞ。

 

ついにドイツは1938年、オーストリアを併合し、チェコの一部も併合して、ポーランドにもちょっかいを出した。イギリスとフランスはそれを止めようとし、1939年、第二次世界大戦は始まった。

 

最後はイタリア。第一次世界大戦後、不況とインフレに苦しむイタリアでは、ロシア革命も刺激となって社会主義運動が激化し、ストライキが頻発した。彼らは反革命的なファシスト党(資本家層が支持)と対立するが、ストでは生活改善できないことに失望し、やがてすべてがファシスト党へとのみ込まれていく。

 

その圧倒的支持(+反対者への直接的な暴力)を背景に、1922年に党首ムッソリーニは「ローマ進軍」(クーデター)を行い、国王の支持を取り付け首相となる。以後20年間、イタリアはファシスト党の一党独裁体制となる。ファシスト党は反社会主義の全体主義的政党で、ナチスよりも暴力的な要素が強い。

 

世界恐慌後、ムッソリーニは大規模公共事業で失業者救済を図るが、資源に乏しい現状を打破するため、1935年エチオピアに進軍。国際連盟はこれに抗議して、イタリアに経済制裁するも、抑えきれず、翌年エチオピアは併合される。

 

1937年、イタリアは国際連盟を脱退したが、国連が弱体化したのを世界に見せつけた後に脱退とはやるね、イタリア。もともとヒトラーは、ムッソリーニの「ローマ進軍」を真似て「ミュンヘン一揆」(1923年、政権奪取をめざすも失敗。投獄中に『わが闘争』を執筆)を起こしたほどムッソリーニのファンだから、この後必然的に両者は接近していき、この流れで日独伊の枢軸同盟が結ばれていく。

 

結局、第二次世界大戦の経済的要因とは何か?

 

結局わかったことは、通貨価値の混乱からくる世界貿易の縮小こそが、第二次世界大戦の経済的な主要因だったということだ。もちろん政治的にもいろいろな要因があったこともわかったと思うけど、経済的要因の方はここまでシンプルな太い軸にまとめることができるんだ。

 

ならば今後、戦争を経済の側面からなくしたいと思うなら、どうするか?そう、通貨価値の混乱を避けるため、通貨の価値をガッチリ固定させることだね。だから戦後の通貨体制は、「固定相場制」から始まるんだ。

 

 

 

今知っておきたい、90年代のバブル崩壊物語
3
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4回 株価暴落から山一・拓銀・長銀の破綻まで

 

なぜ、あのときバブルは崩壊したのか?誰もがおかしいと思いながら、なぜ気づかなかったのか?失われた20年を生み出したバブル崩壊後の世界を今、学びなおす。代ゼミの人気No.1講師が面白くわかりやすく語る、社会人のための「経済史」学びなおし講義。

 

時間差で気づいたバブル崩壊の足音

 

僕は予備校の授業で「バブル崩壊は1991年から」と教える。実際、地価の下落が始まったのは1991年だから、これは間違っていない。

 

しかし、景気が明らかにおかしくなったなと実感できたのは、1993年の頭ぐらいからだった。でも実は、株価だけなら、すでに1989年末をピークに下がり続けていた。

 

なぜこんなズレが生じたのか?地価下落と不況の実感にズレが生じるのは、これはある意味当然の話だ。だって、不動産がうまく転がらなくなったからといって、その瞬間企業が即死するわけじゃないし、銀行から借りられなくなっても、まだまだ農協マネーをバックにつけている住専や長銀からは資金を借りられたからだ(住専破綻は1995年、長銀破綻は1998年)。

 

ただ、全体的に資金繰りが苦しくなってきているのは事実だから、不況の実感も徐々に追いついてくる。そのタイムラグが12年かかったというだけの話だ。

 

しかし、株価の方は1989年末を過ぎると、その後はかなりヤバいペースで下がり続け、1990年末には日経平均株価は23000円台にまで下落している。これは相当な下げ幅だ。ということは、少なくともこの時点で株価バブルは崩壊し、誰もが日本の先行きに危険な臭いが立ち込めていることを予感できたはずだ。

 

でも、まだその時点では、全体的なバブル傾向は弾けなかった。なぜか?それはまだ、地価が下がっていなかったからだ。つまり、僕らの脳みそは、この数年間バブルの毒にどっぷり浸かって完全にバラ色に汚染されており、すっかり楽観的になった僕らは、この繁栄がもうすぐ終わりを迎えるなんて考えもしなかったのだ(バブルのときはどの国の人もみんなこうなる)。

 

だから、正常なリスク判断ができず、「株価が下がったのなら、土地で取り戻せばいいじゃないか」みたいな考え方になっていたのだ。「パチスロでしくじったから、麻雀で取り返そう」──これはカイジや留年マニアと同じ、クズ人間の発想だ。

 

そして1993年頃、バブル崩壊による本格的不況時代の到来を、僕らは身をもって痛感させられることになる。

 

その年、僕は就職活動の年だった。本来なら1990年がその年だったものを、パチスロと麻雀で3年も留年したからこうなった。当然の報いだ。でも僕は、全然慌てていなかった。なぜなら、昨今の売り手市場なら、3留ぐらいハンデにもならない(なるか)、おそらく多少の苦労はしても、気がつけば一流と名のつく企業のどこかには滑り込めるはずだ。

 

会社員になるのはイヤだなんて駄々をこねてきたが、そろそろ大人になろう。ついに年貢の納め時か……なんて考えながら、僕は毎年山のように届く就職情報誌が配達されてくるのを待った。

 

ところが、来ない。待てど暮らせど、来ない。あれおかしいな。なんで来ないんだ。ひょっとして6年生と7年生の間には深い溝があって、ここを越えちゃいけなかった?それとも、企業の人事課のリストでは大学7年生のページに「ここから無視」とか書かれていて、そこには求人資料を送っちゃいけないことになっているとか。

 

僕はちょっと不安に思いながらも本屋で就職情報誌を買ってきて、この辺なら入ってやってもいいや(バブル学生の発想)と思える企業3社に対して履歴書を送った。

 

しばらく待つと、3社すべてから返事が届いた。僕はその返事を見たとき、あまりの意外な内容に、しばし事情がのみ込めなかった。そこにはそれぞれ違った表現ながらも、ほぼ同じ内容が記されていたのだ。

 

 ──本年度は諸事情により、新規卒業生の採用は見合わせることになりました。

 

え?何これ、どういうこと?バブルはすでに弾けていた。新聞やテレビではだいぶ前からこれを言っていた。僕はそれを、このとき初めて実感した。

 

僕はこの年、就職活動に失敗し、塾講師という名のフリーターになった。そしてそれが合図であるかのように、世の中には企業の倒産、銀行員の逮捕、証券会社の不祥事(損失補填など)などのニュースがあふれ始めた。しかも、この年は未曽有のコメ不足で、僕らはみんな、食いたくないのにタイ米やブレンド米を食わされた。なんて年だ!

 

未曽有の危機に病根は断ち切れず、国債ジャブジャブ状態

 

バブル経済の崩壊──この未曽有の事態に対し、日本政府は「緊急経済対策」を実施すると発表した。これは、新規国債を発行して、これを財源に所得税減税と公共事業を行うという、不況時の最もオーソドックスな財政政策だ。今までに経験した普通の不況なら、この政策で徐々に景気は回復する。

 

だが、政府の考えは甘かった。今の日本はバブル経済が崩壊したのだ。ならやるべきは、有効需要を創出するだけでなく、すべての病根である銀行や証券会社などの金融業界の大掃除、体質改善もやらねばならない。

 

つまり、金をバラまいて国民の消費を多少刺激できたとしても、金融の要にいる銀行・証券がちゃんと機能していなければ、要所要所で金の流れが止まる。

 

結局、この総合経済対策は、数回やったが効果がなかった。国民に残されたものは、相変わらず出口の見えない不景気と、赤字国債発行による、巨額の財政赤字だけだった。せっかく1989年の消費税3%の導入から発行せずにきていた赤字国債だったのに、僕の就活の年から、またジャブジャブと発行を始めたのだ。

 

銀行には担保があるのに、なぜ回収不能?

 

バブル後の景気回復を大きく遅らせた原因の一つに、銀行の不良債権問題がある。不良債権とは「回収不能(あるいは困難)になった貸付金」のことだ。つまり、金を貸した相手が法律上の倒産整理の段階にある(=破綻先)、倒産はしていないが事実上経営破綻の状態にある(=実質破綻先)、今後破綻する可能性が高い(=破綻懸念先)、などへの貸付金ということ。

 

見てわかる通り、どれも貸した相手がすでに死に体同然だから、そこから金を回収できないというのは理解できる。バブルが弾けて返済能力がなくなったんだから、これはもう仕方がない。

 

ただ、ここで解せないのは、なぜそれだけで回収不能になるのかということだ。だって銀行は、カネを貸すときにキッチリ担保を取る。つまり「あんたに5000万円貸すけど、その代わりあんたの工場を担保に取るからな。これでアンタが倒産しようが死のうが、その工場を売っ払えば、私ら銀行は損しない」という契約で金を貸すわけだ。これなら銀行に「回収不能の貸付金」なんて、生まれるはずがない。

 

でも実際には、銀行はバブル後、巨額の不良債権に苦しんだ。その理由は「過剰融資」のせいだ。バブルの頃、銀行で過剰融資が横行していた。つまりバブル期には、将来的な地価上昇を見越して、現在の担保価値以上に金を貸すやり方、ブローカーが銀行員とぐるになってニセの稟議書を書かせるやり方などが横行していた。

 

でもこんなの、バブルが弾けて金を借りた社長が夜逃げでもしようものなら、銀行に残されるのは、貸した金よりはるかに価値の低いクズ不動産だけだ。しかも、今はバブルが弾けてその不動産の価値もマッハの勢いでダダ下がりしている。

 

南青山の億ションの話では、「譲渡担保」なんていうやり方まであった。これは「今から買う10億円の億ションを担保に10億円借りる」というやり方だが、投機物件を中心に不動産価格が猛スピードで下落している時勢となっては、こんなバブルの見本みたいな物件に、担保価値などほぼないに等しい。

 

そして銀行マンたちは、この不良債権問題から目を背けた。なぜなら、彼らの多くは大なり小なりバブル期にやましい融資を手がけたことがあるからだ。

 

それが上司からの命令なのか、カネのためなのか、それともノルマに追われて魔が差したのかはわからない。でも、全行員がうっすら共犯関係を共有している状態では、銀行の自浄作用など期待できない。

 

利権の温床「住専」になんと公的資金を注入

 

 1995年、ついに住専が飛んだ。農協マネーをバックにつけ、資金面では問題ないかに見えた住専だったが、いかんせん銀行系の不動産バブルが完全に崩壊し、不動産投機自体が全体的に冷え込み、また顧客の多くが住専以外のバブル崩壊に巻き込まれて討ち死にしてしまったため、とうとう破綻したのだ。新規の客が激減し、なじみの客が不良債権化。これでは、いかに農協マネーという裏技使いの住専でも、ギブアップするほかない。

 

そしてこの住専破綻、実はこの後、問題が大きくなる。なんと政府は、破綻した住専に対し、6850億円もの公的資金を注入することを決定したのだ。これには誰もが驚き、怒った。当たり前だ。公的資金を注入するということは、住専だけえこひいきして助けるということだ。

 

どういうことだ政府!なんで俺らを見殺しにしておいて、住専だけ助けるんだよ。うちの会社だって倒産したんだから助けろよ。金融システムの信頼回復のために仕方ないとか言っているけど、住専なんてそもそもノンバンクじゃないか。なんでそんな銀行でもないところを助けるのに、俺らの税金を使うんだよ。こんなの全然納得いかないぞ。何かやましいことでもあるんじゃないのか?

 

 ……やましいこと、ありまくりだった。実は住専は、コテコテの大蔵省の天下り機関だったのだ。そもそも考えてみれば、住専には最初から怪しいことが多すぎた。まず住専は、多くの銀行の共同出資でつくられたが、なんでライバル行同士で共同出資をする必要があったのか。今でこそ当たり前に行われている銀行合併だが、この頃は他行との協力なんてありえなかったはずだ。

 

それから社長。住専は細かく見ると8つの会社の総称だが、そのうち7社が破綻した。そして、その破綻した住専7社中、6社の社長が元大蔵官僚だった。

 

それから不自然な規制。大蔵省は不動産融資総量規制を各銀行に通達したが、なぜか住専と農協系金融機関だけは対象外だった。

 

さらには、大蔵省と農水省の密約。大蔵省は農水省との間で、住専に農協マネーを投じる代わりに、破綻時には農協マネーを優先的に救済する覚書を交わしている(これは1996年の「住専国会」で取り上げられ、大問題になった)。

 

どうでしょう。これで大蔵官僚が「私たちと住専は関係ありません」なんて言ったら、霞ヶ関を出た瞬間、善良な納税者たちからタコ殴りだ。住専は大蔵官僚にキッチリ私物化されていた。つまり住専は、大蔵官僚が自らの利権のために支配下の銀行たちに「つくらせ」、その上で農水省や農協、自民党をも巻き込んだ利権の温床にしていたのだ。

 

でも政府は、そんな国民の声をよそに、住専への公的資金注入を決定した。これを機に、日本では金融機関を公的資金で救済するという悪しき慣習が生まれたのだ。

 

急速に進む「謎の円高」の正体とは?

 

住専と不良債権のことばかり書いてきたが、実はこの頃、他の部分でも、日本経済は踏んだり蹴ったりの状態だった。

 

 1995年、日本は謎の円高に襲われた。確かに最近、日本は消費が停滞し、「外国のモノを買わず、日本のモノばかり売る」だった。これをやると外国人の円需要ばかり増える(日本のモノを買うために円が必要)から、どうしても円高になる。

 

でも、そんなレベルじゃなく、このときの円高は猛烈な勢いで進んだ。1990年代は「1ドル=150円」ぐらいから始まって、そこからずっと円高が続いていたが、それが1995年初頭には「1ドル=100円」、それがその後90円になり80円になり、そして419日、為替レートはついに「1ドル=79円」の当時最高値を記録した。

 

なぜだ!日本はこの間、バブル後の不況に加え、阪神淡路大震災まであったんだぞ。それがなんで円高につながるんだ!?

 

実はこのときの円高は、いろいろと国際社会のオトナの事情がからんだ、複雑な円高だった。アメリカが採った対日貿易赤字の縮小策と対中国優遇の元の切り下げ、メキシコ通貨危機に端を発する海外投機マネーの円への避難、震災後の保険金支払いに備えて日本の生保・損保が外貨資産を売却して円買いを行ったこと、そしてこれら諸々を見通した上での、投機筋による円の思惑買い……こんなところか。

 

不況の上にこれだけ円高が進んだんじゃ、もう日本経済は粉々だ。この頃はもう日本中がヤケクソで「海外旅行が安くて得じゃん」と騒ぎまくっていた。海外逃亡の間違いだろと思ったが、とりあえずみんな行ってたな、海外。何にせよ、これだけ円高が進んでは、日本の本来のお家芸・輸出でも利益は出ない。これはもう詰みだ。日銀はこの後、公定歩合を0.5%まで引き下げた。

 

銀行はパンドラの箱を押さえ続ける死刑執行人

 

公定歩合0.5%。ふつうなら「ウソだろ?」と騒ぎ出すほどの冗談じみた史上最低金利だが、バブルとともにパーンと弾け散ったバラ色の脳の破片を呆然と拾い集め、頭の中にカラカラと詰め直している最中だった僕らは、もはやどんな情報を聞いても「ふーん」という無感動な反応しか示せなくなっていた。

 

でもこれ、冷静に考えたら、とんでもない低金利だ。だって、バブルのきっかけは公定歩合2.5%だったし、そのとき銀行が「安い!」と騒いで日銀から金を借りまくったせいで、カネ余りから日本がバブルに走ったんだから。それが0.5%ということは、そのときの5分の1か。ということは、今度はこれがきっかけで、あの頃の何倍ものバブルが発生するんじゃないのか?

 

でも、そうはならなかった。銀行はカネ余りに浮かれるどころか、来る客来る客みんな追い返す「貸し渋り」に奔走したのだ。なぜか?それはバブルでいちばんダメージを受けたのが、他ならぬ銀行だったからだ。

 

銀行はこの頃、巨額の不良債権を抱えていた。そしてその不良債権は、処理したくてもできないパンドラの箱だった。無理にこじ開けたら、何が飛び出てくるかわからない。出てくるものは損失だけなのか、それとも逮捕か解雇か廃業か……。いずれにせよ、最後に残るのは希望ではなく絶望だ。ならそんな箱、誰が好んで開けるものか──

 

すべての銀行はこの意識を共有し、組織ぐるみで不良債権から目を背けた。そんな後ろ向きになってしまった銀行が、客にカネなんか貸すわけがない。この頃の銀行には、来る客すべてが不良債権の卵にしか見えなかった。今彼らにできることは、これ以上傷を広げないことだけだ。

 

結局、彼らはこの時期、神さまであるはずのお客様にケツを向け、全力で腐臭漂うパンドラの箱を押さえ続けた。ついでに彼らは「貸しはがし」なんてムチャもやり、せっかくバブルの荒波に耐えて生き残った中小企業から、担保割れを理由になけなしの運転資金をむしり取って死刑宣告した。

 

「銀行は晴れの日にムリヤリ傘を貸し、雨が降ったら取り上げる」──『半沢直樹』で使われたこの言葉には、この頃銀行のケツを舐めさせられた企業の怨念がこもっている。

 

国民をますます追い込む財政構造

 

 1997年、政府はバブル後の不況が続いているにもかかわらず、時代に逆行する政策を打ち出した。「財政構造改革法」だ。これは簡単に言うと、「不況だけど、みなさんからお金をむしり取りますね」という法だ。

 

つまり政府は、バブル後の不況対策として何回か「緊急経済対策」をやったが、全然効果がないまま、気がついてみたら借金ばかりが巨額に膨らんでしまったことに慌てたのだ。

 

そこで橋本(龍太郎)内閣が、苦渋の決断として、僕らに負担をかけることを承知の上で、まず財政構造の健全化を図ったのだ。そこで実施されたのが、消費税の引き上げ。そう、あの3%から5%に上がったときのことだ。それに加え、医療費の引き上げ(このときからサラリーマンは1割負担から2割負担にアップした。今日は3割負担)、所得税の特別減税の中止などもセットで行われたため、国民負担は一気に9兆円も増えた。

 

これだけでもガタガタなのに、さらに追い打ちをかけるように、同年「アジア通貨危機」まで起こった。こいつのせいで対アジア融資の多くが不良債権化してしまい、これらすべてに対する不満は、橋本内閣に向かった。

 

橋本内閣は、翌1998年の参院選で惨敗し、辞任した。その後は小渕(恵三)内閣が引き継ぐことになる。

 

山一・拓銀・長銀破綻!ついに崩れ落ちた日本の金融機関

 

 199798年には、大手金融機関が連鎖的に経営破綻した。まず199711月、北海道拓殖銀行が破綻した。たくぎんは、ローカル色が強いため、都市銀行の中では弱小と見なされがちだが、実は北海道経済を支えてきた大銀行だ。その都銀初の経営破綻というニュースに、日本中があっと──驚かなかった。

 

それより「ああ、やっぱりそろそろこうなるのね」という、冷めた反応の方が多かった。さすがにもうみんな脳のリハビリは済み、物事をちゃんと正しく「悲観的に」とらえられるようになっていた。

 

そして、拓銀破綻のちょうど1週間後、今度は山一證券が自主廃業した。山一といえば、野村・大和・日興と並ぶ「四大証券会社」の一つだ。法人の山一なんて言葉も、就活している友人から聞いたことがある。

 

さらには1998年、今度は長銀二行が破綻した。長銀とは「長期信用銀行」の略で、吉田茂首相がかつて唱えた「金融の長短分離(短期資金は銀行から、長期資金は長銀から)」をめざして設立された三行(日本興業銀行・日本長期信用銀行・日本債券信用銀行)だ。

 

三行は1952年から順次設立され、そこに深く関わったのは、後に首相となる池田勇人。戦後復興と高度成長のための設備投資資金を支えることが主な目的だ。しかし長銀も、バブル期には客が減って苦労した。もう高度成長期ほど設備投資もないし、好景気のせいで運転資金も足りている。なら長銀も、客を確保するには、もはや時代遅れの産業金融じゃなく、もっとバブル的な方向(つまり土地や株)への投資をと思ってしまった。この辺は、他の銀行や住専と同じだ。

 

というわけで、長銀もよそ同様、バブル物件を求める顧客やリース会社にジャブジャブ金を貸し、バブル後破綻してしまったのだ。しかしこの長銀、実はかなりの伏魔殿で、すでに破綻しているのに、謎の力で守られているかのようにつぶれなかった。というか、本人はもう死んで楽になりたいのに、不自然な力がムリヤリ死なせてくれないみたいな感じ。それはまるで、誰かが長銀に糸を付けて、傀儡よろしくムリヤリ生かそうとしているようだった。

 

では、誰が長銀を生かそうとしたのか?ここがつぶれるとまずい人って誰だ?長銀は池田勇人の肝煎りでつくられた銀行であり、自民党「宏池会」(保守派閥)とのつながりが非常に深かった(というか宏池会の財布的な銀行だった)。

 

長銀は産業金融メインでやってきたため、ゼネコンへの貸付が多いが、そのゼネコンは自民党の活力の源(集票&献金)なので、これを支える長銀が破綻するのは、自民党的にはまずかった。つまり、自民党が必死に守りたがったということだ。

 

長銀には、石油公団や東京電力への融資という「政策金融の一翼を担う」側面があったため、自民党的には破綻されるとまずかった。長銀の別働隊ことノンバンクの「日本リース」は、農協マネーの借り入れも多く、自民党としてはツブせなかった。

 

結局この年、7月発足の小渕内閣では、首相自らまで長銀の縁談(身売り相手探し)に奔走し、それがご破算になるや、今度は10月に金融再生法をつくって長銀を「特別公的管理」(一時国有化)にした。

 

そして「宮澤喜一蔵相柳沢伯夫金融再生委員長」の宏池会ラインで長銀をガッチリ守りつつ、受け皿が見つかるまで何が何でも長銀をつぶさない方針が採られた。その後長銀では、粉飾決算や飛ばしがらみで何人もの逮捕者が出たが、なぜか最高裁では無罪になることが多かった。また、粉飾決算に関わった長銀の幹部2人は「立て続けに自殺」した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この10年で世界を変えた出来事とは?
教養として知っておきたい2000年以降の世界経済史

 

5回 ITバブル崩壊からリーマン・ショック、ギリシア危機まで

 

蔭山克秀

 

https://diamond.jp/articles/-/60478

 

アメリカのITバブル、不動産バブルが崩壊し、リーマン・ショックを引き金に世界同時不況へと陥った世界経済。なぜバブルは弾けたのか?わかっているようでなかなか説明できない、2000年代の混迷する世界の経済史を、代ゼミの人気№1講師が面白く教える、社会人のための学びなおし講義。

 

なぜ、親分のもとに世界中から投機資金が流れ込んだのか?

 

 2000年代のアメリカのITバブルに触れる前に、1990年代の時代背景について少し振り返ってみよう。

 

 1993年に大統領となったクリントンは、レーガン ブッシュと続いた財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」路線から決別し、アメリカ経済の再生をめざした。クリントンは、高額所得者に対する所得税増税などを実施して財政赤字の削減をめざす一方、産業構造を「製造業や重工業中心」から「金融やIT中心」へとシフトしていった。その結果、アメリカで活躍する企業は、「GMよりもメリルリンチやヘッジファンド」になり、アメリカのイメージは大きく変わった。

 

そうなると、アメリカは輸出メインの国ではなくなる。だからアメリカは、ドル安よりむしろドル高の方が儲かるとの判断が生まれ、1995年から久々にドル高政策が実行された。

 

つまり、「ドル高=アメリカの株式や債券の価値が高い」だから、そうなると外国の投資家もアメリカの株や国債をほしがるようになり、結果的に世界中の投機マネーがアメリカに集まってくるという寸法だ。

 

そして、そんな流れの中で、「ITバブル」も発生した。ITバブルの流れそのものが生まれたのは、ちょうどクリントン政権発足と同じ時期だ。アメリカでは1993年から今日型のウェブサイトが登場し、1994年にはネット上の仮想書店アマゾンがeコマース(電子商取引)の先駆として現れた。そして1995年には「Windows95」の発売とネット株取引が始まり、ここで一気に火が点いた。

 

ちょうどアメリカでドル高政策が始まったのもこの時期だから、この流れで世界中の人々が、新しいツールであるインターネットを通じて成長産業であるIT企業の株を買い、アメリカに投機資金を集中させ始めたことになる。

 

さらにこの後、パソコンがさらに安価になり、パソコンユーザー数とウェブサイトの数は急増していった。しかも1997年には異端の天才スティーブ・ジョブズがアップルに復帰し、ITへの注目と期待は高まる一方となった。

 

そしてそんな中、1997年のアジア通貨危機と1998年のLTCM(大手ヘッジファンド)破綻などで、行き場を失った投機マネーが世界中にあふれ始めた。しかもその時期には、アメリカで低金利政策も始まった。

 

もうここまで条件が整えば、ITでバブルにならないはずがない。結局、1999から2000年にかけてIT関連ベンチャーの株価が急上昇し、アメリカでは「ITのおかげでインフレなき経済成長が半永久的に続く」という「ニューエコノミー論」が囁かれるに至ったのだ。

 

確かにIT化が進めば、人減らしやオフィス縮小が可能になって企業のコストが削減され、商品代を安く(インフレなしに)抑えることができる。しかもその企業を人員整理でクビになった労働者も、世の中ではIT関連の別企業がどんどん生まれ続けているから、すぐに新たな雇用にありつくことができる。なるほど、この通りいくなら確かにインフレなき経済成長だ。

 

しかし、アラン・グリーンスパン議長(米中央銀行制度であるFRB〈連邦準備制度理事会〉議長)は、この頃アメリカの状況を根拠なき熱狂と呼び、日本のバブルと同種のものである可能性を警戒していた。

 

だから彼は、景気の過度の過熱を恐れて、2001年にアメリカの公定歩合にあたるフェデラルファンド金利を上昇させた。そしてその年、エンロンの破綻、9.11の同時多発テロなどもあって、アメリカのITバブルは崩壊した。

 

人類がこれまでシャブをうまく使えたことはない

 

しかしこのITバブル、確かに崩壊したにもかかわらず、ずいぶんとひっそりした崩壊だった。この年は、話題が豊富だったというのもあるだろうな。21世紀のスタート、ジョージ・W・ブッシュ大統領の政権誕生、9.11の同時多発テロで世界貿易センタービルが大破、首謀者ビンラディンとテロ組織アルカイダ、そのアルカイダをかくまうアフガニスタンのタリバン政権討伐、日本で小泉内閣が大人気等々……。さすがにこれだけ話題に事欠かないと、ITバブル崩壊に注目が集まらないのもわかる。

 

でも、注目されない理由は、それだけじゃなかった。実はITバブル崩壊後、アメリカは日本みたいな深刻な不況には陥らなかったのだ。なぜか?それは不況対策・テロ対策でFRBが行った低金利政策がもとで、アメリカはカネがだぶつき、今度は不動産を中心としたバブルへと移行したのだ。

 

バブルに続くバブル──。もう呆れるべきか羨ましいのかわからん。でも何にせよ二種類のバブルを連続させたおかげで、アメリカは「クリントンブッシュ期の最後」まで、切れ目なく好況が続いているように見えたんだ。

 

でも、バブルは必ず弾ける。歴史上バブルは何度もあったが、弾けなかったバブルは一つもない。格言みたいだが、カネ余りあるところバブルは起こり、期待感しぼむところバブルは弾けるだ。

 

僕ら日本も経験したが、不況対策に不自然な低金利を継続させてバブルを誘発するパターンは、肉体的苦痛に耐えかねてシャブに手を出すようなものだ。効き目はバツグンだが、後には必ず地獄が待っている。

 

「麻薬もクスリの一種なんだから、うまく使えば問題ないでしょ」

 

政府や通貨当局はそう考えて、ある意味確信犯的にバブルで不況脱出を図ることもあるようだが、今まで人類が「うまく使えた」ためしはない。無理なんだよ。うまく使えていたら弾けるなんて表現、生まれないんだ。バブルをコントロールするなんて芸当、人類にはできない。「シャブを適量使えるヤツ」なんて聞いたことがない。そんな小器用なマネ、浅ましい欲望まみれの人類にはとうてい不可能だ。

 

どの国の政府筋も、一度はそれを夢見るらしい。だからアメリカも中国も、日本がのたうち回っている禁断症状をさんざん横目で見てきたくせに、「うちは同じ轍は踏まない」とか言いながら、同じ轍を踏みにいく。

 

シャブは破滅への片道切符だ。買うときにプッシャー(売人)が説明した薬としての効能は、全部ウソだ。日米中がそれぞれどんな神様に祈っても、ゴールは必ず同じ地獄だ。後に来るのが地獄とわかっているなら、せめて多少なりともマシな地獄にしたい。よく言われるバブルからの軟着陸、果たしてアメリカにやれるのか!?

 

40代の独身ニートに4000万円の住宅ローンを組めるか?

 

アメリカは、ITバブルと同時多発テロの後始末のため、2000年代前半から低金利政策を継続した。そしてそのせいで、今度は不動産でバブルが起こった。ここまでは、さっき見た通りだ。

 

その不動産バブルの目玉商品となったのが「サブプライム・ローン」だ。サブプライムとは、直訳すると優良より下、つまりこれは「低所得者向けの住宅ローン」という、今までにない画期的な住宅ローンだ。

 

ふつうありえんでしょ。だって低所得者を相手に、よりによって人生最高の高額商品を売るんだよ。例えば、親の年金をあてにしている40歳独身ニート男に4000万円の住宅ローンを組んでやる度胸、みなさんが銀行員ならありますか?ないでしょ。当たり前だ。こんなの度胸じゃない。無謀シャブによる錯乱だ。

 

アメリカは今、政府がプッシャーとなって国民をシャブ漬けにしている最中だから、これもその過程で発生した錯乱か……と思いきや、そうではなかった。実はこのサブプライム・ローン、ちゃんといろいろ考えられていたのだ。

 

まずこのローン、貸すときの基本は「譲渡担保」だ。譲渡担保とは、バブルのところで南青山の億ションを転がす人がやってたやつ、つまり「今から買う10億円のマンションを担保にするから10億円貸してくれ」というやり方だ。

 

サブプライム・ローンでも同じ担保設定にしておく。そうすれば、低所得者が返済不能になっても家をぶん取ればすむだけだし、このローンで家を買う人が増えれば、ますます住宅価格が高騰して担保価値も上がっていくから、いいことだらけだ。

 

それから、「貸出金利」。低所得者は信用ならないから、将来的な返済不能に備えとかないといけない。そこで、ふだんから高金利で貸す。これならば早い段階で利益の回収ができるから安心だ。よしんばその高金利がアダとなって返済不可になっても、そのときは家をぶん捕りゃ大丈夫ってやつね。

 

でもやっぱり、低所得者は返済能力が不安だ。そこで念のため、住宅ローンそのものを小口債券化して、多くの投資家に買ってもらうことにした。これは例えば「4800万円+金利」という住宅ローンの返済受け取り権を、100人で分割所有するようなやり方だ。

 

そうすると一人当たりの受け取りは「48万円+金利」になる。これなら、受け取り額を独り占めして丸儲けはできない代わりに、一人で低所得者を相手にするリスクを避けることができる。

 

そして、その小口債券を、ファンド(投資信託会社)や証券会社、生命保険会社などが扱っている高利回り商品が詰まった福袋みたいな金融商品パッケージに混ぜてもらって、一般投資家に売ってもらえれば完成だ。これで、高利回りでリスク分散も完璧な人気商品の誕生だ。

 

こうしてサブプライム・ローンは、大人気の金融商品となった。おかげで住宅もどんどん売れ、住宅価格は上がり続けた。これで担保価値も万全だ。ところが、ここで誤算があった。住宅価格が上がりすぎたせいで、今度は逆に買い手が減り始めてしまったのだ。

 

考えてみれば、当たり前の話だ。だってさっきの年金依存型独身ニート40に、いきなり「1億円の家を買え」って言うようなもんだよ。100%ひるむぞ。無職無収入のニートが、そんな大それた買い物するもんか。

 

そして買い手が減ると、住宅価格も当然下がり始める。これはヤバい。譲渡担保の価値が、どんどん目減りしてしまう。しかもそれに加えて、先に貸し付けた低所得者たちが、案の定どんどん返済不能になっていった。だからやっぱり無理だったんだって。

 

バブルのときってこんなふうにないところに市場を掘り起こすことで金儲けのチャンスを広げようとしがちだけど、バブル脳の無根拠なポジティブさで市場拡大を図ったら、原野も一等地に見えちゃうって。冷静な人なら誰でも気づけることに、酔っぱらいだけが気づかない。当たり前だけど、低所得者に高い物を買わせるのは無理だ。

 

これは相当ヤバくなってきたぞ。今の状況を整理すると、「返済不能者から担保の家を取り上げても、住宅価格が下がっているから、売ると損失がどんどん出る」状態だ。これは投資家が不安になるね。

 

だって、せっかく買った楽しい福袋の中に、腐ったミカンが一つ入っているんだよ。こんな福袋を持っていると、金儲けどころか大損だ。だから投資家たちは、福袋をパッケージごと売った。そしてそのせいで……

 

世界的な株安が発生した。なぜなら、サブプライムの小口債券がパッケージングされた金融商品には、株式や他の金融商品も入っていたからだ。つまり「パッケージごと大量に売る=株を大量に売る」にもなり、収拾がつかない株安へと波及したのだ。

 

リーマンブラザーズが「即死」した理由とは?

 

サブプライム・ローンの破綻、これは正確には、2007年から問題化し、2008年に破綻した。まず2007年、アメリカの大手証券会社・ベアスターンズの傘下にあるヘッジファンドが、サブプライムで巨額の損失を出し、経営破綻した。これがきっかけで、世界的な金融不安が始まった。

 

そして翌2008年、例のパッケージングを多く扱っていたリーマンブラザーズとAIG生命(米最大手の証券会社と生命保険会社)が経営破綻した。いわゆる「リーマン・ショック」だ。今度こそ掛け値なしに、アメリカのバブル崩壊だ。

 

サブプライム・ローンの怖いところは、その運用に「レバレッジ」(てこの原理)が使われていたということだ。レバレッジとは、先物系の信用取引などで使われる手法だ。先物取引とは、金融商品や現物商品の将来的な値動きを予測し、「数ヵ月後の売買契約」をあらかじめ行う。

 

そしてその数ヵ月後、自分の売り予想買い予想が世の動きと合致していれば、利益を得られるという取引だ。そしてその取引では、レバレッジが使われる。いや正確には、その証拠金取引でレバレッジを利かせることができる。証拠金取引とは、少ない金を手付金として大きな額の売買契約を結ぶことで、例えば10倍のレバレッジが利いた証拠金取引なら、100万円を証拠金にすれば、1000万円の売買契約を結んだことになる。

 

そうすると、予想通りに利益を得られるときには10倍の金がもらえるが、予想に反して損失が出たときには10倍の支払いを強いられることになる。実はこのレバレッジ、ヘッジファンドに対しては、すでに規制があった。1998年にヘッジファンド最大手のLTCMがロシア国債に大きなレバレッジを利かせて経営破綻したため、それを機にレバレッジ規制がかけられていたのだ。だから今回のサブプライムでは、レバレッジはせいぜい34倍と傷は浅めだった。

 

ところがその規制、投資銀行や生保、証券にはかけられていなかった。だから多くの金融機関は、なんと2040倍ものレバレッジを利かせて信用取引していたのだ。そしてそのせいで、金融界の巨人ともいえるリーマンブラザーズやAIG生命といった大手金融機関が、あっという間に即死したのだ。

 

ブッシュから政権を引き継いだ直後のバラク・オバマ大統領は、就任早々困難な局面に立たされた。バブル後の処理は、下手に対応を誤ればアメリカ経済は撃沈し、日本で言うところの失われた10とやらの戦犯扱いされてしまうぞ。

 

でも、オバマの判断は速かった。オバマは、リーマンブラザーズは救済せず、AIG生命を公的資金投入で救済した。いろいろ批判されることも多い決定だが、決断が遅いと手遅れになるという日本の失敗から学んだ迅速さではあった。

 

結局アメリカは、対処の速さも功を奏して、日本のバブル後よりはるかに速く、株価の方は持ち直した。しかし、実体経済に与えたダメージも大きく、こちらの回復にはまだまだ時間がかかりそうだ。

 

そして、ここでもたもたしている間に、中国に経済力で急迫されてきた。つまり、リーマン・ショックは、世界経済の覇権がアメリカから中国に移る転換点となった可能性があるのだ。どうする?オヤジが慣れないビジネスヤクザ路線で大ヤケドして、のたうち回っているところへ、すごいガタイの大男がにじり寄ってきたぞ。いよいよ世界経済の組長交代劇か!?

 

リーマン・ショックは世界をどう混乱させたか?

 

このリーマン・ショックが、世界に与えた影響は甚大だった。まず欧州では、アメリカ系投資ファンドを利用していた金融機関が、すべて深刻なダメージを受けた。

 

例えば、ドイツやスイスでは銀行に公的資金が投入されたし、イギリスでは数行の銀行が国有化された。さらにすごいのはアイスランドで、ここではなんと全銀行が国有化されたのだ。ほんの十数年前までは静かな漁村みたいな国だったアイスランド、ここんとこ急に羽振りがよくなったって聞いていたけど、それはアメリカ型の金融に特化していたってことか。そしてそれが全部パーになったんだな。

 

それから、サブプライム・ローンに入ってきていた巨額の投資資金、これらが行き場を失って、原油や農産物などの一次産品に流入してきた。そのせいでガソリンがバカみたいに高くなって、ガソリンスタンドに長蛇の列ができていたのを今でも覚えている。

 

さらにはドル安。これは困る。アメリカの信用低下でドルの価値が下がると、相対的に円高になってしまう。2011年に「1ドル=75円」なんて円高が進んだのも、元を正せば出発点はリーマン・ショックからだ。

 

あと、消費。あれだけ消費大好きだったアメリカ人がモノを買わなくなったせいで、日本は非常に困った。日本のモノは現状まだ「いいモノだけど、アジアには高すぎ」だ。結局、日本の製造業は、アメリカ頼みだったということだ。中国の富裕層も買ってくれるようにはなってきているけど、そちらの市場はまだまだ小さい。

 

ギリシア問題でズタボロになった日米欧の最弱争い

 

アメリカのリーマン・ショックのせいで、2009年は「世界同時株安から世界同時不況」が発生する、最悪な年だった。この年は、日米欧ともマイナス成長を記録した。三役揃い踏みで負け越しなんて、史上初だ。

 

でも、いちばん傷を負っているのは、間違いなくオヤジだ。オヤジは華麗なるビジネスヤクザに転身したと思い込んで慣れないマネーゲームに酔い、そのせいで全身を焼かれ、ただ今大ヤケドで入院中だ。

 

こんなときこそ、身内筋が、組織を盛り上げていかないといけない。若頭である日本も、まだ20年前の大ヤケドの傷が癒えていないが、湿布や包帯でごまかしつつ、欧州のオジキたちがわりかし元気なのに期待して、何とか頑張っていくつもりだ。

 

ところが、そのオジキたちが、いきなり身内に撃たれた。ギリシア問題だ。ギリシアでは2009年に政権交代があり、首相がカラマンリスからパパンドレウへと代わった。その新政権が国の財政状況を調べたところ、旧政権の隠ぺいが発覚したのだ。

 

実はギリシアの財政赤字、公表額よりはるかに多かったのだ。公表額はGDP比5%だった赤字が、実際は12%。これは日本で言うなら、「国債発行額は25兆円分と発表しておきながら、実は60兆円分でした」というのと同じくらいの大ウソだ。

 

これはマズい!EU加盟国の場合、一国の信用低下は、ユーロ全体の信用低下につながる。だって、ふつうならギリシアだけの信用低下で終わる問題も、使っている通貨が共通通貨のユーロじゃ、ユーロ全体がマイナス方向に引っ張られちゃうからね。

 

つまり、諸外国が「ギリシアと関わりたくない=ユーロと関わりたくない」と思うわけだ。リーマン・ショックのたとえでいうなら、今度はギリシアがサブプライム証券、つまり腐ったミカン状態になったわけだ。

 

この後、当然ユーロの価値は下落し、そのせいで円が相対的に押し上げられてしまった。その結果、日本は2011年に「1ドル=75円」なんていう超円高になったんだ。

 

こんなのありえないでしょ。だってバブル後の失われた10がそろそろ“20になり、東日本大震災でさらに景気がド凹みした国の、一体どこが良くて円が高いの?円が高いってことは、みんなが円をほしがるから価値が上がるってことだよ。これでは全然説明がつかないでしょ。

 

これは簡単に言うと、三大通貨のうちの二つが虫の息になったから、それよりは満身創痍若頭の方がわずかにマシという判断だ。なにが三大通貨だ、ただの最弱争いじゃん。

 

オヤジは全身大ヤケドで入院中、オジキたちは組織の内紛で身内にマシンガンを乱射され虫の息、そして若頭は全身包帯だらけのミイラ若頭で、こいつが一番マシ。なんだこの組織、もう終ってんじゃん。

 

あとは、欧米が揃ってズタボロになったから、貿易黒字で国力回復を図ろうと、日本に円高を意図的に押しつけてきたのもあるだろうな。いわゆる「近隣窮乏化政策」だ。これ困るんだよ。これされたら、日本と欧米の関係が悪化する上、円高誘導を狙った欧米の為替介入に投機筋も乗っかってくるから、円高に歯止めが利かなくなる。実際その結果が「1ドル=75円」。ひどいもんだ。

 

 

 

中国はなぜ日本を超える経済大国になったのか?
3
分で読む教養としての中国現代史

 

最終回 毛沢東から習近平までの国づくり

 

 

 

今や世界第2位の経済大国となった中国。バブル景気に浮かれる様子を斜めに見るしかない日本にとって、この国はいつの時代も近くて遠い国だ。日米欧三役そろい踏みで負傷中のなか、「眠れる獅子」はなぜ目覚めたのか?戦後の国づくりから今日のバブル、今後のチャイナ・リスクまで、教養として最低限知っておきたい中国の現代経済史を、代ゼミの人気No.1講師が面白くわかりやすく教える。

 

毛沢東は革命の天才だが、国づくりは下手くそ

 

最終回は、日米欧に代わる新興国の台頭、新しい世界の組長になる可能性を秘めた、躍進中の中国の経済について取り上げてみよう。

 

「中国が伸びてきたね~」なんて言い方をしていたのは、今や昔の話。もともと基礎体力のある国(人口が多い・国土が広い・資源が多い)だけに、伸び始めると速い。今の中国は分野にもよるが、トータルで日本より前を走っている。世界第2位の経済大国という日本人お気に入りの称号も、2010年にGDPを抜かれて以降、今や彼らのものだ。

 

でも、アヘン戦争の頃から眠れる獅子が得意技で、ずーっとそのデカい図体を持て余していたはずの中国が、一体何がきっかけでここまで目覚めたのか!? それをこれから考えてみよう。

 

戦後中国は、毛沢東によってつくられた。毛沢東は、革命の天才であり、中国建国の父だ。彼は戦時中、植民地化が進む中国内で宿敵・蒋介石の国民党と手を組み(=国共合作)、日本軍に抵抗した。

 

そして、第二次世界大戦が終わるやいなや、今度はその国民党と戦い(=国共内戦)、勝利した。そして蒋介石ら資本主義の国民党一派が台湾へ亡命した後、ついに1949年、中華人民共和国の建国を宣言した。社会主義の中国の誕生だ。

 

ここまではよかった。だが、ここからがいけなかった。実はこの毛沢東、革命の天才ではあったが、国づくりはものすごく下手くそだったのだ。毛は1956年、「百花斉放百家争鳴」を提唱した。これは共産党への批判を歓迎するという運動で、ソ連でフルシチョフが、死んだスターリンを批判し始めたのとほぼ同時期に始まった。

 

ということは、毛沢東はそこからソ連型の抑圧政治は反動がキツいと感じ取り、それを反面教師にして、中国を国民誰もが思ったことを口にできる「開かれた社会主義」にしようと思ったわけだ。なるほど、さすが毛沢東。

 

しかし、いざフタを開けてみると、まあ出るわ出るわ、毛の予想をはるかに上回る共産党批判が噴出した。毛沢東はそれにカッとなり、「反右派闘争」と称して悪口言っていたやつらを片っぱしから探し出し、粛清した。

 

ヒデぇ、ムチャクチャだよこの人。「絶対怒んないから本音を聞かせろ」と言っていたくせに、聞きたくない本音が出てきた途端、お前らクビだと騒ぎ出すバカ社長みたいだ。ケツの穴ちっちゃいなら、でかいフリなんかしちゃダメだ。一回こんなことをやると、もう誰も本音なんかしゃべらなくなるぞ。

 

迷走し始めた「大躍進政策」

 

さらに、毛は1958年、「大躍進政策」を提唱した。これは当時、ソ連がちょうど「アメリカの工業生産に15年で追いつき追い越す」と宣言したのに刺激され、中国も「イギリスの工業生産に3年で追いつき追い越す」と言い出した計画だ。

 

これはフルシチョフ嫌いの毛沢東が、ソ連と張り合うフリをしてパクった感のある計画だけど、何にせよ具体的な目標に向けて走るというのは、いいことだ。しかし、このときに行われたのは、工業化とはほど遠いことだった。

 

なんと毛沢東は、国民総出での鉄くず拾いを命じたのだ。つまり、鉄くずをどんどん拾っては、町なかにつくった溶鉱炉(「土法炉」と呼ばれる原始的な溶鉱炉)にぶち込み、それでイギリスに負けないだけの鉄鋼生産を実現させ、3年後にはイギリス以上の重工業国になるという壮大な計画だ。

 

毛沢東はバカなのか?そのユニークなおだんごヘアの正体は、小学生の二人羽織か何かなのか?こんなの鉄くずくず鉄に加工するだけだぞ。こんな本気か冗談かわからないような思いつきの政策、うまくいくはずがない。

 

しかも、当時の毛沢東は、北朝鮮の金正日や金正恩なんかよりはるかに怖い存在だったから、誰も逆らえない。農民も農作業そっちのけで鉄くず拾いに奔走し、気がつくとこの時期の中国は、餓死者だらけになった。

 

また、この大躍進と同じ年には「人民公社」も始まった。これは大躍進政策で男がせっせと鉄くず拾いをしている間、女が農作業を行うという生活スタイルを支えるために、地域ごとにつくられた集団農場組織だ。

 

つまり、村人みんなが人民公社に集まり、そこでの指示に従いながら農作業を行う。メシは共同食堂でみんなと食べ、子どもは人民公社で教育を受けられる。これならば「父は鉄くず、母は農業」で家事も育児もできない状況でも生活は機能する。

 

しかも、飢えのない社会こそが真の共産主義社会という毛沢東の考え方にも合致する。というわけで、この人民公社も華々しく始まった。

 

しかし、これもうまくいかない。村単位でつくられた人民公社にさえ行けば、仕事も食事も教育もあるとはいっても、中国はとてつもなく広い。そうなると「山一つ越えないと最寄りの人民公社にたどり着けない」なんて事例も発生し、かえって生活は混乱した。

 

しかも「働いてもサボっても平等な食事分配」という悪平等は人々の労働意欲を下げてしまい、結局、国民はメシばかり食らって仕事に手を抜くようになった(これも餓死者を増やす原因となった)。

 

国をメチャクチャにした「文化大革命」

 

そして、毛沢東時代の悪政の代表となったのが、1966年開始の「文化大革命」(以後、文革)だ。これは「封建的文化や資本主義文化を打破して、新しい社会主義文化をつくる」ための大衆運動だが、実際は大躍進政策に失敗して国家主席を辞任していた毛沢東が、巻き返しを狙って行った権力闘争だ。

 

この文革で、中国は未曽有の大混乱に陥った。まず中高生ぐらいの子どもたちが「紅衛兵」を名乗り、「造反有理」(造反する者には理由がある)をスローガンに、旧文化の破壊役となった。

 

彼らは仏像を破壊し寺に火をつけ、書や陶器を踏みつけた。また、文革に批判的な大人を「反革命分子」と呼んではつるし上げ、首からプラカード、頭に三角帽子を被せては市中を引き回した。

 

中高生にこれやらせちゃダメだよ。反抗期のガキに「好きに暴れていいぞ」というのが紅衛兵だったから、中国はひどいことになってしまった。もちろん紅衛兵からリンチされて死ぬ大人もいたし、宗教に対する弾圧や殺害もひどかった。

 

もともと革命の思想は暴力革命を肯定するから、まったく歯止めが利かなくなった。最終的には紅衛兵同士の派閥争いまで激しくなり、中国は内戦に近い状態にまでなった。

 

 

 

その他、政治の舞台でも「四人組」(毛の妻・江青ら四人の腹心)を中心とするどす黒い権力闘争があった。この頃はもう毛沢東自身が年齢的に相当衰えてきており、四人組の暴走を止めるどころか気づかないことも多かったという。

 

でも、この文革もようやく1976年、毛沢東の死をもって終わりを迎えた。この後「四人組」を始めとする文革派が失脚し、数年前に復権していた鄧小平が権力を掌握する。

 

鄧小平が市場原理を導入した「改革・開放」政策。毛の死後、四人組との権力闘争に勝利した鄧小平は、国家主席にこそならなったが、事実上中国の最高指導者となった。

 

そんな彼が1978年から始めたのが「改革・開放」政策だ。これは市場原理や外資導入をめざしていくもので、従来の毛沢東が築いてきた社会主義路線とは明らかに一線を画するものだ。

 

この大胆な路線変更の背景には、鄧小平に、毛時代の停滞への焦りがあったのと、国連に中国代表団長としてニューヨークを訪れたときの驚き、さらには、日中平和友好条約で来日した際の日本の発展ぶりへの驚きなどがあったらしい。

 

そりゃ驚くだろうね。だって自分が国内で3回も「失脚復権」のドタバタ劇を繰り返している間に、かつての敵・日本は、いつの間にか戦後復興・高度成長を経て世界第2位の経済大国なんかに納まっているわけだから。この驚きと焦り、期待と不安は、まさに鎖国明けの日本と同じだ。

 

鄧小平にも同じ思いが見て取れる。だから彼は、「改革・開放」政策で自由主義的要素を導入しつつ、天安門事件(1989年)では自由を求める民主化運動を弾圧した。これらは一見矛盾した動きに見えるけど、こう考えたらどうだろう。

 

「政府主導で、発展している自由経済を導入してやる。それが定着するまでは政府に従え。その間お前らの自由はナシだ」

 

これは、フィリピンやインドネシアや韓国で見られた「開発独裁」と同じ思考だ。これならうまくつながるでしょ。というわけで始まった「改革・開放」政策。では、これからその中身を見てみよう。

 

「改革・開放」政策では、まず沿岸部の5地域を「経済特区」に指定して、そこを外国資本導入のモデル地区とした。場所は香港・マカオ・台湾などの近くで、資本主義経済圏との接点を持ちやすい地点。そこに外国企業を受け入れて、関税・法人税・所得税などでの優遇措置や企業としての経営自主権などを保障した。

 

このやり方は、「資本主義的経営を学ぶ」という意味で、中国側にメリットがあると同時に、「10億人以上の市場・安価な労働力の確保」という意味で、資本主義国の企業側にもメリットがある。その他「改革・開放」政策では、企業自主権の拡大や、金融・財政・流通分野の市場化なども行われた。

 

それから「改革・開放」政策では、「生産請負責任制」という新たな農業政策も始まった。これは共産党が設定したノルマ以上の生産物を自由処分できるという農業への市場原理の導入で、この頃から「万元戸」(大金持ち)なんて言葉も生まれ始めた。そして当然、毛沢東が奨励した人民公社は解体された。

 

こういうやり方で「2000年までにGDPを1980年の4倍に」まで引き上げていくことを目標として掲げ、その後中国はGDPの平均成長率を9%という高い水準で保ち、ついにこの目標を達成した。

 

江沢民の政策はどこからどう見ても資本主義

 

その後も鄧小平は、中国の最高指導者として君臨するが、1989年の天安門事件を境に、影響力を残しつつも表舞台から身を引いて院政に入る。そして完全に身を引く少し前に、有名な「南巡講話」を発表する。

 

「計画経済にも市場はあり、資本主義にも計画はある。つまり、社会主義は必ず計画経済と決まっているわけじゃないんだから、手段はどうあれ、最終的に搾取や両極分化をなくして、みんな平等に豊かになろう」

 

この人、辞めてもバリバリ「改革・開放」路線を続けさせる気だな……。そういう意欲と、影響力を残す意志が強烈に伝わってくるメッセージだ。そして鄧小平は、自らの後継者を指名した。江沢民だ。

 

江沢民は1993年、国家主席に就任するとすぐに「南巡講話」に賛同し、党大会で採択した。そうして始まったのが「社会主義市場経済」だ。社会主義市場経済は、一応社会主義国の経済体制だから「公有財産」が基本だ。でもそれと同時に、「外資」「株式会社」「私有財産制」も発展させる。これらはいずれも、政府所有の公有財産ではない。

 

しかも、その外資のあり方に関しては追加が多く、「奨励・許可・制限・禁止」に4分類してそれぞれに条件を付けたり、他にも税制面での負担軽減や中国全土での受け入れなど、今まで以上の条件緩和やきめ細かいルール設定を行った。

 

これらの内容は1995年以降に追加されたものばかりで、明らかに同年発足したWTO(世界貿易機関)への加盟を意識したものだ。中国がWTO加盟って、すごいことだ。だってWTOは「世界の自由貿易の守り神」なんだよ。そこに平等をめざす社会主義国が参加するなんて、少し前では考えられなかったことだ。

 

でも、時代は1990年代。もう冷戦は終わり、文革は終わった。なら社会主義国だって、最終的に「みんな平等に豊かになる」ために、途中過程でちょっと利潤を貪るくらいいいじゃない。ちっちゃいことは気にすんな……って、なんて柔軟で便利なんだ、「南巡講和」。

 

その他、社会主義市場経済では、国有企業の株式会社化(つまり事実上の民営化)や個人企業の奨励、一部の人が先に豊かになることの奨励、政府の市場介入は最小限と、どっからどう見ても資本主義にしか見えない政策が連なる。

 

日本人にはよくわかる「バブルの予感」

 

彼らが本格的に資本主義化したのは、「北京オリンピック」(2008年)前後からだ。中国は、社会主義市場経済が軌道に乗り、2001年にはWTOにも加盟し、ユニクロを始めとする日本企業が人件費の安い生産の国として活用し、2000年代半ばまで順調に成長してきた。

 

そしてその堅調だった成長は、北京オリンピックの前年あたりから急激な成長へと変わり、開催年には最高潮に達した。この時期、公共事業が急増するのは、日本も東京オリンピックで経験したからよくわかる。

 

しかし、この北京オリンピックの少し前はおかしかったな。日本中で電線やマンホールのフタが盗まれたり、ホームレスが空き缶を超真剣に拾いまくったりしていたんだよ。これは、オリンピック間近の中国で金属需要が高まり、あらゆる金属が高値で買い取られていたからなんだけど、日本で拾った金属で何するつもりだ?

 

しかし、この発展がかつての日本のオリンピック時と同じなら、その後も同じになる可能性が高い。つまり、公共事業激減からくる反動不況だ。実際、中国は北京オリンピック後、不況になった。しかもタイミングの悪いことに、アメリカのバブル崩壊、いわゆる「リーマン・ショック」まで重なった。

 

そのせいで2008年の中国は、経済成長率が6%まで落ち込み、失業率も4%を超えてしまった。経済成長率は、21世紀に入ってからはずっと10%を超える高度成長中だっただけに、この落ち込みはデカい。しかも失業率4%って日本並みだ。

 

そこで中国政府は、2008年から「4兆元投資」という不況対策を始めた。これは日本円にすると約64兆円規模という、信じられないスケールの大規模公共事業計画だ。

 

加えて中国人民銀行(中国の中央銀行)が、中国にしてはかなり大胆な金融緩和(貸出金利を「7→5%ちょい」ぐらいに下げた)を数年続けたせいで、中国の銀行は人民銀行から数年間「毎年8兆元前後」の金を借りまくった。

 

この流れ、日本人なら胸騒ぎがするね。そう、バブルの予感だ。実際中国では、この後一気に不動産バブルが起こった。マンションや別荘が売れまくり、豪華なテーマパークやショッピングモールが急増した。

 

この流れは経済発展の遅れていた内陸部にも波及し、産業も何もないショボショボな町にいきなり場違いな豪華マンションやモールが出現し、あっという間に廃墟(=鬼城)と化したりもした。この辺は日本のバブルと似ているが、スケールが違う。さすが中国だ。

 

他にもこの時期は、ちょうど中国でもIT化・モバイル化の波が押し寄せていた頃だったから、それらを使って一気に株式ブームにも火がついた。確かにスマートフォンやネットは、株式投資とメチャ相性がいいもんね。

 

あとよく耳にしたのが「理財商品」。これは銀行や中国版ノンバンク(地方融資平台。銀行規制をかいくぐる組織だから「シャドーバンキング」という)が扱う短期・小口・高利回りの金融商品 だ。その中身は後述するけどサブプライム・ローンと同じ、あのアメリカバブルを弾けさせた元凶である、貸出債権を小口に証券化したようなものが多い。

 

アメリカバブル崩壊の元凶 なんて聞くと、ああやっぱりバブルの国は危なっかしい投機に浮かれているなと思うかもしれないが、よくよく考えたら「短期で小口な商品」は、リスクヘッジ(回避)した結果生まれてきた、安全な商品のはずだ(「長期で大口」の方がどう考えても傷が深そうでしょ)。

 

そう考えると、サブプライム・ローンがアメリカ経済をおかしくしたのは、単に低所得者向けのローンというものがヘッジしきれないほどリスキーだっただけであって、理財商品のすべてがヤバいということではない。

 

しかし、中国のマズいところは、銀行員がこの理財商品を「100%安全です。儲かります」と言っちゃうところだ。これはダメ。国民性なのかモラルの欠如なのかはわからないが、100%儲かる高利回りの金融商品なんてない。低利・堅実の金融商品・国債ですら、その国がデフォルト(債務不履行宣言)すればアウトだ。

 

 100%儲かるなんて、そんな魔法みたいなものがあるなら、今頃、隣国は13億人の富裕層であふれ返り、歯医者の待合室で金歯の順番待ちしながら「今度は本州でも買いに行きますか」とかウシャウシャ相談しているはずだ。

 

そんなわけだから、たまに理財商品の失敗があると、中国では大騒ぎになる。でも中国人は、こんなことではへこたれない。まだ世の中からは、バブルの臭いがプンプンしてくるからだ。そもそも中国にノンバンクができているあたり、まだまだ中国全体から金への執着心を感じる。

 

バブルは気持ちいいくらい人間を欲望に忠実にする。今の中国は、すがすがしいほど醜い。それは間違いなく、かつての日本と同じ姿、つまり世界一の拝金国家の姿だ。

 

眠れる獅子が抱える恐ろしいチャイナ・リスク

 

かつて泣く子も黙る若頭だった日本には、現組長候補である大男の金歯は眩しく、そして妬ましく感じられてしまう。しかし、その妬みとは関係なく、中国には中国ならではのリスクがいろいろ存在する。こういうのを「チャイナ・リスク」という。

 

いろいろありそうだな。例えば公害問題。今の中国の大気汚染は毒ガスレベルだから、どこかで強烈な規制がかかる可能性がある。そうすると企業活動、車の規制など、生産・物流の大きな障害になり、中国経済が停滞に向かう可能性がある。

 

それから少子高齢化。中国は鄧小平体制に入ってすぐの1979年から「一人っ子政策」を始めた。そのおかげで35歳より下の世代では人口抑制が進んでいるが、それより上は「人口爆発世代」だ。

 

これも毛沢東の「人が一人増えれば、メシを食う口は一つ増えるが、働く腕は二本増える」という寝言のせいだ。この人ははっきり寝言を言うタイプの独裁者だから、寝ぼけた発言でもクリアに拾われ、国中が振り回されてしまう。うまく乗り切らないと、日本とは比較にならない規模の少子高齢社会になるぞ。若者は膨大な文革世代を支え切れるのだろうか!?

 

さらには、資源や領土がらみでの近隣国とのトラブル。日本とは2010年に尖閣諸島がらみで大モメしたのは記憶に新しい。日本は昔から中国と領土トラブルがあった国だから、尖閣問題も相当大きなチャイナ・リスクだね。

 

南シナ海でも東南アジアの国々と衝突を繰り返している。南沙諸島や西沙諸島あたりは漁業・海底資源とも豊富で、しかも海上交通の要衝だ。そこで覇権を握りたいのはわかるが、そこはフィリピン・ベトナム・台湾・マレーシア・インドネシア・ブルネイ・中国の7ヵ国が向かい合うエリアだ。中国だけが領有権を主張できる場所じゃない。

 

他にも、バブル崩壊の懸念、靖国問題、労働者の質や賃金コスト、不透明な政治、著作権侵害問題など、数え上げればきりがない。でもおそらく、どれだけチャイナ・リスクが懸念されようとも、今後も中国とのつき合いは増える一方だろう。実際、日本企業の多くは、尖閣問題で関係が最悪になった後も、中国から撤退どころか逆に事業拡大した。やっぱり身近な13億人の市場は無視できない。

 

今や中国は、かつてのユニクロ方式のような、安価なモノをつくってもらう生産の国から、富裕層が爆買いしてくれる大きな販売先へと変貌した。2013年、中国の国家主席は胡錦濤から習近平に移ったが、習近平は現状八方美人型で、官僚腐敗一掃などを行ってはいるものの、何をめざしているのかよくわからない。

 

対してその習とタッグを組む李克強首相は学者肌で、中国経済を「公共投資依存型から産業構造の高度化」の方向へ進ませようとしているようだ。

 

確かに公共投資依存型は、市場にカネばっかり増えて産業が全然進展しないから、バブルの元だ。だから李首相は、どうやらこの産業構造の高度化で産業的な地力をつけて、それを足がかりにバブルからの「足抜け」、つまり軟着陸(ソフトランディング)をめざしているようだ。

 

ふつう軟着陸なんて欲望がジャマしてできないんだけど、確かに中国は先進国と違って、産業構造が未発達なところが多い。ならば公共事業への「投資」をそちらへの「投資」にすり替えていけば、世の中は金がジャブジャブのまま実体経済に地力がつき、「バブルで稼ぐ」から「バブル以外で稼ぐ」へと移行できるかもしれない。これがうまくいけば、軟着陸に成功したと言えるかもね。