「俺はね、5人潰して役員になったんだよ」
http://shuchi.php.co.jp/article/3508

 

さまざまな組織でメンタルヘルス不全の治療・予防システム構築に取り組んでいた私たちは、とある大手の広告代理店に招かれた。その会社の経営幹部が言うには、働きすぎで心を病む社員の問題に悩んでいるとのこと。そこで抜本的解決策を共に考えてもらいたいと、産業精神医学を専門とする私たちが呼ばれたのである。

 

ところが、対策チームを組んで同社に赴くと、ちっとも歓迎されている感じがしない。声をかけてくれた経営幹部以外の、お偉いさん方の顔つきが険しいのだ。話がまったく生産的な方へ向かわず、それどころか常務からこんなことを言われてしまった。

 

「メンタルなんてやめてくれよ」

 

にわかに意味が取れないでいると、常務は続けてこう言った。

 

「俺はね、5人潰して役員になったんだよ」

 

そして、私たちはこう告げられた。

 

「先生方にメンタルヘルスがどうの、ワークライフバランスがどうのなんてやられると、うちの競争力が落ちるんだ。会社のためにならない。帰ってくれ」

 

あまりにもはっきり拒まれて、あ然とするばかりだったが、考えてみればずいぶんな扱いを受けたものだ。「ああいう会社は長続きしないね」とこぼしながら帰った。

 

私の中で「クラッシャー」の概念が生まれたのは、あの出来事からだった。

 

 

まったく悪意なく部下をつぶす「クラッシャー上司」の実態
http://shuchi.php.co.jp/article/3519

 

クラッシャー上司は、自分の部下を潰して出世していく。

 

そういう働き方、生き方に疑問を持たないどころか、自分のやっていることは善であるという確信すら抱いている者たちである。

そして、潰れていく部下に対する罪悪感がない。精神的に参っている相手の気持ちがわからない。他人に共感することができない。

 

自分は善であるという確信。
 他人への共感性の欠如。

 

この2つのポイントは、どんなクラッシャー上司にも見て取れる特徴だ。

 


「ブラック企業」より根深い! 職場のメンタルの大問題
「善意」のつもりでパワハラを続ける上司たち
http://shuchi.php.co.jp/the21/detail/3559?

 

 

CASE 1 部下のつらさに鈍感な上司

 

 A課長は、入社2年目のBに、少々厄介なクライアントからの難しい案件を任せた。Bが優秀だからこそ、期待を込めてのことだった。「お前ならやれるはず」「困ったらいつでも聞きに来い」と伝え、Bはそれまで以上に全力で働いた。

 しかし、満を持して臨んだ中間審査で、Bはクライアントから「根本からなっていない」と完全なダメ出しを受けてしまった。調べてみると、クライアント側の担当者が変わっており、引継ぎがうまくできていないことが原因だとわかったが、そのことを説明してもクライアントは納得しない。

 困ったBはA課長に相談した。すると、A課長は「向こうも悪いが、お前も悪い」「基本中の基本ができていないのだから、何を言われても致し方ない」と突き放した。

 その翌日から、Bは連日、深夜まで残業し、土日もフルに働いた。そうしないと納期に間に合わないからだ。A課長は心配する言葉をかけるものの、それ以上に「納期変更は絶対に認めない」「信頼を失ったら大変なことになる」と叱咤することのほうが多かった。

 疲れたBの手が止まると、A課長は「期待して任せたのに……」と溜め息をつき、「やっぱり無理かー」と天を仰ぐ。Bの残業にA課長もつきあうが、朝6時から夜2時頃までずっとつきっきりで、ミスをするとすぐに叱責する。昼食も夕食も一緒。Bの体重は2週間で4kg減った。

 クライアントへの再度のプレゼンでも、数多くの部分でやり直しを命じられた。引き続き徹夜の日々となった。

 それから1週間後、Bは出社できなくなった。総務担当者が自宅を訪問し、精神科産業医との面談をアレンジすることになった。

 


CASE 2 部下を褒められない上司

 

 入社1年目から営業職で頭角を現わしたDは、戦力として期待されて、会社が最も力を入れている商品を扱う課に異動になった。

 Dの上司になったC課長は、「俺には成功が見えている」と、難攻不落と言われるクライアントをDに任せた。そして、DはC課長の期待に応え、売上げを順調に伸ばした。

 ところが、クライアントの担当者が変わったことで受注が激減。するとC課長は、それまで自由にさせていたDを、ミーティング中に容赦なく問い詰めた。Dは男泣きをしてしまった。

 それでもDはクライアントへの改善提案を考え、自社商品の陳列スペースを拡大することに見事成功。するとC課長は、係長からの慰労会の提案も無視して、「次は○○店の対策だ。Dは来週までに提案書を作ること」と指示した。

 Dは寝る間も惜しんで提案書を作った。ところが、C課長はそれを「話にならない」とダメ出し。さすがにDも感情を爆発させ、先輩たちになだめられた。

 それからC課長はDをつきっきりで指導。成果を上げても「次だ!」を繰り返すだけで、褒めることはなかった。

 半年ほど経つと、Dの顔から精気が消え、周囲と世間話をしなくなり、独り言をブツブツと言うようになった。仕事の単純ミスも増えた。

 見かねた係長が倉庫で「ここなら話せるだろう」と声をかけると、Dは「出社がつらいんです」と話し始めた。

「課長も大変よく指導してくれて、恵まれた環境で働けています。でも、ふと、私は実は力がないんじゃないかと思ってしまいます。課長の手足になっているだけではないか、とも考えてしまいます。思考がおかしくなっているのだと思います」

 その2日後、Dはいきなり辞表を提出し、退職した。

 




・クラッシャー上司とは、部下を潰すことに罪悪感がなく、部下の気持ちに共感することができない。
ができない。
・日本の企業社会そのものに、クラッシャー的な傾向がある。企業の雇用形態や滅私奉公の価値観が、クラッシャー上司を生む土壌になっている。
・イノベーションが生まれる職場にするためには、クラッシャー上司対策は必要不可欠である。そのために、企業はコンプライアンス意識を高めていかなくてはならない。


◆クラッシャー上司の実態
◇自分こそが「善」だという確信

 

 クラッシャー上司とは、部下を精神的に潰しながら、どんどん出世していく人を指す。部下を追い詰めていることに対して罪悪感がなく、部下の気持ちに共感することができない点が特徴だ。ただし、これらの特徴の程度には、人によって差があり、部下の潰し方も人によって異なる。ここではそのうち、3つの事例を取りあげ、クラッシャー上司の人物像を示していく。

 まず、最初に挙げるのは、部下につきっきりで指導をして精神的に追い詰め、潰してしまったクラッシャー上司Aである。仕事の飲み込みが早く、飲み会でも気遣いができる評判のよい女子社員Fは、クラッシャー上司Aから期待され、厄介なクライアントの案件を任された。クラッシャー上司Aは、「お前ならやれるはず」「困ったら聞きに来い」「俺もキツイ仕事でしごかれてここまで来た」などとFを叱咤激励。Fは期待に応えようと全力で働いた。

 しかし、クライアント側で担当者間の引き継ぎがなされていなかったことから、Fは依頼された設計の全面やり直しを言い渡されてしまう。すると上司Aは、Fのやり直しにつきっきりとなり、食事やトイレのタイミングまでFに合わせるようになった。そして、少しでもミスがあると、叱責をくりかえした。

 依頼先への再度のプレゼンの後、Fは自宅で身体が動かなくなり、欠勤が続くようになった。産業医の面談により、うつ状態と診断。一方の上司Aには悪気はなく、自分の言動が「善」であると確信していたという。

 

◇共感欠如の完璧主義者

 

 2つ目の事例は、完璧主義と呼べる程度を超えて、やらなければいけないと考えたことを徹底的にやるという、強いこだわりを持つクラッシャー上司Bだ。

 入社3年目の男性社員Gは、明朗快活で根性もあり、営業戦力としてクラッシャー上司Bがいる営業2課に配属された。上司Bは、難攻不落といわれていた営業先をGに任せた。

 Gは当初、順調に受注を伸ばしていたが、営業先の担当者が変わったことをきっかけに、受注が減少してしまう。すると上司BはGに対し、次から次へ厳しい質問や要求を投げつづけるようになった。タフなことで知られたGも、思わず人前で泣きだしてしまったほどだ。

 Gはそれでも懸命に自分を鼓舞し、改善策を提案。営業先からの評価も得られた。ところが、上司Bの態度は依然として冷ややかだった。結局、上司BはGを一言も褒めることなく、すぐさま次の営業先の仕事に取り組むよう指示した。自分の興味が向くもの以外への想像力がまったく働かず、他者に共感することもできない上司Bには、懸命に仕事をした部下を褒めることなど、考えもつかなかったのである。

 Gの顔からは次第に笑顔が消えていき、半年後、ついに辞表を提出するに至った。

 

◇薄っぺらな悪意と薄っぺらな悪事

 

 3つ目の事例であるクラッシャー上司Cは、悪意のあるタイプである。要領がよく、社内での立ち回りがうまいため、順調に出世してきたが、権力を手にすると薄っぺらな悪事を働くようになった。

 総務部人事課の部長であるクラッシャー上司Cは、新たに自分の下に配属された課長Hと年齢が近いことから、出世競争の要注意人物であると捉えた。経営陣の間で、課長Hが褒められている噂を耳にすると、上司CはHのもとにやってきて、「ボクのこと、みくびっているのかなぁ」などと発言。さらに、H以外の部下を引き連れて飲みにいくなど、周囲から見てイジメと取られかねないような行動を取り続けた。

 それでもHは、上司Cに気を遣いながら仕事をするように心掛けた。だがその約半年後、Hは耳鳴りやめまいを経験するようになり、その症状は1年半も続いたという。幸いなことに、経費不正使用が発覚したことから、上司Cは左遷されることになった。それを境に、Hの身体的不調はまたたく間に回復していった。

 

◆クラッシャー上司の精神構造
◇基本的な精神構造は「未熟型うつ」と同じ

 

 クラッシャー上司の精神構造は、未熟型うつ(新型うつ)の特徴と似ている。未熟型うつの事例にみられる特徴は、不健全な自己愛だ。つまり、根拠のない万能感があり、内省がなく、他罰的である。自分をとりまく状況を両極端に決めつけて、いつもゼロか百かの思考で判断し、他人の気持ちが分からない。そのため、情緒的に他人とつきあうことができず、うまくいかなくなると、逆ギレしたり、会社を相手に民事訴訟を起こしたりするなど、赤ちゃんが困った時に「ギャーッ」と泣きわめくような行為「赤ちゃん返り」を起こす。

 クラッシャー上司と未熟型うつの違いは、仕事ができるか、できないかという点だ。クラッシャー上司は、いわゆる地頭がよく、高い問題処理能力を発揮でき、ロジカルシンキングが特異な傾向にある。だから良い結果を出せるし、次々出世していく。

 

【必読ポイント!】

◆クラッシャー上司は日本的な現象
◇クラッシャー上司を生む社会構造と価値観

 

 クラッシャー上司に部下を潰されないようにするには、組織がコンプライアンス意識を持つことが重要だ。しかし、日本企業におけるコンプライアンスの意識はまだまだ低い。そもそも、日本の企業社会そのものにクラッシャー的な素養があるのが実態だ。

 また、日本企業における雇用も、クラッシャー上司を生みやすい特徴を有している。欧米の雇用が「ジョブ型」なのに対し、日本の大企業の雇用は「メンバーシップ型」だ。

「ジョブ型」は、仕事に対して人がはりつくことを基本とし、職務範囲が明確になっている。このため、社員は、「それは私の仕事でないから、できません」と断ることができる。

一方の「メンバーシップ型」は、人に仕事をはりつかせることを基本とする。職務範囲が曖昧で、働く時間や場所は固定されていない。その結果、残業が際限なく生まれ、転勤の辞令を受けると断ることがむずかしい。

 このような習慣が日本の企業に横行しているのは、「滅私奉公が善である」という価値観が根強く残っているためである。だから、クラッシャー上司からハラスメントを受けても、抵抗できない若者が出てくるのである。

「メンバーシップ型」には、さまざまな職場を経験していけることや、終身雇用を保障するといったメリットもある。しかし、終身雇用制度の崩壊が叫ばれるようになった以上、もはやメンバーシップ型のメリットは感じにくいのが現状である。

 

◇クラッシャー上司はイノベーションを阻害する

 

 経済成長が鈍化するなか、企業は画期的な商品やビジネスモデル、つまりイノベーションを生み出す必要にかられている。

 イノベーションを起こすためには、若手社員からアイデアを引き出し、上司が持っているスキルでそれらをまとめ、共に実現させていくというプロセスが不可欠だ。そこで上司に求められるのは、自分とは異なるタイプのさまざまな部下の思いを汲み取り、支えていくことである。

 しかし、クラッシャー上司は、自分とは異なるタイプの部下を排除しようとするため、職場における人材の多様性を脆弱なものにしてしまう。ゆえに、クラッシャー上司が力を発揮する職場や企業では、イノベーションが起こりにくい構造になっている。

 

◆クラッシャー上司対策
◇ストレスを乗り越えるための資源を整える

 

 クラッシャー上司対策としてまず重要なのは、人(社員)がストレスフルな状況にあっても、それを乗り越えていけるだけの資源(リソース)を整えていくことだ。

 GRR(Generalized Resistance Resources)は、「汎抵抗資源」と訳され、さまざまなストレスに抵抗するためのあらゆるリソースを意味する。なかでも絶対に欠かせないものは、何のためにそれをするかが、納得できることである。実際、社員が腑に落ちる理念を掲げている企業はGRRが高い。

 企業が社員のGRRを高めるには、CSR(Corporate Social Responsibility)の概念を取り入れることが効果的である。ここでのCSRとは、ボランティアや寄付活動といった社会貢献ではなく、従業員、顧客、取引先、株主などの利害関係者と、良好な関係を保ちながら経営を続けることを指している。つまり、社会的責任をきちんと取れる企業になるべきということだ。

 SCRの整っている企業で働いている社員は、「社会のため」に働いているという意識を持っているため、思いきり働けるようになる。また、社員の精神状態に対して鈍感になりがちな日本企業も、CSRを念頭に置くことで、正しい配慮ができるようになると考えられる。

 

◇心の資源を培う

 

 ストレスを乗り越えるための心の資源を、SOC(Sense of Coherence:首尾一貫感覚)と呼ぶ。SOCは(1)有意味感(情緒的余裕)、(2)全体把握感(認知の柔軟性)、(3)経験的処理可能感(情緒的共感処理)の3つに分けられる。これらは、アウシュビッツから生還した人たちの中で、心身ともに良好な健康状態を保つことができた人に共通していた特徴である。

(1)有意味感とは、辛いことや面白みを感じられないことに対しても、何らかの意味を見いだすという感覚である。有意味感がある人は、望まない部署に配属された場合でも、「これも経験」「やってみたら以外と面白いかもしれない」と前向きに取り組むことができる。

(2)全体把握感とは、時系列(プロセス)を見通せる感覚だ。全体把握感にすぐれた人は、効率的な業務計画をつくれるため、周囲と協調した業務体制をとることができる。

(3)経験的処理可能感とは、今までの成功体験にもとづいて、「ここまではできる」と確信し、未知の領域については早期に援助を求めることができる感覚である。成功体験があり、助けの必要を感じた時に早急に他人に援助を求められる人ほど、メンタルが強く、成長しやすい。

 

◇職場にいるクラッシャー上司への対策

 

 自分の職場にクラッシャー上司がいる場合、まず大切なのが、なぜ彼らが部下を潰すような言動をするのかを理解することである。

 クラッシャー上司は情緒不安定で小心者であり、その根底には不安と焦燥感がある。クラッシャー上司の言動に対して、「辛い生育環境があったのだろう。お気の毒さま」などと「上から目線」で眺めることができると、いくらか気楽に接することができるようになるだろう。

 また、会社の同僚たちと被害者感情を共有し、閉塞感から脱出することも大事である。クラッシャー上司の言動が始まった時にどう対応するか、同僚たちでマニュアルをつくることも、被害者感情のシェアとなるため有効である。

さらに、自分の身を守るためには、自分の限界点を知り、心身が破たんする予兆を認識しておくことも必要だ。ストレス反応の核にあるのは「億劫感」と「認知の歪み」である。その核からどのような症状が噴出するかは人によって異なるが、いずれにせよ、自分が健康的なときのストレス反応を把握し、的確にモニタリングしつづけることが大切である。





20代を“うつ”にし続ける女性マネジャーの病理
若手上司が心酔する「部下を破壊するマネジメント」
http://diamond.jp/articles/-/41083?page=3

吉田典史:ジャーナリスト+

 

A氏 うつ病になった1人から聞いたことだが、たとえばポスターを時間内にきちんとつくり上げることができないと、「なぜ、できないのか」と執拗に追及したらしい。プレーヤーとしての自らの仕事を終えた後、夜10時~12時の終電間際などに……。そういうことが続いた。

 制作部にしろ営業部にしろ、追い詰める管理職に共通していたのは、深夜まで仕事をするハードワーカーだったことだ。「そこまで仕事が本当にあるのかな」と思えるほどだった。

部下を追い詰めるのはまさしく
 プレーヤーとして力不足だから

筆者 そうしたハードワークの事例が出ると、識者は決まって「正社員の数が減り、1人の仕事の量が増えているから」「成果主義の影響で……」などと言い始めます。しかし、それらは現場を知らない認識であり、「木を見て森を見ず」でしかないと思います。

A氏 私も同じ考えだ。あの会社は1990年代初頭から一貫して成果主義だった。当時から仕事の量は多い。それでも、部下の育成や指導をきちんとできるマネジャーが少なからずいた。比率としては、そういう管理職のほうが多い。部下を育成する人と潰す人の違いを丁寧に観察すると、「うつ病にするマネジメント」の本質が見えてくると思う。

筆者 ここ20年、管理職はプレイングマネジャーであることが求められる傾向が強い。プレーヤーとして大量の仕事をこなす一方で、マネジャーとして部下の育成や管理をすることが求められます。

 部下をうつ病に追い込む管理職を取材して感じるのは、プレーヤーとしての力が高くないことです。この人たちは実は、マネジメント以前のところでつまずいている。人事コンサルタントらが指摘するような、マネジメント云々の問題ではないと思います。

A氏 部下を追い詰めるのはまさしく、プレーヤーとしての力が足りないからだ。人を育てるだけの力も経験も乏しく、人格も一定水準のところまで出来上がっていない。印象ではあるが、得てして幼い。

筆者 仕事をする上での「人格」があるのですね。これも、経験が浅いとわからない。

A氏 人格というのは、たとえば「部下と自分は考え方も価値観も根本から違うのだ」という度量というか、心の広さなどを意味する。これを本当の意味で理解できるようになるためには、それなりの経験を要する。人格と仕事の経験は、ある程度比例している。

筆者 部下を潰した30歳前後の管理職と取材で接すると、プレーヤーとしての自信がないからか、20代の部下を威嚇しようする傾向がある。虚勢を張っているようにも見える。

A氏 あの会社にも、その捉え方が当てはまる。その女性マネジャーは、部下の仕事が求めているものに達しないと、顔の表情がこわばり、目が座り始めるという。全身から威圧感が漂い、必死に押さえつけようとしていたようだ。

 そして、冷静な物言いではあるのだが、理詰めで部下の言い分を1つずつ潰す。そのとき、「広告制作に関わる者は~すべき」「~をしなくてはいけない」という言葉を頻発する。

 規範意識が非常に強いことが、部下をうつ病に追いやる管理職の1つの特徴だ。ところが、この規範意識は優秀なマネジャーはさほど持っていない。自分の心の中にはあるのかもしれないが、部下には強要しない。

 

マネジャー自身、部下が仕事を
 できない理由をわかっていない

 

筆者 なぜ、部下を追い詰めるのでしょう……。

A氏 「なぜ、あなたはできないのか?」と詰め寄るのは、前回話したように、マネジャーがそのできない理由を本当にわかっていないからだ。自らがその仕事を繰り返し、一定水準以上にできるならば、こういう問いにはなり得ない。
 こういう管理職はプレーヤーとしての経験が未熟で、「仕事の再現性」がない。たとえば、社内で広告制作のコンクールがある。100人以上の部員が参加し、ポスターなどをつくり、それを社外の専門家が審査する。

 部下をきちんと育成するマネジャーは、数年の間に3~5回繰り返し受賞する。私もそのくらいの数を受賞した。しかし、部下をうつ病に追いやったマネジャー数人は、受賞経験がなかった。

筆者 繰り返し賞を獲得できる人は、日々のプレーヤーとしての仕事のレベルも高いでしょうね。

A氏 そうだと思う。たとえば、広告づくりを高い水準でできたならば、その理由をしっかりと把握できる。「ここがこのようによかった」と。できなかった部分も含め、明確に捉えている。この人たちに規範意識があるとすれば、強烈な職人意識があり、それをひたすら高めようとすることだった。

 だからこそ、同じようなレベルの仕事を3回与えられたら、そのいずれにも高い水準で応える。これが、「仕事の再現性」があるということ。再現性のある仕事を大量にこなし、あらゆる仕事の引き出しやノウハウが無数にある。一方で、大量に失敗も経験している。

 だから、部下がどこに行き詰まっているかが、手に取るようにわかる。これこそが、プレーヤーとして優秀であり、部下を育成でき得るマネジャーになる資質だと思う。

 

「成果主義で仕事量が増えた」は的外れ
力不足の若手マネジャーが部下を潰す

 

筆者 先ほどの「成果主義」や「仕事の量が増えた」といった指摘は、的外れに思えますが、20代の非管理職のときに「仕事の再現性」を身につけることができないことが、今の20~30代の会社員が抱える大きな問題ではあると思います。

 ここに、部下をうつ病にするマネジメントの一因が潜んでいる。部下を潰すマネジャーは「仕事の再現性」や引き出しが限りなくゼロに近いですね。
A氏 本来マネージャーになるならば、プレーヤーとしての「仕事の再現性」を確実に押さえることが必要だ。しかしその女性マネジャーは、社内の事情や組織改正などの流れの中で、なぜかマネジャーになってしまった。社長の推薦もあったらしい。人事部は役員会で決まったことを追認するだけであり、機能していない。

 女性は20代の非管理職の頃に、厳しい上司の下、すさまじいパワハラの中で耐えに耐え抜いたらしい。そんな姿に、社長は感銘したようだった。社長は前回話したように、歪んだ儒教的な考えを社員に教え込む。「厳しくすることは、相手のためになる」と洗脳している。それに染まると、マネジャーになったときに部下を潰しやすくなる。

筆者 社長公認のマネジメントである以上、いわば後ろ盾もあり、大義名分もありますからね。職場に浸透しやすくなる。

A氏 私は、当初から不安を感じていた。その女性マネジャーに部下への接し方について何度か注意をしていた。だが、本人は部下を追い詰めるマネジメントを変えなかった。プレーヤーとしての経験や引き出しが少ないから、変えることはできなかったのかもしれない。

部下に「A」という回答しか認めない
自分自身が「A」しか知らないから

筆者 そのマネジャーの、部下の追い詰め方をもっと知りたいですね。そこにヒントが隠されている気がしますから。

A氏 20代の部下は経験が浅い。だから、脅えながらもおぼろげな知識を使い、なんとか答えようとする。マネジャーは、「それは違うよね」とすかさず否定する。予め頭の中に、「A」という回答があるようだった。部下が「B」や「C」と答えると、いかなる理由であれ認めない。

 しかし、認めない理由が実はない。経験が浅いから、「A」しかないと思い込む。私から見ると、その場合「B」や「C」も誤りではない。むしろ、「B」や「C」のほうがいいように思えることもあった。
A氏 追い詰められた部下がどうすればいいのかわからずに立ちすくむと、「あなたは広告をつくりたくて、ここに入社したのよね」と質す。この言葉がダメを押す。要は、「もっと力を注げ」という意味なのだろう。

 これでは、部下としては何も言えない。力をどこにどう注げばいいのか、わからない。このあたりの追い詰め方も、部下をうつ病にする管理職に共通している。

筆者 私も20代の頃、30代後半の上司にそのように追及されましたね。本人は、正しいことをしていると思っているようだった。

A氏 そのような上司はおそらく、パワハラなどをしているとは感じていないと思う。私が接した部下を潰すマネジャーたちは、「厳しく詰問することは、部下のためになる」と信じこんでいた。

 挙げ句に、社長やそのイエスマンの役員たちは、20代がうつ病になった際も、「会社や部下のことを思い、厳しく教えている」と、そのマネジャーたちを守っていた。

 

「厳しい詰問は部下のためになる」
という、まるで根拠のない根性論

 

筆者 どの職場でも、部下を潰すマネジメントは似ている(苦笑)。

A氏 しかも、マネジャーの部下への指示の多くは抽象的だった。これも、うつ病にする管理職の共通項だった。経験の浅い部下は、「これがいけない」と言われても、どのように修正すればいいのかがわからない。そこで聞こうとするが、「自分で考えるように」と突き放される。

筆者 突き放すのは、「あなたのためだよ」と……(苦笑)。それは詭弁であり、実はその管理職自身に答えがないのではないか。答えを導く、そんな経験も場数も踏んでいない。

A氏 20代の人も、そのマネジャーの追い詰めるようなしごきを「教育指導を受けている」と思い込む。気の毒なことに、それに自分も応えないといけないと言い聞かせる。かつて20代の頃の私も、同じような思いだったが……。これは、気が狂いそうになる。経験した者しかわからないだろうが。
そして、20代の部下は徹夜に近いくらいに頑張り、広告をつくり直す。ところが、女性マネジャーはそれも否定する。その理由がまた、わからない。その繰り返しがエンドレスに続く。

 このプロセスでこそ、「仕事をする力が身につく」とマネジャーは思い込んでいる。だから怖い。私がその女性マネジャーに聞くと、「自分が20代の頃に上司からそのようにされて、力を身につけた」と答える。

 しかし、そもそもそのマネジャーはプレーヤーとしても一定の水準に達していない。

 

耐えがたきを耐えてきたのだから
部下も同じやり方でいいと疑わない

 

筆者 本人は「自分はこのようにして、仕事ができるようになったのだから、あなたもできるはず」と考える。しかし、その「できた」という思いは、幻想でしかないということですね。

A氏 その通りなのだが、本人はあくまで「できた」と思い込んでいる。社長をはじめ、上層部からも認められていると信じている。だが社長は、耐え難きを耐えた姿勢を評価したのであり、プレーヤーとしては認めていない。彼女は、社内コンクールで1度も賞を受賞していない。

 それでも、真剣に部下を育成しようと追い詰める。それで20代の部下たちは心身ともに疲れ切って病んでいく。午前中に休んだり、遅れて出社するようになる。表情に覇気がなく、口数が少なくなる。

 それでも、マネジャーは「なぜ、できないの」と詰問し続ける。この直線的なマネジメントを、相手が病になるまで続ける。病になった後も、本当の意味では気がついていない。だから、他の部下に同じことを繰り返している。

筆者 部長という立場から、そのマネジャーを叱らなかったのですか?

A氏 何度も話し合いの場は設けた。そこでは、彼女は「部下とのコミュニケーションに問題があることはわかっています」と答えていた。しかし、私には理解できていないように見えた。
A氏 人事評価では相当に低く扱ったが、それ以上の権限は私にはない。社長が人事権を握り、人事部も権限がない。うつ病になる部下を量産するマネジメントが横行する理由は、ここにもある。社内には当然、労働組合はない。

 結局、女性マネジャーの部下を潰すマネジメントは相変わらずだった。私が異動になるときには、後任の部長に「彼女はマネジメントができるレベルに達していない。マネジャーを外したほうがいい」と進言しておいた。

 しかしあの会社では、部長にそんな権限がない。だから、今もマネジャーに居座り、20代の部下を追い詰めていると聞く。社長もまた、「厳しく接すると、20代は育つ」と、歪んだ儒教的な考えで盛んに役員やマネジャーなどを洗脳している。

 

部下をうつにする管理職には
組織の都合で選ばれた人が目立った

 

筆者 なぜ、その程度のレベルの人がマネジャーになったのでしょうか。

A氏 要は、人材難だったのだと思う。このマネジャーに限らないが、部下をうつ病にする管理職は、自らの実力ではなく、組織の都合で選ばれた人が目立った。会社は1990年代に比べると業績が悪化し、優秀な人を採れなくなっていた。離職率も上がっていた。

筆者 識者やメディアは「ここ20年は実力主義が浸透し……」と紋切型で言いますが、実は「会社都合主義」という文脈で、上層部の都合のいい「競争原理」らしきものが浸透したに過ぎないのですね。

A氏 あの社長はある面では、天才的な嗅覚がある。事業を俯瞰で捉え、構築することなどにおいては……。しかし、人事は滅茶苦茶だ。そして、前回話したように、2008年のリーマンショック時、大規模なリストラを行った。20代の社員を数ヵ月間に80人も辞めさせた。

 ここ5年ほどは新卒で入り、プレーヤーとしてそこそこのレベルならば、30歳前後でマネジャーになれるようになっていた。この「そこそこのレベル」が、問題を生むことになる。


気が利く優秀な部下ほど心を壊され
鈍いマネジャーばかりがのさばり続ける

 

筆者 うつ病になって辞めた20代の社員は、ストレス耐性が弱いと感じましたか。

A氏 そこまで言いきる根拠がない。ただ、潜在能力は高いように思えた。特にコミュニケーション能力が高い。20代前半でありながら、仕事をしていく上での相手の感情の機微がわかる。さらに職場の空気も読める。繊細な心の持ち主であり、まじめで誠実に仕事に取り組む。

 それだけに、彼らから辞表が出てくると、無念というか、自分が非力であることに空しさは感じた。もしかすると、やや生真面目すぎるところもあり、多少完璧主義のように見えることもあったが、惜しい人材ではあると思う。

 一方で、「そこそこのレベル」でしかないが、耐え難きを耐え、マネジャーになっていく20代は、どこか鈍い面があるように思えた。人の心を感じ取るという面において……。こういう人たちが、得てして20代の部下をうつ状態にする。

 ストレス耐性が強いと言えば、それまでかもしれない。だが、彼らがつくる広告を見ても、クリエイターとしての冴えた感性を感じない。作品に奥行きがない。一方で、クリエィティブな仕事以前の事務理処理とか雑用的な仕事は、ハイレベルにできる。前述の女性マネージャーは、その象徴的な存在だった。

筆者 そこにも、「うつ病にするマネジメント」の芽がありますね。実は、私の取材経験では、社員の学歴や社長などの上層部の考え方、さらに社風、社の生い立ちも深くかかわっているように思えます。少なくとも、「成果主義」や「正社員の数が減り……」という捉え方は実態を押さえていない。

A氏 「成果主義」「正社員の数が減り…」は遠い理由であったとしても、直接の理由になっているとは思えない。なぜ、そんな認識になるのだろう。


ひとり芝居に陶酔し、20代を潰す美人副編集長の病み
怪しい抜擢人事が横行する情報誌の“歪んだ実力主義”

http://diamond.jp/articles/-/49579

吉田典史:ジャーナリスト

 

今回は、躍進する出版社の30代の副編集長を紹介しよう。この女性は、「実力主義」を掲げるこの会社に中途採用で入り、30代半ばで部下を6~7人も抱えるやり手編集者である。数年以内に昇格し、編集長となる公算があるという。

 しかし、実はその仕事のレベルは低い。20代の部下たちからは総スカンとなりながらも、得意の「ひとり芝居」を続け、部下を押さえつけ続けるのだという。その背景には、この会社独特の「実力主義」があるように思える。

 今回は、筆者が仕事の関係で2006~09年頃に頻繁に出入りしたこの会社の、「歪んだ実力主義」について問題提起したい。あなたが彼女の部下の立場ならば、どうするだろうか。読者諸氏も、一緒に考えてほしい。

 


「チッ……。は~、何もできていない」
ひとり芝居で部下を潰す女性副編集長

 ここは、ビジネス書や就職関連の雑誌・書籍をつくることで知られる、社員数300人ほどの出版社。業界では、売上がベスト20に入る。

 3階のフロアにある、単行本や新書などの書籍をつくる編集部に、女性の声が響く。

「チッ……。は~、何もできていない。赤井さんは、私が言ったことを聞いていなかったんだろうね」

 午後9時半、広いフロアに響く彼女の舌打ち。あえて聞こえるかのように、大きな音を立てているようだ。30代半ばの女性の副編集長(課長補佐)が、長い髪を時折かきあげ、ため息をつく。

 机の上にある原稿用紙に、赤のボールペンで修正を加えていく。手の動きは怒りのあまり、乱暴だ。「初めに修正ありき」のごとく、重箱の隅をつつくかのように、実に細かいところにまで修正を入れる。
さらに、独り言のように話す。声は大きい。皆に聞こえるようにしているようだ。(①)

「明後日の入稿日を、後ろにずらそうか……。赤井さんのせいで、こんなに遅れている。彼女は早々と帰ったんだよね。いいなあ、お遊び気分で……」

 女性副編集長は、20代半ばの赤井がまとめた原稿を確認していたが、「その質が低い」と不満を言い続ける。

「赤井さんは、1年前にいた編集部でもこのレベルだったみたい。それで追い出され、うちに来たんだよね。人事部が平野さん(編集長)を拝み倒したみたい。『赤井さんが前の部署でダメ出しを出されたから、面倒をみてやって』と言われて。平野さんは断ることができなかったんだよね」

 

かつての仕事関係者が明かした
「何も言えない職場」の閉塞感

 

 彼女のいつもの「ひとり芝居」が始まる。「ひとり芝居」とは、この会社に出入りするカメラマンやデザイナー、フリーライターらが形容する言葉だ。女優のように、1人で職場の問題を挙げつらい、1人でそれについての論評をする。そして1人で怒り、興奮する。

「ひとり芝居」は大体、上司である編集長がいないときに行われる。恐れをなして、その場にいる編集者数人は静かに机に向かい、原稿確認の作業を進める。この中に、筆者が2006~08年にかけて一緒に仕事をしていた女性がいる。

 この出版社は、就職関連の情報誌でかねてから知られていた。今や、インターネットを効果的に使い、独自路線で一定のポジションを獲得しつつある。10年ほど前からは、会社員向けのビジネス書などもつくるようになった。これらいずれもが、20~40代の会社員をターゲットにしたものだ。
「みんな、聞いた? この人怖い」
 労働条件がいいのに社員が辞めていく

 書籍編集部には、正社員の編集者が10人近くいる。平均年齢は、20代後半。派遣社員が数人加わる。他の大手出版社と比べても、体制は見劣りしない。

 だが、正社員の離職率は高い。特にこの編集部は、数年で10人のうち3~4人が辞めていく状況が続く。残業が極端に多いわけでなく、賃金が低いのでもない。むしろ、労働条件は業界では恵まれている。辞めていく大きな理由の1つには、女性副編集長の存在がある。

「ひとり芝居」で当たり散らされることに嫌気がさして、退職するケースが目立つ。そのことを、上司である編集長(部長待遇)はとがめない。人事部は機能しておらず、社内で問題視されることはない。

「ひとり芝居」をするだけならば、まだいいのかもしれない。この副編集長は、自分が担当する仕事だけでなく、部下である6~7人の編集者たちのあらゆる仕事に介入をする。(②)

 しかしその指示が、編集者らを苦しめる。編集者らには、指示の内容やタイミングが要領を得ていないように見える。彼女の指示に従うと、まず上手くはいかないのだという。

 だが彼女は、自分と同じ土俵に上がろうとする者を決して許さない。執拗に押さえつけようとする。(③)部下が指示について聞き返すだけで、次々と言い返す。

「だから、何度も言ったじゃない!」「やっぱり、聞いていなかったのね」「あなたの言っている意味がわからない」……。

 ここでも、「ひとり芝居」を行う。周囲に尋ねるように話す。

「(その編集者の反論を)聞いた? 意味がわかる? わかんないよね」
 他の編集者らは軽くうなずき、同調する仕草を見せる。女性の副編集長は部下を叱りつけ、その言い分を聞く以前に難くせをつけて遮り、一方的に話を終えようとする。それでも部下が食い下がろうとすると、こう切り返す。これが決まり文句であるらしい。

「みんな、聞いた? この人、〇〇批判をしているよ……怖い」

「いいのかな~。〇〇批判なんかして。(人事)評価が下がるよ。辞めさせられるよ」

 〇〇とは、会社の社名を意味する。編集者たちは、副編集長の指示などに疑問を呈している。会社のことなど批判はしてない。ところが、「会社 VS その編集者」というくくりにされてしまう。(④)そして、自分が上司として現場を仕切れていない現実には向かい合わない。結局、問題が問題として残ったままとなる。かくして、同じトラブルが続く。

「男と別れたからナーバスなのよ」


 自らが招く混乱に気づかない女性上司

 

 しかも、プライバシーに踏み込んでまで攻撃を続ける。部下6~7人の中で、離婚をしている20代後半の女性がいる。この女性が、仕事の指示について疑問を呈したり、意見を言うと、本人がいないところで、あえて皆に聞こえるように口にする。

「(男と)別れたから、ナーバスになっている」「家庭のことをここに持ち込まれると、困るよね」

 それを聞く部下たちは、30代半ばの彼女に何も言えない。副編集長は、編集者としては10年近くの経験しかない。10年のうち、6~7年は雑誌編集部などにいた。書籍の編集のキャリアは、10年のうちわずかに3~4年。雑誌と書籍の編集で求められるスキルなどは、大きく異なる。
それだけに、現在の書籍の編集部では、リーダーとして要領を得ていない。部下への指示が滅茶苦茶になる。部下の編集者6~7人の中には、副編集長よりも経験を積んだ者が数人いるから、指示のおかしさにはすでに皆気づいている。しかし本人は、現場を混乱させても、そのことすら理解ができていない。キャリアが浅く、「混乱」や「正常な姿」に区別がついていないからだ。(⑤)。

 さらには、「書籍編集部に3~4年いた」とはいっても、他の出版社で1年に数冊のペースで担当したに過ぎない。通常、業界の平均では1人の書籍編集者は、年間で十数冊は担当する。年間数冊は、明らかに平均よりも低い。

 前職は、数十万部のべストセラーをよく出すことで知られる出版社の、関連会社だった。表向きは、その会社を「円満退職した」としている。だが実際は、他の編集者と比べると仕事のレベルが低く、上層部などからの信用を得ることができずに、居場所をなくして転職した可能性が高い。

 

中身はともかく容姿は人目を引く
実力がないのに転職試験を突破

 

 しかし彼女は、「面接の達人」と茶化される。筆者がフロアなどで数回見た限りでは、目鼻立ちがはっきりとしていて、中身はともかく容姿はきれいだった。そのこともあったためか、「するすると面接試験を突破し、今の会社に入った」と揶揄されている。

 さしたる実績はないはずなのだが、上司やその上の局長(執行役員)からのウケはいい。ただし要領だけで、現在のポジションを掴んだのではない。ある程度のレベルまでは、部内の仕事を一通り心得てはいる。

 要は、人材難なのだ。副編集長は、書籍の編集のレベルは同世代の編集者と比べると相当低い。だが、この出版社はその分野で人材がそろっていない。書籍の編集は、ある意味で「新規事業」であり、社内にノウハウがあまりない。だからこそ、その程度のスキルにもかかわらず、転職試験を経てこの会社に入社してから、わずか半年で副編集長になれた。(⑥)
 さらに困ったことに、彼女は妙な責任感や使命感を持っている。部下がする仕事について様々な報告を求めて、それらについて指示をしようとする。自分の了解なく前に進めることを認めない。したがって、いつもオーバーワークだ。

 ここでも、「ひとり芝居」をする。誰に話すのでもなく、皆に聞こえるかのように「大変だ~~」「どうしよう~~」と口にする。さらに、上司である編集長の口癖を真似て、「(このままでは)いかん!」とまでつぶやく。何から何まで、「ひとり芝居」が徹底している。

 

原稿を集めて修正しているばかりで
本来必要なマネジメントは置き去りに

 

 本来副編集長は、管理職である編集長と、非管理職である編集者との間に入り、いわば「調整役」や「橋渡し役」をしなければいけない立場だ。だが、部下たちから無節操に原稿を集め、それを自分1人で抱え込み、時間をかけて修正をしようとする。すると、部下たちの仕事はそこで止まってしまう。その遅れが、他の仕事にも押し寄せる。残業はどんどん増えていく。

 その遅れにより、社外のデザイナーやカメラマン、フリーライター、印刷会社などの仕事のスケジュールもタイトになる。彼らも仕事を時間内に終えることが求められる以上、被害を被るのだ。

 このような問題を指摘することは、この職場では許されていない。彼女には、組織を効率的に動かそうとする発想がない。部下の仕事の隅々まで確認をすることは、「責任感の表れ」と言えなくもない。だがそこには、ルールがない。当然、その意味での指示はない。プレーヤーとしてはともかく、マネジャーとしてはおおよそ機能していない。

 副編集長としてマネジメントをするならば、たとえば自らが原稿を確認する前に、部下たちには、「どのくらいのレベルのものをつくるようにすべきか」「そのレベルに達するためにはどうすればいいのか」といったことなどを、丁寧に教えないといけない。そうした過程において一定の共有意識がないと、チームとして動くことはまずできない。しかし、こんなことをつぶやき、部下たちにはそのまま仕事をさせている。


実力がないのに編集長昇格の噂も?
 企業にはびこる「歪んだ実力主義」

 

「(部員たちの仕事の量や数を)増やさないといけない」「今の時期(20代)しか、場数を踏むことはできない」……。

 常に問題の真相、つまり自らの能力不足を覆い隠す。そして部下には、「私が若いときは……」と言い放つ。そして「私は、20代の頃に1年に20冊近くの本をつくった」と“経歴詐称”までする。

 いずれは、この副編集長が編集長になる可能性が高いという。これもまた、現在の企業社会にはびこる「歪んだ実力主義」の一断面である。(⑦)

 


踏みにじられた人々の
崩壊と再生

 

 おそらく、この女性に罪の意識はないだろう。自分が部下たちに多大な負担をかけている自覚はないはずである。あるならば、解決に向けて何らかの行動をとるはずである。

 なぜ、このようなリーダーがはびこるのか。この職場に潜む課題は何か。今後、部下としてはどのように職場を生き抜けばいいのか。そのような問題意識を持ち、本文中に下線と数字を施した部分を題材にして、筆者なりに分析を行なった。

①さらに独り言のように話す。声は大きい。
 皆に聞こえるようにしているようだ

 ささいなことに思えるが、上司が職場でこのような仕草を繰り返すと、一定の世論ができ上がる。その社員に大きなミスはなくとも、「問題社員」に仕立て上げられる。他の社員は、自分が犠牲になりたくないから見て見ぬふりをする。
②部下である6~7人の編集者たちの
 あらゆる仕事に介入をする

 マネジメント(部下の育成など)に慣れていない上司の大きな特徴。部下としての対策は、実に難しい。必要以上に関わらないようにするべき。ただし、適度なペースで報告をしておきたい。その際も、単独行動ではなく、できるだけ他の部員と共同で行動をしたほうがいい。孤立して睨まれると、何かと狙われやすい。

③だが、自分と同じ土俵に上がる者を決して許さない。
 執拗に押さえつけようとする

 これは40~50代の管理職にも見られる傾向だが、観察をしていると、目立つのは30代後半までくらいのリーダーである。好意的に解釈すると「責任感や使命感の表れ」とも言えるが、経験が足りないために部下の心や心理、さらに仕事のポイントなどが正確には理解できていないことが、大きな原因である。

 本来、会社としてこういう未熟なリーダーたちの育成や管理を早いうちからするべきなのだが、大企業ですらそれがなかなかできていない。ここ10数年、「40~50代の管理職層のマネジメント力が落ちている」と指摘する識者が多いが、筆者は30代のリーダーのマネジメント力が低いことこそが、最も大きな課題だと思う。

部下の批判に脅威を感じると
「会社の敵」というレッテル貼りを

④ところが、「会社 VS その編集者」というくくりにされてしまう

 この会社に限らず、経営側の常套手段。部下などが何かの意見を言ったとき、それに説明がつけられずに不利になると、その部下を孤立させるようにする。逆に言えば、孤立させようとするとき、その部下の言い分が理屈の上では正しい可能性が高い。少なくとも、上司らが反論できない何かがある。つまりは、脅威と感じているからこそ孤立をさせようとする。
⑤キャリアが浅く、「混乱」や「正常な姿」に
区別がついていないからだ

 こういうリーダーや管理職が、部下からすると最も困る。正常な判断力は、一定の経験に裏付けられる。それがないのだから、判断しようとしてもできるわけがない。そもそも、判断をしなければいけないことすら心得ていない。

抜擢人事を頻繁に行う会社は
入社時に注意したほうがいい

⑥だからこそ、その程度のスキルにもかかわらず、転職試験を経てこの会社に入社してから、わずか半年で副編集長になれた

 本人は、こういう会社に入ることに意味があったのだろうが、部下からすると苦痛を感じるはずだ。会社を選ぶとき、「実力主義」などと称し、あまりにも短い期間で抜擢人事を頻繁に行っている職場は、慎重に考えたほうがいい。

 この女性副編集長のようなレベルのリーダーや管理職がいると、部下が真面目に仕事をするほど無念な思いをする可能性がある。本当の「実力」は、わずか数年で判断できるものではない。仮に数年で抜擢などを行っているならば、人事が機能していないと見るのが妥当だろう。

⑦これもまた、現在の企業社会に
 はびこる「歪んだ実力主義」の一断面である

 この会社は、「実力主義」を謳っている。しかし、実態はこの有様である。多くの人はこの謳い文句に騙されるが、少なくとも影の面にも目を向けた上で、こういう会社を見据えるべきではないだろうか。