堺屋太一氏の遺言「2020年までに3度目の日本をつくれるか」

https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00015/021200001/
大竹 剛
日経ビジネス副編集長

 

 「団塊の世代」など時代を切り取る数多くのキーワードを生み出した作家の堺屋太一さんが2月8日、亡くなりました。83歳でした。堺屋さんは1960年に旧通商産業省(現経済産業省)に入省後、大阪万博や沖縄海洋博の企画などに関わりました。経済企画庁長官も務め、戦後経済のプランナーとして活躍しました。
 日経ビジネスは戦後70年の特別企画として2014年12月29日号の特集「遺言 日本の未来へ」で、戦後のリーダーたちが次代に遺す言葉を集めました。その中で堺屋さんは“遺言”として、「官僚主導の日本を壊し、『楽しい日本』をつくろう」というメッセージを託してくれました。
 インタビューで堺屋さんは戦後日本を振り返り、「敗戦で日本人のメンタリティーは、物量崇拝と経済効率礼賛に180度変わった」「欧米が文明を転換している間に、日本はひたすら規格大量生産を続け、それが一時の繁栄をもたらし、バブルとなって大崩壊した」と分析していました。
 堺屋さんをしのび、当時の記事を再掲載します。堺屋さんは、「3度目の日本」を目指そうと私たちに語りかけています。
 ご冥福をお祈りいたします。

 


 私は戦時中、大阪偕行社小学校という、陸軍の将校クラブ「偕行社」の附属小学校に通っていました。当然、その学校は軍隊教育が売り物で、体罰を交えながら帝国不敗という信念を叩き込まれました。陸軍の退役少将だった校長は、「我が大和民族は極東尚武の民であり、帝国軍人は忠勇無双である。よって我が陸海軍は無敵、不敗」と生徒たちに教え込んでいました。「我が1個師団は、米英の3個師団に対抗できる」――。そういう訓示を朝礼のたびにしておりました。


 私は昭和17年の4月に入学したものですから、毎日のように『軍艦マーチ』が鳴って、戦果とどろく臨時ニュースが入ってきていました。当然、日本が勝っている、と私たちは思っていました。


 ところが、だんだんと戦場が日本に近づいてくる。入学した時には南太平洋のはるかかなた、ガダルカナルで戦っていたのが、やがてラバウルになり、ソロモン諸島になり。ひょっとしたら日本は負けているのではないかと、小学校2年生の時にはそんな感じを持つようになっていました。

 

 やがて空襲警報が鳴るようになって、昭和20年の2月1日だったんですが、奈良県御所市に古い実家があったので、そこに疎開しようと考えている、と親父に連れられて校長先生に言いに行きました。そうしたら校長先生は、「おたくは8連隊の近所で帝国陸軍に守られているから大丈夫だ」と言うのです。それでも父は疎開させました。結局、6月1日の空襲で丸焼けになっちゃったんです。それでもしばらく焼けなかった間に、大八車で荷物を運べたのは有難かったと思います。

 終戦は疎開先の奈良県御所市の旧宅で迎えました。

 

「兵隊はアホやで」と大阪市民は冷めていた

 

終戦間際のことで、今でも記憶に鮮明に残っているのは、私の知る限り、大阪市内では反戦運動や停戦を求めるような動きは全くなかったということです。勝っている時にもちょうちん行列や旗行列もあった、という記憶はありません。
 大阪市民は冷めていたのかもしれませんね。もしくは、まあ、いい加減だったんでしょう。


 昭和19年、つまり敗戦の前年の11月か12月、学校で教えられた通りに町で出会った陸海軍の将校に挙手の敬礼をしていた時のことです。初めの頃は「行儀がいい」とか、「かわいい」とか言う声があったのに、その頃には「あの子ら何をやっているんね。アホやな。兵隊はアホやで」と、聞こえよがしに語る人が増えていました。

 

 だから、少なくとも大阪の中心街では、既に昭和19年の年末にはそういう雰囲気が漂っていたのです。負け戦を感じ始めていて、その感情を抑えきれなくなっていたのでしょう。

 

 その当時とはどんな時代だったかというと、B29が時々10機ほどの小編隊で、近所にあった砲兵工廠に爆弾を投下していました。まだ絨毯爆撃は始まっていませんでしたが、物資はどんどんなくなって食糧難になりかけていました。徴兵検査で不合格になった人まで徴兵されるような時代で、町では「贅沢は敵だ」ということで防空演習が盛んに行われていました。


 それで年が明けた3月、東京大空襲は3月1日ですが、大阪は13日に大空襲がありました。その頃からしゃかりきになって一億玉砕という人が出たんですが、私は疎開前の昭和20年1月、先生が「一億玉砕」ということを言い出したことを覚えています。私は一瞬考えて、「日本国民一億が玉砕したら、この戦争は負けではありませんか」と先生に聞いて、ぽかぽか殴られた記憶があります。

 

 

官僚システムの行き着いた先が「一億玉砕」だった


 私がこうした戦争中の経験から今に思うのは、なぜ一億玉砕が言い出されたのか。これが官僚システムの恐ろしいところだ、ということです。官僚というのは、消去法で可能性のある道だけを探る。要するに、この戦争は勝てない。しかし、日本は降参しない。そうすると玉砕よりほかはない。だから悪人でもアホでもない軍人や官僚が、真剣に一億玉砕だと言っていた。小学校の先生まで同じことを言い触れていた。

 

誰が考えても、一億玉砕したら日本は負けだということは分かっていたはずです。しかし、そういうことを言うと殴られる。それが、今の日本と非常によく似ている。


 官僚システムというのは、自分の官僚としての権限、立場、既定の方針などが変わらないことを前提としている。要するに、日本は降参しないということですね。それで勝てないとなったら、玉砕という選択しか残らない。それを当たり前のように吹聴して、それ以外のものを異端分子としてみんなで弾圧する。それを普通の官僚がみんなやるという官僚システムの恐ろしさを、子供心に思ったんですね。


 そういう私も大学を卒業すると官僚になりました。1960年のことです。その当時は成長一途でしたから、官僚の方針と日本の国益は一致していました。この状態が1980年まで続きます。私は幸いにも、その頃の日本の大事件にほとんど主体的に関わりました。

 

 大阪万国博覧会、沖縄復帰、石油ショック、阪神大震災の復興。小渕恵三内閣で経済企画庁長官をしていた時の大不況。戦後の大事件の多くに傍観者としてではなくて主体的に関われたことは、非常に幸せだったと思います。そして、私がやった仕事の多くは、官僚機構としては異端でした。例えば、万国博覧会を提唱するなんていうのは、大異端だったわけです。


佐藤栄作総理は「沖縄の人口を減らすな」と言った

 

 印象深かったことの1つに、沖縄復帰があります。私は沖縄復帰の日に、沖縄開発庁那覇事務所に通商産業部企画調整課長という肩書きで行き、そこで観光開発をやることになりました。


 1972年4月の初め、佐藤栄作さんに総理公邸でお目にかかった時に、「総理が取り返された沖縄はどうなったら成功なんですか」と、訊ねました。それに対して佐藤さんは、「人口を減らすな」とお答えになりました。


 当時、沖縄の人口は96万人でしたが、復帰後の15年間で約4割まで減少するだろうと言われていました。それは、地域コミュニティーがほとんど崩壊することを意味します。だから「沖縄復帰は悲劇である」というような論調もありました。


それに対して佐藤さんは、人口さえ減らなければ、それは喜んで住んでいることを意味するんだ。だから人口を減らすな。こういう話でした。


 それで沖縄へ行って、どうやって人口を保つかを考えました。その時、気がついたんです。戦後日本というのは、官僚が東京一極集中政策を猛烈な勢いでやっていたんですね。それで特に全国規模の頭脳活動、つまり、経済産業の中枢管理機能と情報発信と文化創造活動の3つは東京以外でしちゃいけない、ということになっていた。

 

官僚が進めた東京一極集中の弊害

 

 だから金融貿易は東京以外でしちゃいけない。大きな会社の本社も東京に置け。そのために各種業界団体の本部事務局は東京に置けと。つまり、沖縄での頭脳活動は一切ダメというわけですよ。地方は頭がないんだから、手足の機能に専念しろ。つまり、農業や製造業、建設業の現場になれ、というわけです。

 

その代わりに東京はお米を高く買い、建設補助金をばら撒き、公共事業を盛んにするという仕掛けにしていたんですね。


 そんな官僚が作った規制から外れているのは、観光業しかありません。それで沖縄で観光開発を打ち出し、海洋博覧会を契機に沖縄を訪れる観光客の数を10倍にしようという話を作ったんです。


 その時にお目にかかったのが、世界的な観光プロデューサーと言われたアラン・フォーバスというアメリカ人です。この人は、当時の日本で行われていた観光開発は全部間違っている、と言うんです。道路を造るとか、飛行場を造るとか、ホテルを建てるとかいうのは、これらは観光を支える施設ではあるが、観光の施設ではないと。


 じゃあ、観光に必要なものは何かというと、「あれがあるからそこへ行きたい」という“アトラクティブス”だと言うんです。それは6つの種類がある。ヒストリー、フィクション、リズム&テイスト、ガール&ギャンブル、サイトシーン、そしてショッピングだと。この6つの要素のうち3つそろえろと言うんですね。

 

沖縄の悲しい歴史にはあえて目をつむった

 

 それで結局、沖縄の観光開発では歴史にはあえて目をつむろうと考えました。当時、沖縄へ来る観光客のほとんどは「ひめゆりの塔」とか、「摩文仁の丘」とか、つまり戦争の悲しい歴史だった。それよりも、風光明媚を売ろうと。それで篠山紀信さんに撮影を頼んで、南沙織さんという若い歌手をモデルにして『美しき沖縄』という写真集を撮ったり、あるいはあえて批判精神に溢れる加藤登紀子さんや田端義夫さんに『西武門節』や『十九の春』という沖縄民謡を歌ってもらったり。そして最後に、沖縄は健康ランドというフィクションを流行らせた。プロ野球のキャンプは、その目玉です。

 

 それで、沖縄に来る観光客の数は復帰前年には24万人だったんですが、それを10年間で10倍の240万人、1000万泊にすることを目標に掲げた。結局、14年かかりましたが、その後も観光客は増え続けています。


 しかし、沖縄観光が成功する一方で、日本の青春もそこで終わったんです。


「団塊の世代」の警鐘、聞き入れられず


 そして石油ショックが来て、これで日本の青春が終わります。その後の10年を私は「紫雨の季節」と呼んでいるんです。温度は高いけれども、ロッキード事件が起こるなど何となく気色悪い。そんな時代が10年も続いたわけです。

 

 この間に日本は、新しい産業、経済社会体制を作るべきだった。だけど、その時はまだイケイケどんどんの香りが高かったから、政治的にはロッキード事件など気色悪いことがあったけれども、経済的にはみんなまっしぐらに規格大量生産を追求していました。


 日本万国博覧会の頃に、吉田寿三郎さんという厚労技官が来られて、戦後ベビーブーマーの問題が大変なことになると警鐘を鳴らされました。それを私は、「団塊の世代」と名付けたんですが、吉田さんは終戦直後に膨れ上がった人口がだんだんと年を取り重荷になるので、その時に備えなくてはならないとおっしゃっていた。しかし、それは当時の厚生労働省では完全に少数意見で、むしろ日本の最大の問題は人口過剰にあるという見方がまかり通っていた。


 従って、海浜や沼沢を干拓し、離島や山間に道路を造って、いかにして可住地を広げるか、これが最大の課題だと言っていたわけです。人口過剰に対応するために、何としても土地を作らないといけない。このためには公共事業をばんばんやるべきだというような考え方です。田中角栄さんはその代表でしょう。それが、その後のバブルに繋がっていくんですね。


 そもそも敗戦で日本人のメンタリティーは、物量崇拝と経済効率礼賛に180度変わっていました。戦争に負けたのは、アメリカの物量に負けたのだと。それが規格大量生産で高度成長を引っ張る原動力になっていました。

 

規格大量生産時代が終焉。しかし日本は変わらなかった


 実際、大阪万博は、日本が規格大量生産社会を実現したことを世界に知らしめた行事でした。1970年代は世界中がそうでした。しかし、その一方で70年代に世界の文明は転換します。きっかけは、ベトナム戦争でした。ベトナムで規格大量生産の武器で完全武装した米軍が、サンダルと腰弁当のベトコンに勝てなかった。なぜだということが盛んに議論されたんですね。その結論がまさに、規格大量生産の限界でした。アメリカで草の根運動や反戦運動が盛んになったのは、そうした文明の転換が背景にありました。


 20世紀の技術というのは、大型化と大量化と高速化、この3つだけを目指していたんです。それでジャンボジェット機ができて、50万トンのタンカー船ができて、5000立米の溶鉱炉ができた。まさに、あらゆる分野で最高速度、最大規模の製品が生まれたのが、70年代でした。そこが限界だったんです。


 それから以後、ジャンボジェットより大きな飛行機は、最近のエアバスの超大型機ぐらいまでありませんでしたし、50万トンのタンカーなんてもう造らなくなった。溶鉱炉も石油コンビナートも大きくなくなり、多様化の時代に文明が一気に変わったのです。


 ところが日本は、その後もまだ高速化、大型化を志向し続けた。アメリカやヨーロッパが文明を転換をしている間に、日本はひたすら規格大量生産を続けた。だがら、その間の80年代に輸出が猛烈に伸びたわけです。欧米と日本の文明のズレが、一時の繁栄をもたらしたんです。これが1つの日本の頂点、戦後の頂点ですが、それでそれが行き過ぎてバブルになって大崩壊した。


役人が国民の人生を決めてきた


 私は最近、「3度目の日本」ということを言っているんですよ。1度目の日本は明治日本。明治維新で誕生した、軍人と官僚が専制した日本です。この日本は、ただひたすら「強い日本」を目指していました。

 

2度目の日本というのは、戦後日本。これは「豊かな日本」を目指しました。規格大量生産で、官僚主導で東京一極集中、終身雇用、年功賃金。社会は核家族で住宅は小住宅・多部屋式。生まれたらすぐに教育を受けさせ、教育が終わったら直ちに就職。就職したら蓄財をして、その後で結婚して子供を産んで、家を買って、老後に備えるために年金を掛けろと。


 官僚が個人の人生設計まで全てを決めていました。それに従っていれば、それなりの中流になれた。いわゆるジャパニーズドリームですね。逆に、官僚が敷いたルートから外れると、とことん損をした。役人の言う通りに生きるのが良い国民で、それに反するのは悪い国民だと。だからニートとか、パラサイトとか、もう散々悪く言われるんですよ。


 官僚が作った人生設計に従うと、教育年限が延びるに従って結婚が遅くなるわけですよね。その結果、人口減少がものすごく速くなった。今、日本はなぜ人口が減少しているかというと、24歳以下の女性で子供を産む人が非常に少ない。アメリカは1000人の女性のうちで140人が24歳以下で子供を産むのに、日本は40人しか産まない。この差が今の日本の人口減少の最大の理由なんです。これはもう、全部役人が決めたんですね。


 頭脳活動に関わりたい人は、東京に住まなきゃいけない。地方では住めない。例えばマスコミであるとか、貿易関係であるとか、国際関係だとか、これは必ず東京へ来いというような、官僚の思うがままの日本をつくったわけです。一人ひとりの官僚はそんな大げさなことをしているつもりじゃないんだけど、全体としてはそういう官僚の意志が働いている。いわゆる、「大いなる凡庸」という状態になっている。

 

「楽しい日本」を目指し官僚システムを壊せ


 だから、今、日本がやらなきゃいけないのは、この官僚システムを壊すことです。
 官僚は皆、ものすごい正義感を持っている。ちょうど戦争中の軍人が中国に侵略することも、真珠湾を不意打ちすることも、正義感を持ってやっていたのと同じように。この官僚の制度を破壊するというのが、3度目の日本です。


 3度目の日本。それは、官僚制度ではなしに、本当の主権在民を実現する「楽しい日本」です。今、日本は「安全な日本」なんですよ。安全という意味では世界一安全です。だけど全然楽しくない。


 例えばお祭りをやろうとしても、リオのカーニバルなんかでは何人も死ぬんですよ。そんな行事がいっぱいある。アメリカの自動車レース「デイトナ500」なんかもそうでしょう。楽しみと安全とを天秤にかけて、多少は危険だけどこの楽しさは捨てられない、というのが外国にはあるんですよ。


 ところが日本は、どんなに楽しくても、少しでも危険があったらやめておけ、やめておけと、官僚が統制してしまう。それがマスコミや世間でも通っているんですよ。


 安全だけでいいなら、監獄に入ればいい。それでもみんな入りたがらないのは、監獄には幸福を追求する選択性がないからです。その意味で、今の日本はまるで監獄国家とも言えるほどです。その監獄国家から、幸福の追求ができる選択国家にしなきゃいけない。そうすると、ベンチャーを起こす冒険心も復活する。この官僚主導からいかにして逃れるかが、これからの2020年までの最大の問題なんですね。




中曽根康弘が壊した日本の教育システム

教育は子供のため、親のため、それとも国家のため?
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47909

伊東 乾
作曲家=指揮者 ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

 

「国難」としての少子高齢化


子供が少なく、納税者人口が減少、年金生活者など高齢層の人口比率が上がる「逆ピラミッド型」を言っているわけではない。 

 極論すれば、ドイツ型でやればいいんです。どんどん移民を受け入れる。で有為で能力のある人に働いてもらえば、この種の問題は大したことではないと私は思う。


教育サービス産業は日本を滅ぼす


 この点についての明確に責任を問うべき人物(集団)があると私は考えています。中曽根康弘大勲位で、彼が政権首班の時代に「教育の受益者負担」なる亡国のバカ政策が大手を振るうようになって、日本の屋台骨が腐り始めたと私個人は思っています。

 教育というのは、本来、国のもといを次ぐ次世代を育てる、国家が取り組むべき最も重要な課題で、次代の我が国をどうするか、という一大事にほかならない、はずです。

 ところが「受益者負担」とはどういうことか?

 教育によって益を受けるのは、その本人なのか?

 そうではないでしょう!

 有為の人材が育つことで社会が活性化し、結果的に税収などもきちんと確保される。国が官費、公費をつぎ込んで本気で取り組むからこそ「公教育」というのではないですか?

 それが受益者負担とはどうしたことか。バカも休み休み言いなさいというのが、いまもって私が思う国難の1の1にほかなりません。

 


自分の子供の創造性を殺す親たち、教師たち

世界に通用する本物の人材を育てる教育とは何か
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47863?utm_source=editor&utm_medium=self&utm_campaign=link&utm_content=recommend

30年ほど前、私がまだ20歳頃の話です。学園祭の委員として「入試」を取り上げたことがありました。ゲストでお呼びした数学の森毅・京都大学教授(当時)の開口一番が素晴らしかった。

 
 
 「学校いうんはアホをいれて賢うして出す所やのに、いまの日本は賢い子を入れてアホにして出しとる」

 場内も、ほかのパネリストも大爆笑となりました。でも、「これってただ笑って済まされる話ではないよな」と、司会進行をしながら率直に思ったものでした。

幾度も記す事ですが、勉強と研究は「天地ほどに違う」と言うか「オスとメスくらいには完全に別物」の側面があります。

 私自身の職掌を例にお話ししましょう。音楽には演奏という仕事と作曲という仕事、異なる2つがあります。素晴らしい演奏の大家で、作曲させるとさっぱりという人もいるし、卓越した作曲家が練習不足でピアノでコケるといったこともごく当たり前にある。


音楽を仕事にしてかれこれ30年、プロの卵を教えるようになって20年ほど経ちますが、演奏は教えられるけれど作曲を教えるのは不可能に近いと思います。

 

日本の若者を堕落させたマニュアル至上主義
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47179?utm_source=editor&utm_medium=self&utm_campaign=link&utm_content=recommend
思考が停止、臨機応変な対応ができない人が急増中


一歩会社の外に出たら、年収400万円稼げない

http://diamond.jp/category/s-secondcareer

 

「50歳以上のサラリーマンが再就職した場合の年収は、400万円が相場。定年後ならそこまで稼ぐのはかなり条件のよい場合になります」
シニアの就職市場が、この世代が退職金や年金をもらっていることが前提になっているからだという。

 

 多くの会社では、新たに雇う元部長クラスの人材が年収1000万円の社員より有能だったとしても、その人に同じ給料を出すことはない。定年後の再就職では大幅に賃金が下がる給料体系になっているからだ。高給を稼げるシニアは、新規事業の立ち上げや海外進出、特許管理といったスペシャリストに限られている。

 

 いま、定年後の人気職種の一つは、「シルバー人材センター」の駅周辺の駐輪場整理だそうだ。朝2~3時間程度の仕事で、時給は800~900円程度。いつも順番待ちの状況だ。それだけ「定年後に働きたい」と考えているシニアが多いことの証でもある。


 定年後の職場を人材不足に悩む介護現場に見出す人も増えている。自衛隊を50代半ばで定年退職したYさんもその一人。自衛隊で行われている退職者のための技能訓練でホームヘルパー2級の資格を取得し、半年ほど前に働き始めた。実際に仕事をしてみると、自衛隊と同じくらい精神的にも肉体的にもキツイらしい。

 

50代はまだ住宅ローンを抱え、子どもが大学に通っていてお金がかかる人も少なくない。隠居生活に入ったり、青い鳥を追いかけるような余裕のある人はごく一部にすぎないのだ。

 

気持ちを切り替えて、なるべく早くプレーヤー能力を磨いてセカンドキャリアの形成を目指すべきです


「人生の目標」すら、
 会社から与えられていた?

 

会社名・肩書きの入った名刺がなくても、『私は○○○○ができます』と言えるかどうかということ。50歳になったら、そろそろ会社が与えてくれたキャリアを自分のスキルや強みに換えて、70代までイキイキと働ける方法を見つけることが大切なのだ。

 


お金を刷って国の借金帳消し──。その手段、メリットとデメリットとは
http://diamond.jp/articles/-/83391

政府紙幣は突飛な話ではない
量的緩和も効果は同じ


政府紙幣の発行で得られる
 シニョレッジ(通貨発行益)とは

 通貨法第四条では「貨幣の製造及び発行の権能は、政府に属する」とされ、政府に発行権限があることが明らかにされている。

 記念貨幣として1万円のプラスチックマネー(紙弊より耐用年数が長く経済的。しかも偽造しにくい)を出すことに問題はない。

 たとえば、天皇ご即位○○周年記念として1万円の記念通貨を10億枚発行できる。この場合、政府の損益計算書(P/L)では政府収入は10兆円となる。政府バランスシート(B/S)では、資産側で現預金10兆円増、負債側でその他債務10兆円増となる。ここで、政府収入10兆円をシニョレッジ(通貨発行益)という。

 もし法律改正していいなら、頭の体操であるものの、臨時法で10兆円政府紙幣を1枚発行し、日銀に持ち込み、政府預金を10兆円とすることもできる。これなら、新しいお札を印刷することなく、日銀券が自動的に増発できる。発行コストは、実際に大量の貨幣を作らない(一枚作る)のでほぼゼロとなる。

 政府紙幣を発行して得られた政府収入をどのように使うかは、政府次第である。冒頭の人のように、国債償還に使ってもいい。すると、政府B/Sで、資産の現預金が減少し、それと同額の負債の国債が消える。また、政府収入を国民にばら撒くことも立派な有効需要創出政策である。実際にばら撒く手間・コストを考えると、すべての人が払う社会保険料を減額することが最も効率的だ。


 

 

 


1.個人向け国債・変動金利10年満期型
 2.MAXISトピックス上場投信(コード番号1348)
 3.上場インデックスファンド海外先進国株式(コード番号1680)

リスクを取りたくないお金で10年くらい



 日本では14年近くの間、短期金利はゼロ近くで推移し、長期金利は2%以下で推移するという極めて珍しい時代を送ってきた。過去の歴史を振り返ると、長期金利が1%近辺で推移したケースはないわけではない。17世紀のイタリアのジェノバや第二次世界大戦後の米国でやはり同様の超低金利時代があった。しかし、いずれもその後に金利は大きく上昇している。
 あまりに長期にわたり、低金利に慣らされてしまった我々日本人にとり、金利は低くて当たり前の感覚に陥ってはいまいか。もしここで金利が上がったら、いったい何が起きるのかを考えたことがあるであろうか。
 3・11を経験した日本人にとり、起きるはずはないという前提で物事を考えることは危険であることは身に染みて感じてきたはずである。もし、起きたらどうする、ということを前提で考えることは、金利に関しても同様のはずである。
 もしかすると世界の歴史の中で、2012年という年は「超低金利時代のピークの年」と呼ばれることになるかもしれない。そんな兆しも出ている。むろん、これで絶対に金利が上昇するとする予言するものではない。
 しかし、スイスで長期金利の過去最低水準を更新し、ドイツの2年債利回りがマイナスになり、英国や米国の長期金利も過去最低水準に低下したことを見ると、むしろ金利が底打ちした可能性もある。
 この本では、まず歴史上希な超低金利が世界各地で発生した理由について説明し、次に世界的な超低金利時代の兆しについて確認したい。さらに超低金利時代に慣らされてしまった日本の姿について見た上で、超低金利時代が終わって何が起きるのかを予想してみた。
 もし日本の金利が上昇をはじめたら何が起きるのかという想定は、地震の想定のように不可欠のはずである。オオカミが来るぞと言いふらして恐怖心を煽るのではなく、オオカミが来たらどうするか、それを冷静に考えることができるうちに、そのリスク等を想定しておくこともたいへん重要ではなかろうか。
 リスクといえば金利の急上昇を促しかねないリスクが存在する。特に巨額な政府債務を抱えた日本では、金利の上昇は緩やかなものにとどめなければならない。しかし、デフレ脱却を目的として、日銀による国債引受まで提唱されてきている。これにはたいへん大きなリスクが潜み、長期金利の急上昇を招きかねない。これについても考察したい。
 今後の金利の上昇についても、過去のケースがあまり参考にならないことも認識しておく必要がある。少なくともここ15年間の動きはほとんど参考にならないであろう。ところがこの間に、日本の経済財政構造は大きく変わってしまっている。同じ金利の上昇でも、15年前と現在ではまったく影響が異なっている。この間にIT革命があり、コンピュータや通信技術が発達し、情報伝達速度が飛躍的に向上している。また、金融そのものもグローバルに結びつき、海外市場との相互の影響力が格段に大きくなっている。このようなことも前提にして日本における金利の上昇を考える必要があろう。    


実はニクソン・ショックから44年も経った今日、財政健全化とか財政
 破綻などと言う言葉があること自体不自然と言うべきなのである。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu344.html

 

財政健全・不健全の概念が間違いであり不要であることは1971年8月15日アメリカのニクソン大統領がドルと金の交換制を廃止した時認識されるべきこと。

 朝鮮戦争、ベトナム戦争を経てアメリカの財政は赤字になりアメリカは35ドルで金1オンスを保証することが出来なくなり、ニクソン・ショック以降必要に応じて何の物的担保も保証もないドルを連続発行している。

 

結果アメリカは世界最大の債務国になり18兆ドルの国家負債の返済めどは全くなく、毎年赤字国債(債務を払う為の融通手形)の上限を拡げ続けている。
日本の場合はアメリカの債務がGDP比約100%なのに240%で毎年40‐50兆円の赤字国債を発行し続けている。

 

だから米国債も日本国債も潜在的破綻国債だが返済期日が来ると赤字国債を発行して返済しているから実際に国債不履行になったことはない。
 実はニクソン・ショックから44年も経った今日、財政健全化とか財政破綻などと言う言葉があること自体不自然と言うべきなのである。


 今日のカネがモノを言う資本主義の時代において日本人は世界一幸せであると言われるのは国民がGDPの300%もの現金を持っているからである。
そんな国は世界中どこにもない。


 当然のことながら日本の国民と利害が相反する日本国家はGDP比240%と言う天文学的債務国である。


民主主義の価値観からすれば日本は世界で最も優れた民主国家と言える。
 必要に応じて自国通貨を刷り続けるのが国民の為の優れた国家である。
 「そんなことをしたら自国通貨の信用が地に落ちる」と言うだろうが、負債返済のための赤字国債も必要の内、緩和資金で得た不労所得で贅沢をして経済成長に貢献するのも必要の内、それが何であれ新たに発行する通貨に必要性がある限り通貨の価値は落ちるが信用は落ちない。
10月以降の株価暴落に財政問題は関係しないとだけ言っておく。

 

世界経済を見ると今やアメリカと日本が中心となって回っており、世界に通貨を供給しているのはアメリカと日本であり、国債を発行してもインフレにならない。新興国が国債を発行し過ぎれば金利が上がってしまう。アメリカや日本が金利を上げると世界経済はショック死をします。

 

 G20でもアメリカの金利の引き上げが問題になったようですが、おそらくアメリカが金利を上げれば新興国はドルの引き揚げで金利が急騰してしまう。中国も新興国であり、巨額な外貨準備高は虚像であり本当はドルの流出が止まらなくて立ち往生している。

 

 日本は1000兆円以上の国債を発行しているのにゼロ金利は解消されそうにない。アメリカの18兆ドルもの国家債務があってもゼロ金利でいる。ゼロ金利で中央銀行が大量に買っている。これは通貨を大量発行しているのと同じであり、ゼロ金利の国債とは通貨の事だ。

 

このような事が出来るのはアメリカと日本だけであり、ユーロのECBは勝手に国債を買いこめない。PIIGS諸国のように金利が急騰する国がありよーろは実質的に破綻している。中国も人民元を国際通貨にしようとしているが肝心の経済がおかしくなり始めている。

 

 AIIBで中国はユーロ諸国と組んでアメリカのドル基軸通貨体制に揺さぶりをかけたが、肝心の中国のバブルがはじけて中国の中央銀行総裁もバブル崩壊を認めた。なぜ弾けたかと言うとアメリカや日本が中国から投資を引き揚げているためであり、AIIBで中国はアメリカの虎の尾を踏んだ。

 

 現代の戦争が通貨が銃弾や砲弾となる戦争であり、アメリカや日本は国債をいくらでも発行して供給が出来る体制なのに、それ以外の国はドルを貯めこんで信用を付けなければならない。人民元も結局はドルの裏付けで信用を得てきたが、ドルが引き揚げられれば人民元は暴落する。

 

 中国初の世界同時株安は、世界中が中国に投資してきたドルが引き揚げる事で中国経済の破綻を予知するものであり、大連の大爆発のように中国経済は大爆発して廃墟だらけになるだろう。ブラジルなども経済破綻で190万人の大デモが起きていますが、BRICS諸国は経済破綻の瀬戸際にいる。

アメリカ資本も日本資本も工場を中国に移してきましたが、インフレでコスト高になり資本を引き揚げている。習近平は軍事大パレードで虚勢を張っていますが、それを支える経済力が破綻しかけている。ロシアのプーチンも同じ身の上であり、ロシアももうじき外貨のドルが底をつく。

 

 新興国も不良債権が増大して返済もドルで借りたものはドルで返さなければならない。アメリカが金融緩和でドルをばら撒いて、それが新興国に投資されてきましたが、アメリカが金利を引き上げれば新興国はドルを返したくても返せない。中国は大量の米国債を売却していますが、FRBや日本が買い取ってしまう。

 

 日本の異次元の金融緩和で円安株高になりましたが、円が安くなったのに金利はゼロ金利のままだ。日本企業は利益を内部留保で貯めこんでいますが、少し前は200兆円だったのに今では330兆円を超えている。ならば自社株買いでもするか、社員の給与に反映してほしいものだ。それらの多くは国債に買われている。

 

それだけ企業も投資先が無くて困っているのですが、自社株買いや給与でばら撒いてほしいものだ。それで景気が良くなれば税収も上がり消費も増える。しかし財務省のバカ役人が財政再建と称して増税しようとしていますが、企業の内部留保330兆円を消費に回せば景気も良くなり税収も上がる。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu344.html


GEは2015年を転機に、金融事業を売り払う計画でいる。
http://diamond.jp/articles/-/86955?page=2

 

 GEつまりゼネラルエレクトリックという会社が過去30年間で世界最高水準の事業価値を持つ企業であり続けた最大の理由は、電機メーカーから金融会社へと中身を変えたことにある。GEはソニーやシャープの経営危機が訪れるはるか以前にテレビの製造部門を売り払って、リースや消費者金融のような金融事業をたくさん買収していたのだ。

 

 ところがジェフ・イメルトCEOが昨年、そのGEの事業資産の4割を占める金融事業を随時売却していくと宣言した。理由はフィンテックと呼ばれる金融工学の潮流が変わったことで、金融事業について今後は「期待されるROI(収益率)が低くなる」ことがはっきりしたからだという。

 

 ではGEは金融事業を売り払って、どこに投資をしようというのか。実はその答えは製造業だという。IoT(インターネットオブシングス)によるイノベーションが期待される製造業領域こそが今、一番高いリターンが得られるリスク領域だとジェフ・イメルトはインタビューで語っていた。

 

 つまり悪いニュースだが知っておいて損がないのは、世界で一番お金を増やすのが得意な会社が、金融から手を引くと宣言をしている、という残念な事実なのである。


http://www.adpweb.com/eco/index.html

しかし投機筋は計算をせず無闇に動いていると考えるのは大きな間違いである。筆者は、投機筋というものは市場に発生した矛盾を目掛けて仕掛けると見ている。これに関し本誌は15/3/16(第836号)「価格暴落でも供給増」で「1992年のジョージ・ソロスによる英ポンド暴落劇」の話を紹介した。

原油価格暴落は、異常な高値が続いていたことで狙われたのである。本誌で何度も説明したが、原油価格の長期の動きに需給関係や地政学的リスクはほとんど関係がない。またドル・円の推移についても同様のことが言える。


そこでついでに円相場の動きに言及する。3年前(当時は超円高からの是正が開始した時期)の13/1/14(第739号)「年頭にあたり」で「今回の円安のメドを、購買力平価の104~107円(OECDは104円)程度」と述べたように、為替は購買力平価に収斂する傾向がある。また為替の動向は、購買力平価に加え経常収支に影響される。経常収支が大きな赤字であった3年前から(原発停止や原油高で化石燃料の輸入額が増え、円高が加わり貿易収支は大きな赤字)、昨年は経常収支がとうとう黒字に転換するまでに到った(貿易収支が大きく改善)。つまり今日においてはいつ円高に移行しても不思議はなかったのである。

3年前まで大きな貿易赤字が続いていたのにずっと超円高といった矛盾した状態が以前は続いていた。たしかに円安に反転したきっかけは黒田日銀の大胆な金融緩和であり、ここ2年間の円安はこの矛盾の解消の結果と考えべきである。つまり円安移行の根底には、為替水準が購買力平価と掛け離れ、また大きな経常収支の赤字というものがあったと筆者は理解する。


しかし最近までの120円台の円相場は、逆に購買力平価から見ると明らかに行過ぎた円安への是正と筆者は見ていた。したがっていつかこの矛盾を投機筋が突いてくると思っていたのである(経常収支の黒字転換を待っていたとも感じられる)。今回の円高はどこまで行くかはっきりしたことは言えないが(知りたかったら投機筋に聞いてくれと言う他はない)、方向としては日本の購買力平価であり、是正のピッチは日本の経常収支の動向と筆者は思っている。