2013年08月03日(土) 奥村 隆 

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」【第36回】
父を悲しませてしまったことを思い出し、今も胸が痛む

学校でたった一つ好きなのが「時間割」

7月下旬、我が家が最も神経をとがらせる季節がやってきた。なぜかというと、息子の小学校が夏休みに突入したからである。

では、どうして学校が夏休みになると、そんなに家の中がピリピリと殺気立つのか。それは、はっきり言ってしまえば、息子が家の中にずっといることになるからだ。

もちろん他の多くの家庭でも、夏の暑い盛りに毎日、小学生くらいの息子や娘が朝から晩まで家の中にいるとなれば、いろいろと面倒なことや鬱陶しいこともあるだろう。しかし、その子供がASD(自閉症スペクトラム障害)を抱えているとなると、その大変さたるや半端ではない。他の家族が夏休みの1ヵ月余りを乗り切るまでに、一般的な家庭では思いも寄らないようなことが次々と起こってしまうのだ。

以前も述べたように、息子は、何をするにも細かい予定を、それもしばしば分単位のスケジュールを立てて、寸分違わず実行することが大好きだ。そのスケジュールを何らかの理由で崩され、想定通りに物事が進まないと、ヒステリックな状態に陥ってしまい、いきなり怒声や叫び声を上げて周囲に当たり散らすことも珍しくない。その、ひとたび"スイッチ"が入ったときの荒れた振る舞いたるや、まさに「スケジュール魔」と呼ぶにふさわしい。

集団生活になかなか馴染めず、友達とコミュニケーションを取ることが極端に苦手な息子だが、どうやら一つだけ、学校に満足している点があるようだ。それは、授業の時間割があること。誰もが知っているように、よほどのことがない限り、学校では時間割が崩れたり変わったりすることはなく、それが息子の「スケジュールへの執着」を十分に満足させてくれるらしい。

何かあったの?」と聞くと、息子は吐き捨てるように、 妻によると、数ヵ月前のある日、息子は予定より1時間も早く学校から帰宅したという。しかも、ふくれっ面で「ただいま」も言わず、今にも感情を爆発させそうな雰囲気だ。妻が「どうしたの?

「先生が急に用事が入ったとかで、今日の最後の授業がなくなったんだ。なんでこんなことになるのかわからないよ。時間割と違っちゃうじゃないか!」

と言った。妻が「授業がなくなって早く帰れたんだから、よかったじゃない。他の子も喜んでいたんじゃないの?」と聞くと、息子はさらに頬を膨らませて、「他の人は知らないよ。僕は嫌なんだよ。だって、時間割の通りじゃなくなるじゃないか!」と答え、そのまま自室に駆け込んでしまったという。

しかし、夏休みに入るとその時間割がなくなるので、息子は、自分でその日の行動スケジュールを立て、その通りに物事を実行していくことに懸命になる。そして、何らかの事情で予定通りに行かないと、そのたびに不機嫌になったり、パニックになったり、怒り出したりする。

その点はいつもと同じだが、長期休暇の間、そのような感情の起伏に毎日、付き合わされるのは妻だ。おかげで彼女は、息子が小学校に入って以来、夏休みが来るたびに「本当に大変なのよ。あなた、わかってるの?」と僕に不平を漏らす。

さらに、ここで我が家ならではの新たな問題が一つ生じてしまう。息子の夏休み中の「スケジュール魔」ぶりと、それが原因で起きる彼の感情の激しい揺れに対して、父親である僕は、実はあまり本気で対処しなければならないと思っていないのだ。

妻には本当に申し訳ないのだが、彼女にも(学期中に息子が感情を爆発させたときと違って)心の奥ではどこか、「仕方ないじゃないか」と思っているところがある。薄情なようだが、正直に打ち明けるとそうなる(もちろん、妻に向かってそのことを口に出したりはしない)。

その理由は一つしかない。僕も息子と同じASDを抱える「スケジュール魔」であり、子供の頃、夏休みのスケジュールへのこだわりの強さは、今の息子以上だったからである。

夏休みの宿題をやらないのび太は、何を考えているのか?

以前、この連載でも触れたことがあるが(8回参照)、僕は小学校時代から、夏休みに入る直前の日曜日のすべてを使って、夏休みの毎日のスケジュールを、まさに1日ごとに作成してしまうのが習慣になっていた。その日は自分の部屋にこもり、外に遊びにも行かず(外で遊ぶよりはるかに楽しかった)、1学期の終業式が終わる7月20日頃から8月末までのすべての日のスケジュールを、基本的に30分刻みで立案し、大きな紙に書き込んでいく(15分刻みの部分もあった)。

テレビで高校野球を見ながらおやつを食べる」・・・といった具合だ。これを約40日分、ずっと細かく考えていく作業が、僕にとっては無上の喜びだった。 休憩 ドリル8ページ」「10時~10時30分 算数の勉強 連続テレビドラマを見る」「8時30分~10時 食休み」「8時15分~8時30分 朝食」「7時45分~8時15分 読書」「7時15分~7時45分 起床」「6時30分~7時15分 たとえば「6時30分

毎日、どんなテレビ番組を、どの時間帯にどれだけ見るか。宿題をいつやって、どんな配分で休みの最終日までにこなしていくか。すべて事前に決めていた。また、僕は小学生の頃から読書が好きだったのだが、毎日、どの本を、どの時間帯に、何ページ読むのか、それも計画していた。

家の近所には広い森があり、夏休みにはそこで虫を捕るのが僕の楽しみの一つでもあった。ただし虫捕りでも、捕獲する蝶や蝉の数をあらかじめ決めており、それに達したら、後はまったく捕る気が失せてしまうのだった。

毎年、捕虫計画の対象にはクワガタも入っていたが、たしか小学校5年生の夏休み、なかなかクワガタが見つからず、代わりにカブトムシを捕まえたことがあった。予想外の獲物に喜びこそすれ、不満を覚える筋合いの話ではないのだが(周囲の小学生の間では、クワガタよりもカブトムシの方が少しランクが上だと見られていた)、当時の僕は「どうして計画したクワガタが捕まらなくて、カブトムシなんだよぉ」と強い苛立ちを感じたものだった。

とにかく、そうやって細かくスケジュールを作り、ぴったりその通りに行動することが好きで好きでたまらないのだから、仕方がない。

だから僕は子供の頃、漫画『ドラえもん』を読んでいて、よく出てくるある場面の意味がどうしても理解できなかった。それは、のび太が夏休みの間に膨大な宿題をまったくやっておらず、最終日に必死になって徹夜で仕上げようとするシーンである。

どうしても理解できない・・・」と感じるのが常だった。 僕はその場面を読むたびに、「スケジュールを立てずに夏休みを過ごそうとするのび太というのは、いったい何を考えているのだろうか?」「ひょっとしたらスケジュールを立てているのかもしれないけれど、それが崩れても、最終日まで慌てずに平然と過ごしているのび太の神経はどうなっているのか?

ただしその後、現在に至るまで、「せっかくのんびり過ごしたい夏休みなのに、細かすぎる計画を立てて喜んでいる奥村の神経の方が理解できない」「宿題なんて、やらなきゃと思いながら遊んでサボっちゃって、最後に焦ってやるものなんだよ」などとさんざん言われ、なるほど、そういう感じ方の方が世の中では圧倒的に多数派なのだな、ということはかろうじて把握した。

小学生時代の僕は、夏休みのスケジュールの作成に、最低でも8時間はかけていた。休みに入る直前の日曜日の夜、出来上がったスケジュール表(画用紙を何枚か貼り合わせたもので、畳の1畳分より大きかったはずだ)を壁に貼りつけ、それをうっとりと眺めては至福の時間を過ごしたのである。

こんな風に精魂込めて作ったスケジュール表を自分以外の人間に崩されたとき、子供時代の僕は、激しい怒りの感情がこみ上げてくるのをどうしても抑えることができなかった。それがたとえ相手の好意から生じた変更でも、「想定していた計画を変えられた」という一点で、決して容認できなかったのである。その点、夏休みを過ごしている今の息子を見ていると、昔の小学生時代の自分と見事に重なるので、改めて唸ってしまうのだ。

僕の言葉に、呆然とした表情になった父

僕は子供の頃、毎年夏休みには、両親と一緒に家族旅行に行く習慣があった。ところが小学校3年生のとき、夏休みの直前になって、父からこう言われた。

「今、お父さんは仕事が猛烈に忙しいんだ。休みが取れそうになくて、今年の夏は家族旅行に行けなくなってしまった。悪いけど、諦めてくれよ」

「うん。わかった」

僕は素直に答えた。ちょうど、夏休み恒例の細かいスケジュールの作成に取りかかろうとしている時期だったので、声をかけてきてくれたのだろう。ちなみに、「家族旅行に行けなくなった」と言われても、僕は別に「楽しみにしていたのにひどいよ!」といった不満や落胆を感じたりはしない。事前に決まっていた旅行計画がなくなったのであれば、激怒したかもしれないが、まだ未確定だった話なのだから、「予定が立てやすくなった」とむしろ嬉しくなったくらいだ。

それから1ヵ月ほど経った8月下旬、夏休みも終盤も迎えたある日のこと。それまで連日、深夜帰宅を続けていた父が、珍しく早い時間に帰ってきて、僕たち家族と夕食を共にすることができた。父は「いただきます」と言ってビールをコップに一杯、クッと飲み干すと、母と意味ありげに視線を交わし、笑みを浮かべながら僕にこう話しかけた。

「隆、いいニュースがあるんだ。お父さんの仕事が急に一段落してな、明日から4日間、休みを取れることになったんだよ。

楽しんでこようや」 そこで、明日から海に行くことにした。泊まるところもお母さんに予約してもらったよ。今年は無理なはずだった家族旅行が、3泊4日でできることになったんだ。隆も行きたかったんだろう?

そう話す父の口調は明るく、弾んでいた。確かにその2週間くらい前、僕は父の前で「海に行きたいなぁ」とつぶやいたことがあった。ただし、さほど深い意味や思いを込めて漏らした言葉ではなかった。同級生がお盆休み、家族と海に小旅行に行くと言っていたのを思い出し、少し羨ましくなったので、出勤前の父を見送るとき、ふと口に出したのだった。

それだけで、以後、僕は自分のその発言をすっかり忘れていた(父にはすまないと思うのだが、本当に忘れていたので仕方ない)。正直なところ、海に行くよりも、休み前に立てた日々のスケジュールを実行する方が僕にはずっと楽しかった。

しかし、僕のつぶやきを聞いた父は、家族を夏休みにどこにも連れて行けないことにかなりの申し訳なさと罪悪感を覚えたらしい。後で母に聞いたところによると、その日以降、父は連日のように深夜まで残業を続け、徹夜もして、仕事をハイペースで進め、何とか4日間の休みを取ることに成功したらしい。上司から休暇を取る許可をもらったとき、父はすぐ母に電話を入れ、「よかった。海に行ける。これで隆にも喜んでもらえるな」と嬉しそうに話していたという。

でも、小学生の僕にそんな事情がわかるはずもない。そもそも「海に行きたい」と言ったことも意識から外れてしまっていた僕は、喜色満面の父に向かってこんな言葉を投げつけてしまったのだ。

明日なんてダメだよ。絶対に見なきゃいけないテレビ番組が朝の10時からあるし、宿題もやらなきゃいけない分があるし、蝉も2匹捕らなきゃいけないんだよ」 「どうしてそんなふうに、勝手に僕の予定を変えるようなことを言い出すの?

「蝉を2匹?」

「だから僕は海なんか行かないよ。でも、明後日だったら行ってもいい。明後日から3日分の勉強を、何とか明日まとめてやってしまうことはできるから。
でも明日はダメだ。お父さん、僕の予定も聞かずに変なことをやりたがらないでよ」

「変なことって・・・」

そのときの父の表情は、今でも忘れられない。別に「何を言っているんだ!」とか「お父さんの言うことが聞けないのか!」などと声を荒げるようなことはなかった。しかし、当然ながらひどくショックを受けたような、呆然とした表情で、何かを言おうとしたようだがうまく言葉が続かず、じっと悲しそうな目で僕を見つめていたのを覚えている。

しかし結局、僕たち家族は翌日、皆で海への旅行に出かけた。おそらく両親も、さすがに父がせっかく頑張って休みを取ったのに、息子のわがままでそれを無駄にはできないということで、強引に僕を連れて出かけたのだろう。

実は、その辺のことを僕はよく覚えていない。ひょっとしたら、あまりにも不快なことなので、無意識のうちに記憶から消してしまったのかもしれない。

母によると、出発した日はずっと、僕の機嫌が悪かったらしい(これも記憶にない)。父が運転する車の中で、「なんでこんなに混んでる道を行かなきゃいけないの?」「海だっていっぱい人がいて混んでるよ!」「お父さん、どうして今、信号無視したの?」などとヒステリックに文句を言い続けていたという。おそらく、自分のスケジュールを突然崩されたことで感情が激しく揺れ動き、その日が終わるまで、整理がつかなかったのだろう。

でも、宿泊先で一泊し、翌朝、海で泳いでみると、僕の機嫌はケロリと直ってしまった。岩場で何匹か蟹を見つけると、さらに嬉しくなり、その後は思う存分、海水浴と磯遊びを楽しみ、はしゃいでいた(その記憶はある)。

そのときの僕は、自宅で過ごすという予定を百八十度ひっくり返されてしまい、部分的な修正のしようもないので、思い切って家族旅行の間について、改めて自分なりのスケジュールを考えたのだと思う。たぶんそのおかげで、完全に計画を切り替えて海を楽しむことができたのだ。テレビ番組が見られなくなるとか、算数の問題集をやるとか、中途半端に数十分単位の予定が変わったのならいつまでも怒りを引きずったのかもしれないが、そうでなかったのがよかったのだろう。

とにかく、このときの旅行を思い出すたびに、僕の脳裏に真っ先に浮かぶのが、真っ青な海の美しさと、出発前日の父の悲しそうな表情である。僕を喜ばせようとして必死で休みを取り、旅行をセッティングしたのに、当の僕から「変なことをしないでくれ」などと罵られたときの父の気持ちを思うと、今も胸が痛む。特に僕自身、当時の父くらいの年齢に達し、当時の僕くらいの年頃の息子を持つようになった今ではなおさらである。

「スケジュールの変更は当然」と自己暗示をかける

こうした僕の「スケジュール魔」ぶりは、その後、中学、高校、大学を経て、社会人になってからも変わらなかった。テレビ番組制作の仕事をしている現在でも、制作期間が長い番組を担当するとき、事前に必ず、完成に至るまでの詳細な行動計画を立て、一枚の表にしないと気がすまない。

もちろん仕事には、一緒にやる同僚もいれば、取材先などの相手もいる。だから、事前に立てたスケジュールはよく変わる。テレビ番組制作の現場では当然のことだが、僕は若い頃、この仕事を始めてからしばらくの間は、ちょっとしたスケジュールの変更が生じるだけで、イライラして人を怒鳴りたくなる衝動にかられたり(まれに実際に怒鳴って周囲を凍りつかせた)、パニックに陥って手足がしびれて動かなくなったりしたことがよくあった。

今では、そういうことは激減した(たまにはあるが)。仕事を始めて10年近く、「どうして俺は、物事が想定外の方向に進むとすぐパニックになってしまうのだろう」と悩み続けていたが、あるときふと、「『仕事のスケジュールは、基本的に突然変更されるのが当たり前のものなのだ』と意識にしみ込ませておけばよいのではないか」と思いついたのだ。それから毎日のように、心の中で「仕事のスケジュールは、基本的に突然変更されるのが当たり前のものなのだ」と繰り返し、ときに口に出してつぶやいたりもした。

そうしているうちに、次第に、スケジュール変更によって怒りや苛立ち、パニックなどを感じる頻度が少しずつ減っていった。先の自己暗示が功を奏したのか、それとも単に仕事に慣れただけなのか、正確なことはわからない。まったく別の要因かもしれない。とにかく僕は、仕事に関してのみ、「物事は想定通りに進まないのが当たり前だ」ということを、自分の頭と心にある程度、織り込めたようだった。

今も仕事以外では、突然の出来事に対応するのは極端に苦手だ。家族や知人とのプライベートな行動でスケジュールが急に変わると、やはり胃のあたりから得体の知れない感情が溶岩のように湧き上がってきて、ときに爆発しそうになる。僕自身に発達障害の疑いがあると医師に告げられたとき、パニックになって動けなくなり、全身から大量の汗を流したのは、前に記した通りだ(3回参照)。こういうASDの特性とは、一生付き合っていくしかないのだろう。

「あと1分だ!」とパニックになる息子

息子は、やはり僕と同種の「スケジュール魔」だが、子供の頃の僕に比べれば、計画を詳細に立てて実行することへの執着も欲求も低いような気がする。少なくとも、夏休みのすべての日のスケジュールを30分刻みで立てたりはしていない。

それでも、息子はやはり時間には非常に細かくこだわる。夏休みに入ってから、近所の学習塾の夏期講習会に通っているのだが、その行き帰りの時間を分単位で決めているのだ。

ちなみに、息子にとって、苦手な「他人とコミュニケーション」を強いられる学校に通うのは、つらく感じることがよくあるのだが、学習塾は「勉強」に大きく特化した場であって、周囲の子供たちとコミュニケーションを取る必要はあまりない。おそらくそういう理由で、息子は昔から学習塾に行くのをあまり嫌がっておらず、特に今通っている塾は割と気に入っているようだ。親の僕としても、「塾通いによって、ある程度、予定が決まった生活を送った方が落ち着くのではないか」という期待があり、夏期講習会に通わせることにした。

息子は、家を出るのを必ず朝9時44分と決めている。そして6分間歩き、9時50分に塾に到着する。

講習が終わるのは、毎日昼の12時だ。その後、息子は塾の入口を出て帰途に着くのを12時7分と決めている。講習の終わりが数分ほど遅れる場合があるし、さらに教室から塾の入口まで2~3分かかるので、その時間を考慮しているのだ。家までは往路と同じく6分間で歩き、家に到着するのは12時13分になる。

息子はこれを正確に、毎日繰り返している。しかし、すべてを整然と進めているわけではない。

まず毎朝、家を出る前に一騒動ある。9時半を過ぎると、息子は突然、慌て始める。そして9時39分になった瞬間、必ずこう叫ぶ。

「あと5分で出発だよ!」

そして1分ごとにカウントダウンがスタートする。 

「あと4分だよ!」「あと3分だよ!」「あと2分だぁーっ!」

不思議なのは、こうして血相を変えて騒ぎたて、緊張感をどんどん高めているようなのに、あまり効率的に塾行きの準備をしているようには見えない点だ。カバンに教材やノートを入れたり出したり、「あっ、間違えた。違うのを持って行くところだった」と言って自室に戻り、別の教材を取ってきたりと、何とも騒がしくせわしない。

そして「あと1分だ!」となると、準備ができていようがいまいが、「もう行くよぉ」とわめいて玄関を飛び出していこうとする。そんなとき、妻が息子を呼び止め、「まだ国語のテキストを入れていないでしょう!」などと注意でもしようものなら、もう大変だ。息子は「あ~、もう遅れちゃうから、カバンにメチャクチャに入れるよ」と、得意の"メチャクチャ攻撃"を炸裂させる(35回参照)。

遅れちゃうよ!」と逆ギレして大声を張り上げている。そして、何とか準備ができると、「間に合った」と言い捨てて玄関を出て行く。 結局、妻が慌ててテキストを探し出し、息子に持たせることになるのだが、その横で彼はしきりと「出発まであと30秒だよ!

うちを予定通りに出ることと早く準備することには、まったく関係ないじゃないか」と応じた。 いつもギリギリまで持ち物なんかを準備しないじゃない。あんなに慌てるのなら、もっと前から準備しておけば?」と言っていた。それに対して息子は、「お母さん、何を言ってるの? こういう毎日の"儀式"が妻にかなりのストレスを与えているであろうことは、容易に想像できる。先日の晩、さすがにたまりかねたのか、妻が息子に「あなたはなぜ、塾に出かける前にあんなに焦ってイライラするの?

妻がため息をつくのが聞こえた。おそらく、「訳のわからない屁理屈ばかり言うようになって・・・」と思ってうんざりしていたに違いない。

実は、僕には、息子が屁理屈ではなく、本心を語っていることが直感でわかる。息子にとって、「9時44分に家を出ること」と「早めに準備しておくこと」は、何ら関係がない二つの事象なのだろう。そして、僕と同じくASDを持つ息子は、やはり僕と同じく、二つの行動を同時に取ることができない。息子は「時間通りに家を出る」という行動に集中しているため、同時に「塾行きの準備する」ことができないのだ。正確に言えば、そもそも初めから、両方を並行して行うという発想がないと思われる。

僕にも同じような部分があるが、それなりに人生の時間を経て、必死で訓練した末に、簡単なことなら二つの行動を同時に両立させられるようになった。しかし、それはあくまで後天的に身につけた技術にすぎない。今も人から密かに「ろくに準備もしないくせに、なぜか時間に追われて焦っている変な奴」「何をしたいのかわからない奴」と見られているのではないか、という小さな怯えを常に感じているのだ。

このように、息子の思考の傾向もわかるし、妻の気持ちもある程度まで理解できる僕にとって、しなければならないことは決まっている。

息子に対しては、妻が注意していることをあくまで論理的に説明し、明快にわからせる。妻に対しては、息子なぜあんな言動を取るのかを、僕自身の経験に立って説明し、やはりしっかりとわかってもらう。そして、妻が息子の言動からストレスを受けないように最大限の努力をする。それしかない。

しかし、これを毎日繰り返すのは、労力も忍耐力も必要で、実際にはかなり大変なことだ。だから、僕はつい呟いてしまう。

「早く夏休みが終わらないかな~」

〈→第37回〉

 この連載は原則として毎週土曜日に掲載されます。

 

 

 

 

2013年08月17日(土) 奥村 隆 

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」【第37回】
「スケジュールの空白」に耐えられない僕の、最高の夏休み

上司の善意の一言が、僕の心を激しくかき乱した

先日、僕は1週間の夏休みを取っていた。

それまで1ヵ月もかけて、ニュース番組の特集枠を制作していたのだが、VTR部分が完成した直後に突然、放送日が2週間も先送りになってしまった。といっても、番組内容に問題があったわけではない。放送予定の枠が、豪雨関係のニュースに急遽、差し替えられてしまったことが理由だった。

いきなりの予定変更である。ただし、この程度のことは、ニュース制作の現場では日常茶飯事だ。

ASD(自閉症スペクトラム障害)を抱える僕は、予期せぬスケジュールの変更や、想定外の出来事の勃発を極度に苦手にしている。だから、テレビ番組制作の世界に飛び込んで間もない若い頃はずいぶん苦しんだが、前にも記した通り、働き始めて10年近く経ったとき、「仕事上のスケジュールというのは、基本的に急に変わることが当たり前のものなのだ」と自分に言い聞かせる癖をつけた(36回参照)。

それが功を奏したのか、番組制作の過程で突発的に予定変更を余儀なくされても、激烈な怒りや苛立ちを感じることは少しずつ減っていった。これも後天的に"学習"した結果の一つと言えるかもしれない。

そのため、しばらく前に編集長から「豪雨ものをやるから、お前の特集は放送延期にするぞ」と伝えられたときも、パニックに陥ることはなかった(若い頃であれば、「どうして僕の予定を雨なんかのために変えるんですか!」とわめき散らしていたかもしれない)。しかし、編集長が次に発した言葉は、僕の心を激しくかき乱すことになった。

家族孝行してこい!」 「奥村、お前も相変わらず働き過ぎだろう。せっかく特集の放送が延びたんだから、明日からバーンと1週間、夏休みにしたらどうだ?

彼はニコニコしながら、僕に夏休みを取るよう勧めてくれたのだ。いうまでもなく、完全に善意の言葉である。

良い上司じゃないか。素直に喜んで休ませてもらえばいいのに」と感じることだろう。確かに、それが一般的な反応だと思う。 これについて、多くの人は「いったいこの言葉の何が問題なんだ?

ところが僕は、編集長にそう言われた次の瞬間、喜ぶどころか、まったく異なる精神状態に陥ってしまった。自分でも信じられないほど、大きな不安に襲われたのである。口には出さなかったが、「いきなり休んでいいって言われても、突然すぎて、スケジュールが立てられないよ!」と食ってかかりたいような気分だった。

目の前に突如現れた、何の予定も入っていない空白の1週間。その長い長い時間をどうやって過ごせというのか。

「スケジュールが存在しない」こと、それは僕にとって「スケジュールが変更されること」以上に耐えがたい、深刻な問題だったのである。やがて、不安は次第に焦りと苛立ちと無力感に変わり、心なしか胃がかすかに痛み出したように感じられた。

大汗をかき、心臓が激しく鼓動した

しかし編集長は、僕の心の中でそんな剣呑な感情が湧き起こっていることを知るはずもない。笑顔を浮かべたまま、こう続けた。

奥さんも一緒に、海か山でも連れて行ってやればいいじゃないか。でも、急な土砂降りと洪水には本当に気をつけてくれよ」 「息子さんも夏休みなんだろう?

「はあ・・・」

曖昧にうなずく僕の頭の中で、「どうしよう、どうしよう」という声が鳴り響いていた。若い駆け出しの頃であれば、「まったく白紙状態の1週間をもらっても困ります!」などと返していたかもしれないが、今は直感的に「そういう反応は絶対にしない方がいい」ということがわかっていた。

特に仕事関係の場で、発達障害を持つ人間特有のイライラ感、モヤモヤ感に身を任せそうになったときは、あれこれ考えるよりもまず、自分を抑えることがベストだ。さもないと、ひどく嫌われる危険がある---。これもまた、僕が長年かけて学習した教訓だった(もっとも、自分が発達障害を抱えていることをはっきり知らされたのは割と最近のことではあるが)。

僕はギュッと強く拳を握った。そして、顔の筋肉に力を入れて無理に笑顔を作ると、

「ありがとうございます。じゃあ、せっかくですから、明日から休みを頂きます」

と心にもない応答をした。それに対し、編集長は珍しく優しい口調で、

「どうせそのうち、また何かあれば徹夜続きになるんだからな、俺たちの仕事は。まあ、休めるときに休んでおけよ。休みの間は、緊急事態とかがない限り、お前の携帯は鳴らさないからな」

と言った。僕は無言で頭を下げてその場を離れた。

自席に戻ったとき、僕は初めて、自分が汗をかいていることに気がついた。それも、胸も背中もぐっしょりと濡れ、シャツが肌に貼りつくほどの大汗だ。

猛暑の季節だが、僕の職場にはもちろんエアコンが効いていて、普通は汗などかかない。だから、この発汗は明らかに暑さとは関係がなかった。

力なく腰を下ろすと、心臓がドクンドクンと波を打つように鼓動しているのがわかった。誇張ではなく、周囲に音が聞こえるのではないかと心配になるほどの猛烈な勢いだ。

職場でこういう状態になるのは久しぶりだった。想定外の出来事に出くわすと、精神的な平衡を失うだけでなく、肉体的にも大量の発汗や手足のしびれ、激しい鼓動などが起こる---。子供時代から慣れ親しんだ、いや、何百回経験しても慣れることのできないASDならではの症状だった。

「空白の時間を何で埋めるのか」という恐怖

その日の夜、つまり夏休みが始まる前夜。僕は帰宅するとすぐに机に向かい、ノートを広げ、パソコンを起動させた。明日からの1週間のスケジュールを立てるためだ。

何か食べる?」と尋ねてきたが、僕は「要らない」とぶっきらぼうに答えただけで、振り向きもしなかった。今にして思うと、あまりにも素っ気ない対応で、気遣ってくれた妻には本当に申し訳ないと思うのだが、そのときは少しでも早く予定を作成したくて仕方がなかった。 妻が「ビール飲む?

「目の前に、スケジュールが何も決まっていない1週間がある」という事実。それは僕にとってあまりにも気持ちが悪く、恐怖を起こさせる、1秒でも早く終わらせたい状態だったのだ。

僕は子供の頃、夏休み直前の日曜日にしたのと同じように、今回も1週間の休み中のスケジュールを、1日ごとに表にまとめていこうと考えた。それさえあれば、立てた計画をこなしていって、安心して休みを楽しむことができる。でも、それがないと、1日たりとも過ごせない・・・。そんな気がしていた。

とりあえず、まずは最初に大きな問題をクリアしなければならなかった。言うまでもなく、「スケジュールの空白部分を何で埋めればいいのか」という問題だ。

最初、僕の頭に思い浮かんだのは、「数日間、家族で泊まりがけの旅行に行く」というプランだった。できれば3泊4日がいいな、と僕はちょっとだけ夢想した。

もちろん、妻や息子と一緒に知らない土地を見て回りたいという気持ちもあったのだが、それ以上に、彼らには言いにくい理由があった。正直に言って、「3泊4日の旅行になれば、1週間の半分を埋めることができる」と密かに期待していたのだ。それが実現したときのことを考えると、行き先を決めてもいないのに、僕の気持ちはワクワクしてくるのだった。

旅行なら、僕にとって、計画を立てるのも実行するのも難しくないという事情もあった。テレビ番組制作の仕事をしていると、撮影や取材で出張に行く機会が多い。それも1人ではなく、カメラマンや音声マン、照明マンたちとよく共に旅をする。多くのビジネスパーソンのように都市部だけではなく、自然あふれる山間部や海辺、あるいは地方の小さな町や村に行くことも少なくない。

家族でどこか海や山に行くとなれば、そんな取材の出張と似たような要領でスケジュールを作り、実行することができる。勝手知ったるやり方だから、スムーズに予定をこなしていけるだろうと思ったのだ。

ちなみに僕は、これまでも妻や息子と旅行するとき、いつも細かいスケジュール表を作成してきた。しかし、それはあくまで僕個人が見るためであって、家族に見せたことはない。

その理由は、はっきり言ってしまうと息子である。僕と同じくASDを持つ息子が、仮にスケジュール表を見たらどうなるか。

おそらく、その中身通りに行動することにこだわりすぎて、旅行自体を楽しめなくなったり、親である我々が彼に振り回されてへとへとになったりしてしまうに違いない。僕はそのことを恐れていて、スケジュール表を、あくまで僕のお守り代わりに持っていくだけにしているのだ。

「このままではスケジュールが立たない!」と焦る

実は、僕は家族旅行に限って、突然の予定変更に対しても、ある程度は冷静に対応することができる。

妻や息子が突然、「○○に行きたいよ」とか「□□を食べに行こうよ」などと言い出したとしても、パニックに陥ることはほとんどない。ストレスも感じない。その点、家族旅行の前にはガチガチに細かい旅程表を作って妻子に配り、強引にその通りに行動しようとした職場の元先輩でASDのOさん(21回参照)とは違う。

これが旅行ではなく、どこかに何時間か日帰りで遊びに行ったり、近所の店に食事に行ったりするときに、急に別の場所や店に行きたいと妻や息子が言い出せば、僕は激しい苛立ちを覚え、ときには声を荒げてしまうだろう。それなのに家族旅行では、予定の突然の変更も、割とすんなり受け入れられるのだ(仕事の予定変更に対しても同じだが)。理由はあれこれ考えたのだが、よくわからない。

それでも、事前にスケジュール表を作成せずに家族旅行に行ったことは一度もない。おそらく僕は「スケジュールがない時間」を過ごすことが耐えられないのだと思う。

そういうわけで、僕はまずインターネットであちこちの関連サイトを見たり、何本も電話をかけたりして、いくつかの観光地のホテルや旅館の宿泊予約をしようと試みた。しかし、とにかく時期が悪すぎた。

良さそうな宿泊施設に片っ端からアクセスしてみたのだが、この夏休みの時期、どこも予約でいっぱいだった。ちなみにそのうちの一つは、前回記した、昔、父が頑張って休みを取って連れて行ってくれた海水浴場の宿だったのだが(36回参照)、やはり満室だった。

結局、3泊どころか1泊の宿を取ることもできず、泊まりがけの家族旅行は断念せざるを得なかった。このままではスケジュールが立たず、僕はさらに焦りをつのらせた。

そのうちの42時間は睡眠に当てるとしても、残りは126時間もある。その時間にすることを、いったい、どう決めていけばいいのか・・・」 「家族旅行に行かずに、1週間=168時間というとてつもない空白の時間を埋めることが、はたしてできるのだろうか?

僕はスケジュール表にしようと思って広げていたA3の用紙を前に、頭を抱えた。もちろん用紙はまだ真っ白なままだ。

でも、いつまでそうやって焦っていても何も生まれない。そもそも、白紙のスケジュール表を長時間眺めていること自体が耐えがたい。そこで最初は、毎日生活していくために必ずとらざるを得ない行動で、スケジュール表を埋めていくことにした。まず僕は、翌日の予定を以下のように記していった。

起床 7
ゆっくり新聞を読む 7時~7時半
ゆっくり朝食を摂る 7時半~8時半
ゆっくり昼食を摂る 12時~13
 ゆっくり夕食を摂る 19時~21

僕は相当な"早メシ食い"なので、こんなに長く食事に時間をかけられるかどうかは疑問だったが(特に家で夕食に2時間もかけたことなどなかった)、これで4時間30分が埋まる。7日間続ければ、31時間30分が埋まる計算だ。しかし、まだ残りは、94時間30分もある。1日平均で13時間30分だ。ああ、これは長い。何をすればいいのか・・・。

「天啓を得た!」と小躍りしたい気分

僕が再び頭を抱えて考え込んでいると、様子を見にきた妻が、心配そうにこう声をかけてくれた。

別に予定なんか立ってなくてもいいじゃない。いつも忙しいんだから、身体を休めるためにぼ~っとしたり、気ままに自分の好きなことをやったりしたらどう?」 「明日からの休みの予定を考えているの?

ああ、何と優しい妻なのだろう。何と出来た人間なのだろう。僕は改めて真面目に感動した。

彼女は結婚して以来、ショッピングに付き合えとも、人気の観光地に連れていけとも、僕に一度も言ったことがない。でも、そんなに立派な妻の、実にまっとうなアドバイスであっても、僕の「スケジュールを作りたいのに作れない」という悩みだけは解決できないのだ。なぜなら僕にとって、「スケジュールを作り、その通りに実行する」というのは最も好きな、最もやりたいことであり、大げさに言えば、生きることだからである。

そんなことを思いつつ、妻に何と答えようかぼんやり考えていると、ふと、床に開いたまま投げ捨てられている雑誌の記事が目に入った。見出しには、こんなことが書かれていた。

暑さを忘れ、読書の快楽をたっぷり味わいましょう」 「夏休みの特選ブックガイド

これを見た僕は、「天啓を得た!」と小躍りした気分になった。そうだ、読書という手があったんだ、と。

僕の趣味は、以前も記した「数字遊び」の他、ランニング(1㎞走るのにかける時間をあらかじめ決めておき、なるべくそれをキープするようにして、何㎞も延々と走り続けるのが好き)と読書、そして映画鑑賞である。映画鑑賞と言っても、劇場に見に行くのはなかなか時間が合わず、最近は大半をレンタルしてきたDVDで見ている。

DVDの映画鑑賞でスケジュールを埋めてもいいが、その間、妻と息子がテレビを見られなくなることを考えると、あまり現実的ではない。でも、読書三昧の時間を過ごせば、家族の誰にも迷惑がかからない。

気に入った本であれば、僕は1日に10時間でも15時間でも読み続けることができる。そうすれば、あっという間にスケジュールは埋まるはずだ---。僕は自分のアイディアに少し興奮していた。

こう言うと、「もっと早く気づけよ」と思う人もいるだろう。でも僕は、一つ一つ、自分なりに論理のステップを踏まないと、思考が先に進まないのだ。今回の夏休み、スケジュールを何で埋めるかについて、僕の中では以下の2点を最優先する条件と考えていた。

・家族で一緒にやれること
・長時間かかること(少しでも長くスケジュールを埋められること)

これらに意識が縛られていたため、「自分の趣味」という選択肢はまったく念頭になかった。そんなときに雑誌の読書ガイド記事を見かけたことで、そうか、①から離れればスケジュールを埋める手段は他にいろいろあるじゃないか、と気づいたのである。

面白そうな本を見つけた

休みを読書三昧の毎日にするとして、問題は「読みたい本があるかどうか」だった。正確に言えば、「集中して読み続けられるほど、面白い本があるかどうか」だ。

もし、そういう本があれば、毎日13時から17時までを読書の時間に充てようと思った。残りの時間は、息子と公園に遊びに行ったり、妻の代わりに買物に行ったり、妻や息子とテレビを見たりお喋りする時間だと決めてしまえば、1日のスケジュールは埋まるだろう。

僕は書店で面白そうな本を見つけると、とりあえず買ってしまう癖がある。本当に面白いかどうかは読んでみないとわからないし、つまらない可能性もあるが、書店の店頭で見つけたことが、ひょっとしたらその本との最初で最後の出会いになるかもしれない。だったら、迷うよりもまずは買ってしまえ、つまらなかったら古本屋に売ればいい---という考え方だ。

その結果、僕の本棚には、読んでいない本が常に何冊かある状態が続いている。いわゆる「積ん読」だ。その中からさっそく、僕は面白そうな本を探し始めた。

ところが最近、仕事の合間を縫って割とマメに読んでいたせいか、本棚にある大半の本は既読だった。あるいは、読んでいない本もやや難しげなものばかりで、夏休みの読書にふさわしいとは思えなかった。結局、未読の、休み中に読んでみたい本は1冊しか見つからなかった。

それは、幕末の日本を舞台にした『落日の宴』(吉村昭著)という小説だった。4ヵ月前、仕事帰りに書店で購入し、そのまま読まずに本棚に置いていたものだ。

「これにするか」と思って、冒頭部分を流し読みするつもりでページを開いたところ、あっという間に物語に惹き込まれ、気がついたら1時間が経っており、100ページも読んでしまっていた。それほど面白かったのだが、休みの間に読むはずの本を、その前日の夜中に読み終えてしまっては冗談にもならない。やむなくいったん、本を閉じることにした。

僕はフォトグラフィックメモリーを持っているせいか、子供の頃から本を読むスピードが他の人より速いらしい。いつも、だいたい2行から3行を、一度に脳に映し込んでいくような感覚で読んでいく。

以前、『ジェノサイド』(高野和明著)という長編小説を夢中になって読んだときも、1時間で約100ページというほぼ同じペースだった。ちなみに『ジェノサイド』には(ネタバレにならないように簡単に言うと)「次世代の人間」が登場するのだが、これが僕には「発達障害を抱える人間」を暗示しているように思えて仕方がなく、のめり込むように分厚いその本を1日で読了してしまった。

爽快感を覚え、どんどんテンションが上がる

話を戻そう。すでに100ページを読んだ『落日の宴』は、未読部分があと430ページほど残っていた。翌日、休みに入り、同じペースで読み進めていったら、およそ4時間20分で読了する計算になる。これが大問題だった。

なぜなら、埋めなければならない前述の94時間30分のうち、4時間20分を『落日の宴』の読書に充てても、なお90時間以上が白紙状態のまま残ってしまうからである。仮に13時から17時まで読書をする場合、1日と少々で終わってしまう。

他に読むのにふさわしい本も手元にない。明日、書店に行ってみても、そういうものが見つかるかどうか、まったくわからない。

どうしようか。僕はまたも深く溜息をつき、「う~ん、う~ん」と唸りながらリビングに移動して、檻の中の熊のようにうろうろと歩き回った。

その様子を見かねたのだろう。まだ起きて僕を待っていてくれた妻が、今度は遠慮がちに、夏休みでやることが決まらないなら息子の勉強を見てほしいと言ってきた。

「塾の夏期講習で習ったことの復習を手伝ってもらいたいのよ。もしあなたがやってくれると、すごく助かるの」

前回記したように、息子は今年の夏、近所にある学習塾の夏期講習会に通った(36回参照)。そのコースはひとまず無事に終えたのだが、妻によれば、どうも息子にとってはレベルがやや高く、消化し切れていない。

しかし、自分では手に負えないので、僕に復習を見てもらえれば助かるという。彼女の声からは「せっかく取れた休みなのに、用事を頼んでしまってごめんなさい」という思いやりがにじみ出ていた。

しかし僕にとって、そのリクエストは、再びの「天啓」以外の何物でもなかった。編集長から夏休みを取るよう勧められて以来、ずっと心を重くしていた焦りと不安が、彼女の依頼のおかげで、サッと一気に消え去ったような爽快感を覚えていた。自分の子供時代を思い返しても、小中学生時代の勉強ほどスケジュールを立てやすいものはないのだ。

僕は自分でもびっくりするほど大きな声を出して、妻に答えた。

「やるやる。勉強見るよ。喜んでやるよ。俺の休みの1週間を全部使って、徹底的に復習させよう。まずは夏期講習会でやったテキストを、全部出してくれないか」

心が軽くなり、どんどんテンションが上がっていく。僕は続けて「よ~し、勉強のスケジュールを立てちゃおう」と叫ぶように言うと、小走りに机の前に戻り、少ししか書かれていないA3用紙のスケジュール表を持って、またリビングに引き返した。

妻が、夏期講習会で息子が使ったという2冊のテキストを持ってきた。算数と国語である。僕は、毎日均等に、同じページ数だけ息子に復習させようと思い、それぞれのテキストを開くと、まず総ページ数を確認した。そして問題の解答部分を除いたページ数を6で割り、スケジュール表の1日目から6日目まで、それぞれの欄に、こなすべきテキストのページを記入していった。

6日に分けたのは、最後の1日を総復習のために取っておこうと思ったからだ。別に7日間ずっとみっちり勉強させる必要もなく、1日くらい息抜きの日を作ってもよかったのだが、このときは「とにかくスケジュールを埋めたい。空白をなるべく作りたくない」という思いで必死になっていて、他に何も考えられない心理状態だった。

息子の叫び声、妻のうんざりした声

ふと気がつくと、午前1時を過ぎていた。妻はいつの間にかリビングを出て、寝てしまったらしい。僕はそれにも気づかぬほど、楽しいスケジュール作成の作業に没頭し続けていたのだ。

表の上では、僕の読書時間にしようと考えていた13時から17時までの時間帯は、すべて息子の勉強時間になっていた。また「息子と公園に遊びに行く時間」も「妻に代わって買い物に行く時間」も消え、やはり全部、息子の勉強時間になった。僕はもう、自分のスケジュール表を作成しているのか、息子のスケジュール表を作成しているのか、よくわからなくなっていた。

夜通し、高揚した状態で作業を続け、スケジュール表が完成したのは午前7時近くだった。すでに夏休みは始まっている。

スケジュール表は一分の隙もない、完璧なものに仕上がっていた---ように思えた。それを眺めながら、僕は「完璧だ」と呟いた。心には一点の曇りも不安もなく、ただ満足感と達成感でいっぱいだった。

出来上がったばかりのスケジュールに従うなら、まもなく家族の起床時間である。息子を起こそうかと思っていたところ、ちょうど良いタイミングで彼がリビングに降りてきた。僕は息子に「おはよう」と言う暇も与えず、「ほら、見てごらん。お父さんが徹夜して作った、夏期講習でやったことを復習するための予定だぞ!」と言ってスケジュール表を見せると、その分刻みの詳細を、1日目の内容から詳しく説明していった。

息子は僕と同じ「スケジュール魔」である。大喜びして聞き入ってくれる---はずだった。

しかし、10分ほどかけて僕が全部説明し終えたとき、息子は意外な言葉を吐いた。

この予定だと、朝から晩までぎっしりで、ご飯の他はほとんど勉強しかできないじゃん。これじゃテレビも見れないし、他のこともできないよぉ!」 「なんで、こんなに勉強ばっかりしなきゃいけないの?

最後の方は叫び声に近かった。息子の顔が真っ赤になり、見る見るうちに歪んでいく。そして、ひっくひっくと泣きじゃくる声と共に、可愛い目から大粒の涙が零れ落ちた。

ただならぬ事態が起きていることを察知したのか、妻がリビングにやってきた。彼女は僕が作ったスケジュール表を見るなり、ギョッとしたような表情になった。それでも慌てず騒がず、優しい口調で僕を諭すように言った。

「あなたが一生懸命考えくれたのはよくわかるけど、こんなにはできないわよ。勉強ばかりで、夏休みの意味がなくなってしまうと思うの」

僕は愛する家族の意外な反応に愕然として、「そんな・・・」とつぶやくと床にへたり込んでしまった。息子は泣き続け、妻がなだめても一向に収まらない。

そうこうしているうちに、朝食の予定時間が始まり、過ぎていった。僕が妻に「もう食事の時間だよ」と言うと、彼女からは「そんなにお腹が空いたの?」と聞き返された。そこで「いや、腹は全然減ってないけど、今食べないと、せっかくのスケジュールが崩れるんだよ・・・」と呻くように答えたところ、優しいはずの妻もさすがにうんざりした声で「わかったから、もうスケジュールの話はやめましょうよ」と言った。

僕の変化は一時的なものなのか、それとも・・・

それからの1週間。僕は結局、妻と息子と毎日、近くの公園や海に日帰りで行って、多くの時間を一緒に遊んで過ごした。

勉強はというと、何度か息子にテキストの内容について質問されたときに見てあげたけれど、その程度だった。徹夜で作ったスケジュール表は、机にしまい込んだ。

結局、休みの初日の朝、息子と妻からスケジュールに対して拒絶反応が返ってきたせいで僕は強いショックを受け、その放心状態のまま、1週間に突入してしまったのだった。新たな予定を決めようにも、その余力が残っていなかった。こうして、人生で初めて、1週間という長い期間をスケジュールなしで過ごすという毎日が始まった。

その日、どこに、いつ出かけるかは、毎朝、家族で話し合い、アイディアを出し合って決めた。でも僕自身はその間、スケジュール表を一度も作らなかった。

休みの初日と2日目は、めちゃくちゃ緊張した。何度も「スケジュールが存在しないんだ・・・」と思うと、原因不明の不安感が胸の奥からモヤモヤと湧き上がり、心臓の鼓動がまた激しくなることもあった。

しかし3日目からは、なぜか急に、事前の予定がないことが何も気にならなくなった。4日目からは妻や息子と遊びに行くのが純粋に楽しくなり、しかも不思議な解放感を覚えていた。僕は結局、この7日間の夏休みを、スケジュールなしで過ごしたのだ。

前述したように、これは思わぬ偶然によるハプニング的な出来事の産物だった。僕は一種のエア・ポケットに落ちたのかもしれなかった。

これを境に今後、僕のスケジュール好きが緩和されてゆくのか、それともこれは一時的なもので、少し時間が経つとまた、予定や計画の作成に執拗にこだわりまくることになるのか。それについては、まだ誰にもわからない。

しかし、一つだけ確かなことがある。それは、スケジュールへの執着から解放され、妻と息子の笑顔に包まれて過ごした今年の夏休みは、僕にとって人生最高の夏休みだった、ということだ。

〈→第38回〉

※この連載は原則として毎週土曜日に掲載されます。

2013年08月31日(土) 奥村 隆 

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」【第38回】
深夜、1人で罵声を張り上げる若き天才ディレクター

ときどき休載してしまい、申し訳ありません

前回記したように、思わぬいきさつで夏休みを取れたおかげで、僕は久しぶりに家族と楽しい時間を過ごすことができた。そのせいか、以来、息子もほとんど苛立ちや怒りをあらわにしていないようである。

しかし油断は禁物だ。息子の夏休みも終わり、僕も仕事に追われる毎日が再び始まった。二学期になるというのは、ASD(自閉症スペクトラム障害)を抱える息子にとって、自分の心を激しくかき乱す「学校生活」が再び始まることを意味する。

息子に何かが起こった場合、不規則な仕事に追われる僕に十分なフォローができるかどうか、まったく自信がない。そう、要は、息子のASDに由来すると思しき問題がいくつも起こった一学期と変わらぬ毎日が、また始まろうとしているのだった。

現時点までのしばらくの間、幸いなことにトラブルは起きていない。そこで今回は、これまで読者の皆さんから頂いていて、ずっと気になっていたいくつかの質問にお答えしたいと思う。

ただし、息子と同じくASDを持っている僕が、皆さんの質問を的確に読み取って、答えられるかどうかについては、正直なところ自信がない。また、僕が語る発達障害に関する話は、息子と僕の経験、僕個人の感覚、それに診て頂いている医師の意見をもとにしたものなので、発達障害の人々すべてに当てはまる普遍性があるかどうかはわからない。そのことを踏まえて読んで頂ければと思う。

①【30代男性の公務員・Aさんからの質問(苦情?)】
私は奥村さんと同じように、事前に立てたスケジュールが急に変更になると、仕事でもプライベートでもいてもたってもいられなくなります。苛立ちが我慢できず、周囲に当たり散らすタイプの人間です。

奥村さんと息子さんの言動の描写を読むと、まさに自分自身のことを言われているような気がして、ドキリとしたことも一度や二度ではありません。おそらく私も発達障害を持っているのではないかと思うのですが、医師の診断を受けていないのではっきりとはわかりません。

そんな私から、たった一つのお願いです。突然の休載はしないでください。「土曜日に『現代ビジネス』の奥村さんの連載を読むこと」は、すでに私の中で「やるべきこと」に決まっているんです。それが突然できなくなるというのは、私にとって苦痛と怒りの種にしかなりません。

 それなのになぜ、私を含めた読者のスケジュールを急に変えるという、ひどい仕打ちができるのですか? 奥村さんは自分でよく「スケジュールを崩されるのが嫌だ」と書いているじゃないですか?

こちらの気持ちも考えてください。土曜の朝、突然、想定外の事態になっても私のようなタイプはそれにスムーズに対応できず、せっかくの週末をずっとイライラしながら過ごすことになってしまうのです。

【奥村の回答】
Aさん、本当にごめんなさい。僕の連載を読むことをご自分のスケジュールに組み込んでいる方がいらっしゃるという事実そのものが、僕にとって想定外でした。確かに、そういう方にとっては、「突然の休載」は予定になかった出来事であり、週末の朝からご気分を不快にさせているに違いないと推察して、申し訳なく思っています。

ただ、一つだけ言い訳をさせてください。実は、僕にとって休載のほとんどは「突然」ではないんです。僕はこの連載の原稿を、朝5時から6時までの間に自宅で書くことに決めています。それ以外の時間帯では、もしスケジュールが空いたとしても、原稿を書きません。

「1週間のスケジュールを立てる」ことは人生の一部

職場では、少しでも空き時間ができたら、椅子を並べて横になり、身体を休めることに専念しています(最近、たまに体調不良ぎみになることがあるので、自分の心身をいたわる必要を感じています)。また、自宅で空き時間ができた場合は、妻や息子と会話をしたり、一緒にテレビを見たり、遊んだりするなど、団欒に費やすことにしています。

しかし、僕が携わっているテレビ番組制作の現場というのは、時間が不規則なだけでなく、忙しい時期は作業が次々と山のように発生して、なかなか家族とも顔を合わせられなくなります。自分が企画したコーナーが放送される週など、職場で朝まで仕事を続けるような日も多くなります。特にそのコーナーの時間が10分を超えるものとなると、連日、会社に泊まり込むことも珍しくありません。

そんなときは、朝5時から6時という時間帯でも自宅に戻れず、仕事をしているわけで、とても原稿を書くことなどできません。その結果、やむを得ず休載・・・ということになってしまいます。

ただし、その週がどれくらい忙しくなるかは、『現代ビジネス』で原稿が公開される土曜日の6日前、つまり日曜日にはだいたいわかります。僕は、今の会社に入って以来の習慣で、日曜日の夜に、翌日からの1週間のスケジュールを立てることにしています。

入社して最初に配属された職場が、いつも日曜の夜の段階で、その後の1週間に何をやるかがおおよそ把握できるシステムになっているところでした。そのときに自分が構築し、身につけた「日曜の晩に1週間のスケジュールを作り、それをこなしていく」という習慣を、以後、他の部署に異動してからも続けているんです(もちろん、突発的な事件などに対応して緊急番組を作らなければならなくなったような場合は別で、それはASDの僕が最も苦手とすることでもあります)。

したがって、日曜の夜になれば、やはり原稿を書く時間が週の間に取れるかどうかも、だいたい予想できるわけです。だからその時点で、今後1週間のうちに原稿を書く時間が取れないとか、あるいは取れない可能性が高いということがわかったら、すぐ編集者にメールで「次回は完全に無理です」「次回分の原稿を書ける可能性は10%程度ですが、水曜の仕事の結果によっては50%に上がる場合もあります」などと連絡してきました(急病になった一度を除く)。

だから僕自身にとっては「突然の休載」ではないのです。事前に立てたスケジュールの範囲内というわけです。

・・・と説明してきましたが、すみません、Aさんをがっかりさせていることの言い訳にはまったくなっていませんね。ここまで書いてしまったら、さらに正直に続けます。

僕はいったん「今後1週間は超多忙だから原稿を書かない」と決めてしまうと、その週に急遽、空き時間が取れたとしても、気を取り直して原稿を書くということができません。編集者からは、何度も「時間ができたのならば、何とか書いて頂けませんか」と矢のような催促がくるのですが、どうしても、僕の頭と心が「書くこと」を拒否してしまうのです。

理由はおそらくただ一つ。「書くこと」を事前にスケジュールから外してしまっているからでしょう。Aさんをはじめとする読者には申し訳ないのですが、自分ではどうしようもないのです。

雑誌などの紙メディアと違って、原稿が落ちてページが真っ白になってしまうということはウェブメディアではないとはいえ、『現代ビジネス』編集部にも迷惑をかけてしまっています。ひょっとして「こんな奴に連載を頼まなければよかった」と思われているかもしれません。

「だったら1週間ごとではなく、たとえば3日ごとにスケジュールを立てるというやり方に変えた方が、休載を防ぐためにはまだ有効なのではないか」「スケジュールを立てる日を、日曜ではなく他の日にしてはどうか」といった感想を持つ方も当然いらっしゃるでしょう。そんな至極もっともなアドバイスを人からもらったこともあります。

でも、僕は社会人になってからずっと、「日曜日の夜にスケジュールを立てる」という習慣を人生の一部として定着させてきたのです。それを変えることは、大げさに言えば、天地がひっくり返るのに等しいことです。想像しただけで、今も心臓の鼓動が激しくなって少し汗をかいてしまったほどです。

そういうわけで、今後も、Aさんをはじめとする読者の方々や編集部に迷惑をかけながら、休載してしまうケースが出てくると思います。あらかじめ謝っておきます。皆さん、ごめんなさい。

超過酷なスケジュールで頑張る天才・S君

②【20代の女性会社員・Bさんからの質問】
しばらく前に、この連載に何度か登場した奥村さんの超個性的な後輩「S君」(3132333435 それとも、何か新たな問題を起こしたとか? 最近は連載でもお見かけしませんが、ひょっとしてASD特有の人間関係作りの困難さなどが原因で、会社を辞めてしまったのでしょうか? 参照)ですが、その後の調子はどうでしょうか?

逆に、彼が周囲に理解されるようになり、少しずつ順調に仕事をするようになっているといいなと思います。私の近くにもS君と同じようなタイプの同僚がいて、みんな彼の言動に振り回されてうんざりし、ヘトヘトになっているので、気になって仕方ありません。S君の近況を教えてください。

【奥村からの回答】
そうですか。Bさん、そんなにS君のその後を気にかけてくださってありがとうございます。

結論から言うと、彼は今も僕が担当しているニュース番組で、ディレクターとしてVTRを制作し続けています。もちろんたった1人で、です。

この連載で何度か紹介したいくつかのトラブル以来、編集長は二度と、S君にカメラマンも編集マンもつけようとしません。ただし、彼のテレビ制作者としての力量は驚くべき勢いで上がっており、今や同僚のうちの何人かは、S君を「本当の天才」と真顔で呼んでいるほどです。

今もS君は、職場の同僚の誰とも飲食を共にしようとはしません。空いている会議室で黙々とコンビニ弁当を食べている姿をときどき見ます。また、企画会議などでは、やはり周囲の思惑を一切気にせず自分のアイディアを一方的に話し続ける一方、先輩のプレゼンを「そんなの面白くないですよ」と突然遮ってしまう、といったことも相変わらずやっています。

しかし、彼のそんな率直すぎる言動に対しても、同僚の多くは慣れてしまったようです。「Sは悪意で人の足を引っ張ろうとしているわけじゃないし、素直に思ったことを口に出しているだけなんだから仕方ないよ」「才能があるんだから、ちょっとしたことくらい問題ないだろう」「天才なんて変わり者が多いんじゃないか」などと弁護の声を上げる同僚も出てきています(もちろん、S君を嫌っている人もたぶん少なくないと思いますが)。

ただし、周囲に少し"味方"が現れたくらいで、空気を読まず細部にこだわる彼の態度が変わるはずもありません。最近、僕が目の当たりにしたS君の言動を一つ紹介しましょう。

それはS君が、急に組まれたニュースの特集枠の制作を任されたときのことでした。放送時間は、彼にとって最長となる20分間。

特集枠は、記者やディレクターにとって最もやりがいのあるコーナーで、同時に最も責任が重い仕事でもあります。S君のような20代の若手ディレクターが制作を担当すること自体が異例で、それは、編集長が彼の才能を買っている証でした。

ただし今回の抜擢には、もう一つ事情がありました。特集を作ることが突然決まったため、予算が少なく、時間も人手もかけられなかったのです。そこで、カメラマンや編集マンがいなくても、1人で何から何までやれるS君に白羽の矢が立った---というのも大きな理由でした。

S君は編集長からこういった事情の説明を受けた上で、「やってくれないか。お前にしか頼めない」と懇願されると、意外にも淡々とした口調で「20分、完全に僕1人で作らせてくれるんですね?」と聞き返しました。編集長が「もちろんだよ。1人でやれるお前だから任せたいんだ」と答えると、「じゃあ、やります」と承諾したのです。

このとき、周りで2人のやりとりを聞いていた同僚たちから、「ふ~っ」と安堵の溜息が漏れました。日頃、「Sという奴は、人を人とも思っていない傲慢な野郎だ。何様のつもりだ」などと悪口を言っている者も、明らかにホッとしたような表情を見せていました(自分に超ハードな仕事が回ってこなかったので、喜んでいただけかもしれませんが)。

制作の作業が始まると、そのスケジュールは前代未聞と言っていいほど過酷なものであることがわかりました。S君は文字通り会社に泊まり込み、コンビニ弁当ばかりを食べていました。

泊まると言っても途切れ途切れの仮眠しか取れず、目の周りにどす黒い隈ができるなど、疲れの色は日々濃くなっていきました。20代の若さだけで耐えていたのだと思います。

疲れきって仕事を終えたS君に、もう一つの依頼

編集長からS君の教育係を拝命していた(最近はほとんど出番がありませんでしたが)僕も、可能な限りS君と一緒に編集室に入り、作業や雑用を手伝いました。インタビューにも撮影にも編集にも卓越した腕を持つようになった彼でしたが、取材先との交渉に苦労していました。

特集で取り上げるテーマが、社会的にセンシティブな問題に絡むものだったので、取材を断られたり、さまざまな条件を付けられたりと、難航を余儀なくされたのです。特集の作り方に小さなミスがあっただけで、放送後、会社全体が責任を問われる可能性もある、そんな問題でした。

今になって振り返れば、そういうことも含めて「S君なら全部1人でできるだろう」と完全に任せていたのは、あまりにも甘えすぎ、楽観しすぎでした。少なくとも取材の交渉の部分については、リスクヘッジの意味からも、僕がサポートすべきだったと反省しています。

でも結局、S君はさまざまなハードルを飛び越えて、最後まで1人だけでやり遂げたのです。僕は、その仕事ぶりを目の当たりにして、年下の彼を心の底から尊敬するようになりました。

S君は、編集にしても撮影にしても、絶対に開始時間に遅れることや、締切を破るといったことをしませんでした。どんなにきついスケジュールでも完全に守り、やり遂げていきました。

彼は、急に作ることになったこの特集に、どんな時間的な制約があり、スケジュールを一つ守らなかっただけで、後々へのしわ寄せがどれほど厳しいものになるか、完全に理解していたのです。また、センシティブな問題と絡むテーマだけに、制作中に思わぬハプニングで進行が妨げられる可能性もあり、そのときも少しでも余裕を持って対処できるようにと考えていたようです。

もちろん、予定を厳守しただけでなく、取材内容の鋭さも、撮影した動画のクオリティも、編集の技量も見事なものでした。かつてのS君は、スケジュールに追い詰められて逆ギレし、放送日になって「メチャクチャをやりますよ」と開き直ったりしていましたが(35参照)、今回はそんなこともありませんでした。

S君は疲労でフラフラしながらも、歯を食いしばって不眠不休で作業を続け、放送前日の深夜、ようやくVTRを完成させたのです。そして、真っ青な顔で帰り支度を始めました。頭の中ではもう、「早く家に帰ってシャワーを浴び、泥のようにぐっすり眠りたい」ということしか考えていなかったでしょう。

そんなS君に対し、僕は、最後の一仕事をお願いしなければならないことを思い出しました。心の中で「もう帰れると思っているのに本当に申し訳ない」と手を合わせながら、こう話しかけたのです。後に、彼のあんなリアクションを呼び起こすとは想像もせずに・・・。

「疲れ切っているところ悪いんだけど、もう一つだけ、やっといてほしいことがあるんだ。視聴者から質問があったときに答えられるよう、想定問答の資料を作っておいてくれないか。

それが終わったら、帰って休んでくれ。本当にお疲れさま。ありがとう」

視聴者からの質問に答えられるように、想定されるQ&Aの資料を作っておくことは、今やどんなテレビ局でも常識になっています。中でもニュース番組の場合、質問のみならず、さまざまなクレームが寄せられることも少なくありません。

特に、今回のようにセンシティブな問題が絡む内容の場合、取材対象者は言うまでもなく、思いがけない個人や団体から"矢"が飛んでくるケースが結構あります。だから放送前には、あらゆる角度から、寄せられる可能性がある質問やクレームを想定して、きっちりとQ&A資料を作らなければなりません。しかも、それは、実際に取材や制作に携わった者しか作成できない、面倒な代物なのです。

僕がその作成を依頼すると、これまではずっと黙々と仕事を進めてきたS君から、意外な反応が返ってきました。本当に疲れていたのでしょう、彼は口を半開きにして、「明日じゃダメですか?」と聞いてきたのです。

しかし、この想定問答集だけは、必ず事前にしっかりしたものを用意しておき、放送前に少しでも早く、職場で共有しておかなければならない性質のものです。僕は心を鬼にして、今度はリアルに彼に向かって手を合わせると、「ごめんな。お前もわかっていると思うけど、今作らないと間に合わないんだ。頼むよ」と拝むように言いました。

S君は数秒間、僕の顔を凝視していましたが、「わかりました」と力のない声で答えると、自席のパソコンに向かいました。時刻はすでに深夜の3時過ぎ。部屋には僕とS君以外、誰もいませんでした。

30分後、僕は自分の仕事を終えると、こちらに背中を向けたまま、まだQ&Aの原稿作りを続けているS君に「悪いけど、お先に上がるよ」と声をかけて廊下に出ました。彼からは何の反応もありませんでした。

深夜の職場に響く「馬鹿どもが許せねえ」の罵倒

エレベータで1階に下り、外に出ると、雨が降っていました。ずっと室内にいたので気づきませんでしたが、かなりの雨足でした。

「ロッカーに置き傘を入れといたよな」

僕は独り言をつぶやくと、ついさっき降りたばかりのエレベータに再び乗って、職場に引き返しました。部署のドアを開けようとしたとき、ふと、中から怒声が漏れ聞こえてくるのに気づいたのです。

「ふざけんなよ!」

S君の声でした。疲労困憊しているとは思えぬほど、その口調には強い感情がこもっているようでした。廊下に立ち尽くしている僕の耳に、彼の怒鳴り声が否応なく響いてきます。

「ったく、Q&Aの原稿なんて、何も仕事していない、給料分だけ働けばいいと思ってる馬鹿どもが作ればいいじゃねえかよ。許せねえ!

奥村も奥村だよな。普通、先に帰るかよ。どいつもこいつも、揃いも揃って使えねえ。後輩に全部仕事を押しつけて、恥ずかしくねえのかってんだよ」

その声は、時に大きくなったかと思えば、時にささやくようなボリュームになり、しかし内容は、一貫して聞くに堪えない罵詈雑言でした。それが10分以上も続いた後、いきなり、何かを壁に投げつけている音が聞こえました。S君は、まるで悪魔にでも取り憑かれたような勢いで、周囲の文房具や書類などを投げ、罵り続けているようです。

「おいおい、エクソシストかよ・・・」

僕は思わず、こうつぶやいていました。恐ろしい声を耳にしているうち、脳裏に、かつて見たホラー映画の映像が蘇ってきたのです。

さらに、そのまま部屋の中の物音に聞き耳を立てていると、今度はもう一つ、新しい妙な口調が始まったのに気づきました。S君が、誰かに話しかけているようなのです。

 あんたも同罪なんだよ!」と罵倒しています。架空の人間と会話をしているのだろうか? 「あいつら、みんなどうしようもないでしょ!」と大声で叫んだ後、「そう思わないの?」と強引に同意を求めたかと思えば、「思ってるだけじゃダメなんだよ!

僕の中で、今度は『サイコ』の映像がよみがえってきました。しかし、さすがに「誰か同僚が早朝の作業か何かで出てきて、S君に八つ当たりされているのだろう」と思いました。

と、その矢先に、目の前のドアが突然開きました。ヌッと出てきたS君の顔は、激しい感情をむき出しにして、まさに般若そのものでした。僕の目を正面から睨みつけているのですが、ただし、その焦点は僕ではなく、もっと後ろの何かに合っているようです。

僕はゾッとして動けなくなり、悲鳴を上げそうにさえなりました。しかし次の瞬間、S君は表情を一変させて、急に普段のようなつまらなそうな表情になると、こう話しかけてきたのです。

早く帰った方がいいですよ」 帰ったんじゃなかったんですか? 「おや、奥村さん。どうしたんですか?

ちらりと中を覗くと、S君の机の上はやはり散乱していました。思った通り、文房具や書類を感情に任せて投げつけていたに違いありません。

プレッシャーが最大になると、独り言が止まらなくなる

部屋の中には、S君の他に誰もいません。僕は、あまりの不気味さに逃げ出したくなるのを懸命にこらえて、聞いてみました。

お前が人と喋ってる声が、廊下からも聞こえたんだけど」 「誰か、他に部屋にいたのか?

するとS君は初めてニッコリと笑顔を浮かべ、こう答えました。

「すみません。僕、仕事のプレッシャーやストレスが最大値に達すると、独り言が止まらなくなるみたいなんです。『みたい』っていうのは、自分ではよくわかってなくて、人から指摘されてばかりいるからです」

「じゃあ、自分がどんな独り言を言ったかは覚えてないの?」

「何となく覚えているときと、よく覚えていないときがあります」

「今回はどうだったの?」と僕は尋ねそうになったが、かろうじて黙っていました。返事によっては、"洒落にならない"結果になりそうな予感がしたからです。そんな僕の思惑も知らず、S君は妙ににこやかに続けます。

「ああ、聞こえちゃったんですね。実は結構、たまってたんですよ。

でも今、奥村さんの顔を見たら落ち着きました。正直、みんな、僕に仕事を丸投げばかりして、許せないとちょっと思ってしまいまして・・・。そればかり考えて、頭にカーッと来ていたんだと思います。

ただ、奥村さんのことは悪く思ってませんよ。今回も面倒見てもらいましたし」

僕はつい十数分前、S君が「奥村も奥村だよな。普通、先に帰るかよ」と罵った言葉を鮮明に覚えていましたが、口には出しませんでした。やがて、彼の口調が再び少しずつ怒気を含み始めたような気がしたので、僕はそそくさと傘を手に取り、

「雨が降っていて、置き傘を取りに戻っただけなんだ。悪いけど、先に帰るわ。後で、俺のことを独り言で怒鳴ったりするなよ」

と必死で作り笑いをしながら話しかけました。S君は「大丈夫ですよ。奥村さんには感謝していますから、そんなことはしません」と笑っていました。僕は部屋を出ると、小さく溜息をつきました。

自宅に帰る道すがら、僕の頭の中では、ずっとS君の怒声が響き渡っていました。「天才ディレクターS君の将来はどうなるのだろう」と、漠然とした、しかし強い不安を感じていたのです。どんな不安なのか、それはまだわからないのですが・・・。

こうしてS君が必死で制作した特集は非常に完成度が高く、後日、社の上層部から金一封が出ました。そして彼は今も、見事な作品を毎週のように世に送り出しています。

僕は、S君がさまざまな軋轢を起こしつつ達成する優れた仕事を見るたびに、世の中にはさまざまなASDの人がいることを知りつつ、あえて考えるのです。「ASDは個性だ」と言ってもいいのではないか、と。そして、その個性を生かすも殺すも、周囲次第なのではないか、と。

③【30代の主婦Cさんからの質問】
奥村さんの連載を読んでいて、自分の娘がASDなのではないかと疑い始めています。そこで医師に診断してもらいたいと思っているのですが、どんな先生がいいのでしょうか。奥村さんの基準でOKですので、教えてください。

【奥村からの回答】
これに対する回答は、次回にしたいと思います。ただし、今回述べたような事情で、休載する場合もありますが、そのときはごめんなさい。

 

 

2013年09月28日(土) 奥村 隆 

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」【第39回】
「あなたの育て方が悪いから息子さんはASDになった」と言う医師

しばらく息子の顔を見ていない

僕はしばらく前から、非常に忙しい毎日を過ごしている。その理由はたった一つ、「東京オリンピックが決定したこと」にある。

9月7日(日本時間8日)にブエノスアイレスで開かれたIOC総会で、2020年のオリンピック開催地が東京に決まったのはご存じの通り。それを受けて僕は、担当している番組で、オリンピック絡みのVTRを連日のように制作し、放送することになった。

こう言うと、「ASD(自閉症スペクトラム障害)を抱えている奥村さんは、予測していなかったオリンピック開催地決定のニュースのせいで、パニックになってしまったのではないか」と心配してくださる方もいるかもしれない。

確かに、この決定も、それを受けた日本国内の盛り上がりも、僕にとっては事前に想定していた話ではない。だから、矢継ぎ早に関連した番組の仕事を命じられた直後は、焦りのような強い感情が湧き上がってきて、すぐには頭も身体もうまく動かなかったのは事実だ。

しかし、実際に仕事が始まってみると、その内容はある程度事前にスケジュールが立てられるので、感情の激しい揺れは収まった。むしろ、あまりにも忙しいことにやや閉口気味である(ただし、忙しさによって僕がパニック状態に陥ることはない。パニックになって精神的に恐慌をきたすより、多忙による疲労の方が、僕にとってはつらさが少なく、まだましである)。

そういう事情で、取材や編集などの作業に忙殺され、ほとんど自宅に帰れていないので、息子の顔もろくに見ていない。妻はどうやら、息子について相談したいことがあるような気配なのだが、おそらくはこのところ超多忙になった夫を気遣って、何も言わない。

したがって僕は、ここ2週間あまり、息子に何らかの変化が起こっているかどうかを把握していない。妻が何も言ってこないのは、特に重大なことは起きていないからだろうと自分勝手な推測をしている(妻の辛抱強さと寛容さに甘えているわけで、何とも申し訳ない)。

だからというわけではないが、今回もまた読者からの質問にお答えしたいと思う。まずは前回、回答を保留したあの質問から。ただし、すべての回答が、あくまでも僕の個人的な体験、学習、感想などに基づくものであることは、あらかじめお断りしておく。

僕も自分なりに、いろいろ資料や書籍を読んで発達障害やASDに関する知識を蓄積したつもりだが、当然ながら素人勉強であり、限界がある。厳正なデータや学説や治療を求めている方や、深刻な状況にある方は、きちんとした専門家に当たって頂きたいと思う。

「奥村さんのしつけが間違っていたんですよ」

30代の主婦・Cさんからの質問】
奥村さんの連載を読んでいて、自分の娘がASDなのではないかと疑い始めています。そこで医師に診断してもらいたいと思っているのですが、どんな先生がいいのでしょうか。奥村さんの基準でOKですので、教えてください。

【奥村の回答】
「家族の言動が、奥村さんや息子さんのそれと似ているので、発達障害かどうか、きちんと診てくれる病院や医師を教えてほしい」という趣旨の質問は、これまでも多くの読者から頂いています。ほとんどの方が、自分のお子さんがASDではないかという疑いを持っており、それにもかかわらずなかなか良い医師に巡り会うことができず、とても苦しんでおられるようです。

その苦しみと悩みを、僕もわかるつもりです。なぜなら僕も、最終的に息子を診てくださることになった先生に巡り会うまで、かなりの数の医師や病院を当たったからです(その辺のことは、あえてこれまでほとんど書いてきませんでした)。

ただし、息子と僕が現在お世話になっている医師や病院の名前は、先方との約束で、残念ながら申し上げることができません。かわりに、多くの医師や病院を当たった経験から、「こんな医師に診てもらうのだけはやめた方がいい」と僕が思う例を二つほど挙げたいと思います。

くどいようですが、Cさんのご質問にもありますように、あくまでも僕個人の基準によるものなので、そのつもりでお読み頂ければと思います。

また、言うまでもなく、医師にもいろいろな人がいます。以下では、僕や他の人たちの経験に基づいて「困った医師」の例を挙げていますが、本当に患者に寄り添って少しでもその悩みを軽減しようと尽力している立派な医師も、当然ながら多く存在します(僕たちが今お世話になっている先生もその1人です)。その点をお断りしておきます。

「お子さんがASDになったのは親の育て方のせいだ」と平気で言う人 困った医師①

日本社会で、発達障害に対する認知度が上がり、理解が多少なりとも進んだ現在、一般人ならともかく、こんなことを言う医師がいるはずがない---。そう考える人が多いと思います。

しかし実際は、平然と「親の育て方が悪いから子供がASDの症状を呈するようになるんだ」といった類の暴言を吐く医師が、悲しいことにある程度、存在するようです。実は、僕も1人、そういう先生に会ってしまいました。

息子や僕自身がASDらしいとわかり、しかし具体的にはどう対処すればいいかわからず、不安な気持ちでいろいろな医療機関を訪ねていた時期のことです。その医師は、一通り息子の言動を説明した僕に、突き放したような口調でこう言いました。

「奥村さん、あなたのしつけが間違っていたんですよ。きちんとしつけをしないから、息子さんがわがままに育ってしまったんです。

今、子供のASDと言われている問題の多くは、それが原因です。まずは、あなたが親として、しつけのやり方を勉強してください」

僕はこの答えに非常にショックを受け、何も言葉を返すことができませんでした。病院を出た後の帰途、心は重く沈み込み、気分が悪くなったほどでした。口を衝いて出るのは「そうか、俺が悪かったのか・・・」という独り言ばかりで、帰宅してからもすっかり思い悩み、食欲も湧きませんでした。

それほどまでに医師の言葉にひどく打ちのめされたのですが、実際は、同じような思いをされた親御さんがかなり多いのではないか。データなどはありませんが、僕はそう推測しています。

自分がASDだとはっきりわかった今、僕は「あの医師が言ったことは間違っている」という確信を持っています。それには、もちろん理由があります。

ASDを含めて発達障害には、まだ医学では解明されていない部分があるものの、先天的か後天的かとなると、先天的なものだという説が一般的です。これは、僕も自分の経験から正しいと思います。

僕の場合、幼児期から、母親の胎内にいたときの記憶を持っていたり、小学校入学の直前までまったく喋れなかったりと、本格的に親のしつけを受ける前、すでにASD特有の言動を顕著に見せていました。なので、親のしつけの悪さによってASDになるとはとても思えません。

暴言を吐かれても、冷静に言い返そう

「親の育て方が悪いせいで発達障害になる」との見方が間違っていると考える理由は、もう一つあります。

僕には2歳下の弟がいます。母は僕たち兄弟を、まったくと言っていいほど平等に、同じように育ててくれました。僕のASD的な言動についてはさほど気にしていなかったようですが、社会生活を送るために必要なことは、厳しく何度も言われ、ときには注意されたり叱責されたりした記憶もあります。他の家庭と比べても、僕が母から受けてきたしつけは、おそらく厳しさという点ではそんなに劣っていないと思います。

でも、子供時代から少年時代にかけての僕は、社会生活におけるルールや、人の気持ちへの配慮といったことがまるで理解できず、周囲との軋轢(あつれき)が絶えませんでした(しかも、そのことに自分ではまったく気づいていませんでした)。そのため周囲からは嫌われ(そのことにも高校生になるまで気づかなかった)、大学で「Numbers研究会」という数学のサークルに入るまで、親しい友達は1人もできませんでした(15回参照)。

一方、弟は、小学校時代の僕のように、頻繁にうるさく挙手をして授業を妨害したり、バレンタインデーに女子児童たちに「なんで僕にチョコくれないんだよ?」と聞いて回ったり(10回参照)、といったことは一切しませんでした。口数が多くありませんでしたが、他人を思いやることができる少年でした。僕と違って友達は多く、先生からの信頼も篤かったと両親は話しています

つまり弟は、母から僕とほぼ同じしつけを受けて育ったのに、まったく別のタイプの人間に育ったというわけです(ただし、学校の成績は似たようなもので、小学生時代こそ僕の方がやや勉強はできたものの、中学時代以降は弟も実力をつけ、大学受験のときの偏差値はほとんど変わりませんでした)。もし、親の育て方やしつけのせいでASDを抱えるようになるのであれば、僕だけでなく弟もASDでなければおかしいでしょう。

もちろん、僕たち兄弟という一つの事例だけを根拠に、「親のしつけが子供のASDを引き起こすことは絶対にない」とまで断言するのは行き過ぎかもしれません。しかし、似たような兄弟姉妹のケースを、僕はいくつも知っています。

何の根拠もないのに、「お子さんのASDはあなたの育て方が悪かったせいです」と医師から暴言を吐かれ、深く傷ついた親とも、僕は何人か会っています(僕もその1人だったので、そういうときのショックは身をもって理解しているつもりです)。中には、立ち直れないほどのトラウマを抱えてしまった人もいます。

もし、そんなことを言う医師に運悪く会ってしまっても、怒る必要も傷つく必要もありません。"倍返し"をする必要もありませんが、あくまで冷静にこう言い返して席を立ちましょう。

市販されている本にも書いてありますよ。発達障害について、もっと勉強したらいかがですか?」 「ASDが先天的なものだとされているのを、ご存じないのですか?

患者を助けるより、自著のセールスに熱心なのか

「私の書いた本を読んで勉強しなさい」と説教する人 困った医師②

この発言は、発達障害に関する著書を持つ医師が口にしたものです。僕が、息子のASDについて対策を考える上で何か参考になる本がないかと書店で探していたとき、たまたま目にして購入した書籍がありました。夫婦でそれを読んだ後、妻が息子を連れて、その本の著者である医師の病院を訪ね、診察してもらったときのことです(僕はどうしても都合がつかず、行けませんでした)。

医師は微笑一つ見せぬ憮然とした表情のまま、ほんの数分間だけ息子の様子を観察した後(それも非常に投げやりな感じだったと妻は振り返っていました)、彼女にこう言ったそうです。

「お子さんをどうすればいいかは、私が書いた『○○○○』という本にすべて載っています。それを読めば解決します」

「実は、先生の『○○○○』というご本は主人と一緒に読ませて頂きました」

医師はまったく動じる様子もなく、すぐにこう返してきました。 

「私は『△△△△』という本も書いている。それも読んで勉強しなさい」

「はぁ?」

「院内の売店で売っているから、買って帰りなさい。では、そういうことで」

「・・・・・・」

妻は思わず絶句するしかなかったそうです。

僕は、この医師の対応には二つの問題点があると思います。

一つは、言うまでもありませんが、患者の治療よりも自分の著書のセールスに熱心であること。もう一つは、そもそも子供のASDは、数分だけ観察したところで具体的な傾向などを判別できるものではなく、そのことを医師は当然知っていながら(さすがに知らないことはないでしょう)、妻と息子を素人だと見くびって"手抜き"をしたことです。

日常生活の時間の大半において、息子の言動は、いわゆる"普通"の子供と何ら変わりはありません。話す内容によっては、利発な子供に見えてしまう可能性すらあります。

息子は基本的に、特定の場合にのみASD特有の言動を見せるのです。たとえば、予定していた時間が1分でも守れなくなったときに、いきなりパニックを起こしたり、会話の内容があるトピックに及んだときに、いきなり相手の気持ちを傷つけるような乱暴な言葉を吐いたりするわけです。

一口にASDと言っても、それが表面に現れるときの言動は、人によってさまざまです。僕と息子の間ですら、「他人の感情が読めない」とか「時間に細かくこだわる」といった点を除けば、多くの"症状"が異なっています。だからASDへの対処方法も、人それぞれに異なるのが当然で、医師には、個々のケースに応じた細かい診断と治療法を示すことが求められます。

それだけのことを、わずか数分間だけ子供の言動を観察しただけでできるはずがありません(だから通常、医師はもっと時間を取って患者を診ます)。まして、いつも苦労している親の話をじっくり聞くこともせずに、子供のASDの深刻さを理解することは不可能でしょう。

前述した医師は、発達障害に関する専門的な知識は大学で勉強したのかもしれませんが、発達障害を持つ人間やその家族のことを本質的に理解しているのでしょうか。また、理解しようと努めているのでしょうか。彼が患者を助けるよりも、患者に自著を買わせることに熱心だという妻の報告を思い出すたびに、僕は疑問を禁じ得ないのです。

同時に、こうも思うのです。発達障害が専門の医師であっても、そして、どんなに優秀な医師であっても、自分が発達障害を持っていなければ、それを抱える人間の心理を正確に理解するのは非常に難しいのではないか、と。

だから、これまで数々の病院や医師を経てきた僕は今、基本的に「医師には必要以上に期待しない」と決めています。病院は「自分が息子のためにやっていることが間違っていないと確認する場」に過ぎないと考えているのです。

そのくらいがちょうどいいスタンスだと思いながら、現在も息子を定期的に病院に連れていっています。もしCさんも娘さんを医師に診せることになったとしても、過度に頼ろうとせず、僕のようなスタンスでいた方が、精神衛生上はいいと思います。

周囲の迷惑となる言動は、すぐに「こら!」と叱る

30代の主婦・Dさんからの意見】
奥村さんの連載を読んでいて、「ASDは個性だ」という言葉に勇気づけられました。私の小学生の息子もASDを抱えていますが、彼が個性の良い部分を伸ばせるように、自分の中で自己肯定感を高められるように育てたいと思っています。

そこで一つ質問です。この連載を読む限り、奥村さんは、ASDを持つ息子さんや後輩S君に対し、いつも冷静かつ論理的に対応しているようです。

しかし、息子さんが周囲に迷惑をかけるような言動を取ったときは、叱らないのでしょうか。叱ったら、本人の自己肯定感を低下させるから、叱らない方がいいのでしょうか。ぜひ参考にしたいので、教えてください。

【奥村の回答】
周囲に迷惑をかける息子の言動があったとき、僕は必ず叱ることにしています。場合によっては、相当厳しく叱ります。息子が1人で勝手に「自分はこういう言動をとっていてもいいんだ」と思い込んでしまうと、成人後、大変なことになるからです。(実際、大変なことになっている大人を何人も知っています)。

もちろん、「叱るだけ」には絶対にしないようにと心がけてもいます。叱ると同時に、「なぜお父さんは君を叱ったのか」「君はどのように周囲に迷惑をかけたのか」「どうすれば迷惑をかけずにすむのか」といった点を、論理的に、噛み砕いて説明するよう努めています。それをしないと、今後の状況が改善されないばかりか、叱られただけの息子はふてくされてしまい、内に籠もってしまう恐れがあります。

どんなに才能ある人間でも、他者と関わらずに生きていくことはできません。僕の親としての最大の義務は、成人した後の息子が、1人で社会生活を営めるように育てることだと考えています。仮に息子が大人になってから、周囲に迷惑をかける言動を取ったとき、「自分はASDだから仕方がない。それよりも周囲がASDへの理解を深めるべきだ」などと言っても何の解決にもならず、誰にも相手にされなくなるでしょう。

ASDを抱えた本人と親が、社会の中で、他者との関わりを大切にすべく相応の努力をしない限り、決して周囲は理解を深めてくれない---。それが、ずっと自分と息子のASDと付き合ってきた僕が出した結論です。

だから僕は、今日も息子が周囲に迷惑をかけたら、それがASD特有の言動によるものであっても、即座に大声で「こら!」と叱ります。そして、これからも叱り続け、その理由を冷静かつ論理的に説明し続けると思います。

〈次回に続く〉

※この連載は原則として毎週土曜日に掲載されます。